ものみの塔の「新しい光」は間違いを犯した証拠
ネットで読めるエホバの証人解約資料の第4弾「神の経路と奴隷級」より。
「神と光とあなた」のページ。エホバの証人特有の表現である「新しい光」、「光が増した」について指摘されている。エホバの証人組織では、教理や予言解釈が代わる度に、「新しい光が差した」、「光が増し加わったことを喜びましょう」という使われ方をする。
何のことはない。都合が悪くなったり、ハズレが確定した予言解釈を訂正してごまかしているだけ。
ものみの塔の逃げ口上としては、ものみの塔の指導的立場である統治体も人間だから、誤ることがある。しかし、正しい真理の組織だから、新しい光によって正しい方向に導かれるという体裁。
ものみの塔がどんな間違いをしたのか、具体的にあげるときりがない。しかも、現在進行形で間違い続けている。
子どもの体罰を推奨し、国連NGOに加盟し、軍需関連企業やタバコ銘柄の株を所有。ブルガリアの国内事情に合わせて先行的に建前輸血解禁してみたり、ナチスに迎合しようとして返り討ちにあったり。以前は、喫煙やクリスマスをOKとしていたり。かつてのエホバの証人は教団のロゴマークに十字架を使っていた。
これらは全部、統治体が間違っていた事実。ところが、新しい光が増したので、誤りは正されメデタシメデタシということになっている。
統治体が間違っていたのは事実。これはすべてのエホバの証人が認める所。新しい光が云々言っている時点で、古い光が間違っていた光であることは、誰も否定できない。
間違った光に照らされているエホバの証人
エホバの証人は他の宗教一切を、緋色の野獣にまたがる娼婦と呼んでおとしめている。その主張に従い、仮にカトリックや他の宗教が間違っているとする。
であれば、
「間違った」という共通項を持つ統治体とカトリックの違いは何だろうか?統治体がカトリック教会より優れている根拠は?そんなモノはない。エホバの証人の主張に従い、カトリックが間違っているとしても、かつて大間違いをしていた統治体と何ら変わらない。
むしろ、ここ数百年、首尾一貫しているカトリックの方が着いていくのならまだマシ。コロコロ変わるエホバの証人の間違った光で人生を左右されるのはたまったもんじゃない。
エホバの証人からは、統治体は徐々に誤りが正されているから、統治体の方が上だという反論があるかも知れない。
であれば2000年かけて正されたカトリックの方が上。後発の統治体がコロコロ変化しているのは、時代に合わせて変えているだけ。ビジネスと変わらない。ものみの塔洗脳ビジネス七変化。あとは予言解釈がハズレて都合が悪くなったから、光が増したことにしただけ。
予言しようか、ものみの塔の今後10年。
- 以下の新しい、違う光が出てくる。
輸血解禁、同性愛解禁、選挙でものみの塔寛容団体に投票するのなら解禁。ものみの党とか出てくると、エホバの証人の組織票で当選しちゃうね。
こんなに変化しても、エホバの証人は「新しい光が~」ということで容認するの?通常の感覚ならしないよね。では、かつてクリスマスを祝ってたり、喫煙OKだったのは?それを無かったことにして、最近の変化は「新しい光~」と喜んでんのはちゃんちゃらおかしい。
ものみの塔の今後10年、別のシナリオは
- 時代に適合できず、組織崩壊
私は強くこちらを望む。
“ものみの塔の間違った光に導かれる、哀れなエホバの証人” への2件の返信