エホバの証人の信仰の土台とは
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』から。エホバの証人の信仰の土台を崩す議論の続き。
昨日は(1)ものみの塔=真理の組織を崩す
今日は
(2)「統治体」「ものみの塔」に従わない者は大患難で滅びる
(3)1914年の予言
を崩す。
「統治体」「ものみの塔」の存在根拠を崩す
“もっと崩せ、エホバの証人の盲信の土台-part2~神に組織は不要、「思い付き」予言” の続きを読む
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』から。エホバの証人の信仰の土台を崩す議論の続き。
昨日は(1)ものみの塔=真理の組織を崩す
今日は
(2)「統治体」「ものみの塔」に従わない者は大患難で滅びる
(3)1914年の予言
を崩す。
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エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』最終12章「不必要な戒律」より。
「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。例えば、律法が『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったのである」(ローマ7:7)
まさにこれ。私は小学校に入る前から、性器以外を使ったセックスが存在することを知っていた。口や肛門を使用したセックスはNGですよ、とエホバの証人の宗教本から学んだため。子どもにそんなこと教えるなよ。
エホバの証人(JW)の世界では、戒律主義により
裏では醜くゆがんだ欲望によるアブノーマルな世界が繰り広げられてきた
清さを求めるべき宗教の精神態度とは逆な結果になった。この行き着く先が児童性虐待の頻発。
とはいえ、ものみの塔幹部が求めていたのは、清さでも救いでも、清浄さや爽やかさでもない。戒律を製造している塔幹部が欲しかったのは、権力や自身の支配欲・自己顕示欲の充足。
信者がアブノーマルな世界に走ろうが汚れようが、子どもがアブノーマルな性虐待の犠牲になろうが、ものみの塔の戒律製造側にとっては何の関係ない。組織の体面が傷つくのを嫌がるだけ。それも結局は自己保身のため。
戒律主義強化の背景には統治体の組織支配の願望があると見て、まず間違いはないであろう。そして、組織としての動機よりは、幹部としての動機、すなわち権力志向の方がより勝っているということ
戒律を多くすれば、組織の権力は強化される
エホバの証人が戒律主義である理由その①
塔幹部の権力志向を満たすため
禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ
“エホバの証人が戒律主義な理由3つ。統治体の自己満のために、あなたはをJWを続けますか?” の続きを読む
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』の2章『統治体は非聖書的な取り決め』
エホバの証人を支配する統治体がいかに非聖書的であるか追及されている。非聖書的であることを証明するために、聖書から統治体の矛盾をひいている。
聖書がなんぼのもんじゃという私にとっては全くの無意味なのだが、エホバの証人は原始キリスト教への回帰、聖書第一主義。統治体の存在が聖書的でないのは大問題。
統治体とは何かというと、多数のエホバの証人信者を支配・搾取するための着ぐるみのようなもの。
ものみの塔協会の初代会長チャールズ・テイズ・ラッセルは自ら、教理をでっち上げ、エホバの証人という宗教を創り上げた。相当のカリスマ性、行動力があったと考えられる。オカルトに熱中したり、フリーメーソンとの関与も疑われている。いわゆる教祖に近い。
2代目会長のラザフォードは、弁護士を使ったり、対抗馬を追い出したりして、初代会長の権力の座を掌握。運と剛腕の持ち主。
こうした初代・2代会長という巨悪に比べると、会長職が代々小粒に、ミスの少ない官僚タイプが座していくのはどこの組織も同じ。血統で引き継いでいくような日本の幕府将軍職でも、圧倒的に名を残しているのは開幕した初代。
そして、3代目ものみの塔協会会長のN・H・ノア、この人も権力を掌握したのだが、権力の隠れ蓑として統治体を組成。これ以降の
小粒っこ連中が、統治体をエホバの証人支配のための着ぐるみとして使用中。
ものみの塔協会2代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義
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エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書」
エホバの証人の罪は、ものみの塔という偶像崇拝、組織崇拝。
私は、偶像崇拝しようが組織崇拝しようが、罪だとは思っていないのだが、エホバの証人は違う。エホバの証人は神以外に信仰を持たないように、敬意を示さないようにという教理のもと、偶像崇拝は禁止。当然、神以外の何らかの組織を崇拝することも罪。
ところが、いつどこですり替わったのか、エホバの証人はものみの塔という偶像を崇拝し、ものみの塔聖書冊子協会という組織を崇拝している。さらに行きすぎて、統治体という人間集団を崇拝する本末転倒ぶり。
その
組織の氾濫、組織一色
というものみの塔の体質について、本資料では、エホバの証人の使う新世界訳聖書の翻訳から考察されている。
信仰の対象は、エホバの証人であれば、どこまで行っても神エホバ、譲歩してもキリストまでの信仰であるべき。ところが、ものみの塔は神でなく人間に信仰を置くように誘導している。
神の軽視。ものみの塔の幹部連中は、神の存在など端から信じていないのだろう。だからこうして軽々しく神権を侵犯できる。特権・物質主義者。神の名を借りる蛇。
“統治体絶対視、組織盲従、偶像崇拝と組織・人間崇拝というエホバの証人の罪” の続きを読む
最近読んでいるエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。
『欠陥翻訳ー新世界訳』の5章「聖書の翻訳と教義」の終盤部分。<地上における権威の三つの型>が紹介されている。聖書解釈の権限を誰が持っているかというキリスト教の宗派の分析から、宗教全般の構造の分類へあてはめている。
1.の個々の信仰型は、インパクトが欠けエネルギー不足になると問題提起されている。私は宗教に必死にすがる必要を一切感じないので、このレベルで充分。家族第一、自分第二、仕事や趣味があって、最後の最後に極薄0.01ミリで宗教。
この資料でも、後の文脈を辿ると結局は1.個々の信仰型がベストという結論に至る。
エホバの証人は、当初は2.の啓示、預言者型から3.の組織、官僚型へ移行。初期のものみの塔協会会長のカリスマ型から現在の統治体型へ移行。教祖型宗教が、最後に落ち着くのもこの組織型とも考察されている。
2.と3.の偽預言者と組織幹部たちに向けて痛烈な一言を引用すると
神やキリストが現れないということは、非常に都合の良いことではないかと思う。いつまでも現れなければ、いつまでも神とキリストの名を借りて組織支配を続けることができる
ものみの塔もこのタイプ。この世の終わりが来て真っ先に始末されるべきは、偽予言を繰り返し、多くの人々を欺いたものみの塔自身。たとえキリストが顕在したとしても、統治体が統治権という特権を手放すとは考えられない、とも指摘されている。
自らの偽予言が成就すると困るのは偽予言者自身であり、また、偽予言者は自らの偽予言が決して成就しないのを知っている。これがカルトの信者搾取システム。
ものみの塔協会の統治体の予言は時代ごとに現れる偽預言者の世迷言
“宗教構造の3つの分類と真理モード、偽予言者で真理逆行モードのエホバの証人” の続きを読む
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』。ものみの塔の翻訳した新世界訳聖書について。
第5章『聖書の翻訳と教義』の前半部分から。ものみの塔の教理がいかに都合よく聖書を解釈したモノだらけなのか、例を挙げて説明されている。
資料中で
もうほとんど字義病
と表現されている。
ものみの塔は、教理をこじつけるために字義病を装っている。聖書のAとBで同じ意義の言葉があった。であれば、AとBは同じ予言を意味していると。完全なこじつけ。自分たちに都合よくこじつけるため、字義訳を濫用している。
日本昔話シリーズの『桃太郎』も『浦島太郎』もどっちも太郎なので同一人物。「よって、鬼ヶ島も竜宮城も同じ場所、乙姫は実は鬼だった」「亀の頭は犬を、亀の手は猿を、亀の甲はキジを表している」みたいなこじつけ。
ものみの塔の字義病偽装による解釈はこのレベル。
ものみの塔にとって都合の良いこじつけ解釈の例が本資料で引用されている。『ものみの塔誌1987年7月1日』号。
すでに『立って』いるイエスがその時に「立ち上がる」とはどのような意味ですか(ダニエル12:1)それは、イエスの支配権が言わば新しい局面を迎えるということです。
すでに立っている奴がさらに立つわけない。ただの誤訳。それを「新しい局面」というふざけた解釈を持ちだしている。なんすか。新しい局面って?勝手に都合の良い解釈を付け加えているだけ。
この記事は、時期的に私の家族もリアルタイムで読んでいる。父は聡明だと思っていたのだが、この記事を鵜呑みにしていたと思うと・・・。私も気を付けなければと思う。ものごとを信じやすい性格、同じ血が流れているのだから。
“エホバの証人(JW)の統治体の聖書的無根拠~すりかえ” の続きを読む
真理真氏作成のエホバの証人解約資料。ネットでダウンロードできる。
第五弾の「1914年と終わりの日」より「JW言い訳集」。解約対象のエホバの証人に対する想定問答になっている。これはおみごと!
エホバの証人はものみの塔に倣い、論理テクニックを駆使してくる。論点のすり替え、こじつけ、恣意的引用。しかも本人たちは聖書から正しい言葉をひいて、論理的・科学的に正しく語っていると思い込んでいる。
実態は、ものみの塔仕様の偽聖書「新世界訳聖書」と、ものみの塔の宗教本という悪書を参照しているだけ。ものみの塔の宗教本は科学的な根拠に基づいている体になっているが、事実は恣意的引用とこじつけだらけの悪書。
ものみの塔協会が存在し続けていることを除けば「世界は良くなっている」
ところが、生半可な準備で望むと、エホバの証人のこじつけ、すり替えといった論理テクに跳ね返される。そして、最後にはこちらの質問には答えないだんまり状態になってしまう。
これでは相手のエホバの証人のマインドコントロールをより進める結果になってしまう。相手がだんまりの貝になる前に、
ものみの塔の論理の矛盾をサクッと指摘、相手のエホバの証人のマインドコントロールの扉の鍵を刺激しなければならない。エホバの証人解約のための想定問答集として、この資料はおみごと。
“エホバの証人の統治体がホンモノかニセモノか見極めるのは簡単” の続きを読む
ネットでダウンロードできるエホバの証人解約資料を読んでいる。第5弾「1914年と終わりの日」より。JW解約-エホバの証人の真理を検証する
「遠ざかる1914年」の項目より。
ものみの塔の1914年の教理は最重要で、この年に天でキリストの王国が設立したとか何とか。1914年に天を追い出された悪魔サタン軍団が地上に降り立ち、世界は終わりの日に突入したというトンデモ教理。
1919年にエホバの証人の昇天組の支配者層がキリストによって選ばれた。その中にエホバの証人の最上位に君臨する統治体が含まれている。そのため、統治体を経路とするものみの塔こそが真理という権威付けの根拠になっている。
この資料では、ものみの塔の「目ざめよ!」誌の発行目的が書いてある部分から「1914年」の文字が消えたと指摘。発行目的が書いてあるのは奥付か扉部分だと思われるが、手元に「目ざめよ!」がないので分からない。
1995年10月22日以前の発行目的は
1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという、創造者の約束
となっているが、1995年11月以降は
現在の邪悪で不法な事物の体制に取って代わろうとしている、平和で安全な新しい世についての創造者の約束
と変更されている。
1914年に生きていた奴らが全員死んだら、新しい世が来るという設定だったのだが、1995年にはそれが無理だということにてって、この文言が消し込まれた。
実家に帰ったら、古い「目ざめよ!」を引っ張り出して保管しておこう。ものみの塔の予言ハズシの証拠なので。
“エホバの証人の産地偽装問題、1914年の予言ハズシでものみの塔は偽者確定。” の続きを読む
AmazonのKindleで読んだ本。
内容としては、タイトルにある歴史からの分析はさほどされていない。聖書からの分析も、聖句を引いてエホバの証人の教理の矛盾を指摘する程度にとどまっている。
Kindle Unlimitedを契約していれば無料で読めるので、内容的にはこんなものかと。
エホバの証人がカルトかクリスチャンか?と聞かれれば当然カルト。この本の内容もその基準に沿っている。エホバの証人がキリスト教をねじ曲げた事実が聖句から示されている。
ついでにAMAZONで発見した面白Tシャツ。これ来て海老名に断絶届出しに行ったらウケそう。色違いもあったが、やはり黒かな。
“『エホバの証人 カルトかクリスチャンか?歴史と聖書による分析』” の続きを読む
ネットで読めるエホバの証人解約資料の第4弾「神の経路と奴隷級」より。
「神と光とあなた」のページ。エホバの証人特有の表現である「新しい光」、「光が増した」について指摘されている。エホバの証人組織では、教理や予言解釈が代わる度に、「新しい光が差した」、「光が増し加わったことを喜びましょう」という使われ方をする。
何のことはない。都合が悪くなったり、ハズレが確定した予言解釈を訂正してごまかしているだけ。
ものみの塔の逃げ口上としては、ものみの塔の指導的立場である統治体も人間だから、誤ることがある。しかし、正しい真理の組織だから、新しい光によって正しい方向に導かれるという体裁。
ものみの塔がどんな間違いをしたのか、具体的にあげるときりがない。しかも、現在進行形で間違い続けている。
子どもの体罰を推奨し、国連NGOに加盟し、軍需関連企業やタバコ銘柄の株を所有。ブルガリアの国内事情に合わせて先行的に建前輸血解禁してみたり、ナチスに迎合しようとして返り討ちにあったり。以前は、喫煙やクリスマスをOKとしていたり。かつてのエホバの証人は教団のロゴマークに十字架を使っていた。
これらは全部、統治体が間違っていた事実。ところが、新しい光が増したので、誤りは正されメデタシメデタシということになっている。
統治体が間違っていたのは事実。これはすべてのエホバの証人が認める所。新しい光が云々言っている時点で、古い光が間違っていた光であることは、誰も否定できない。
“ものみの塔の間違った光に導かれる、哀れなエホバの証人” の続きを読む