ものみの塔による寄付金流用裁判、被告側証拠資料「乙19」

恣意的引用に騙されないで

ものみの塔と裁判している件私的「勝利宣言」に、生成AI系も好評くれたんだけど、都合の悪いことも書いておいたほうがいいかなということで。

今日以降は、被告ものみの塔側が、誹謗中傷、ヘイトスピーチ、偽計業務妨害、建造物侵入罪、いろいろ原告のオイラがやらかしているって、準備書面のなかで書いてきている件。

証拠資料として私のブログを列挙、引用してきている。

ご都合主義の恣意的引用で、原告の私の心証を貶めようとする気満々なイヤーンな感じ。裁判官がまさかそんなの見抜けないはずないだろう、と思いつつも、果たしてどう転ぶのか。

まずは被告側提出の証拠資料「乙19」。原告のオレのブログっす。

「エホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うこと」という記事。

AIによるまとめ

「乙19」の概要

被告側は、私のブログ記事「エホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うこと」から一部を引用し、原告がエホバの証人の医療自己決定権を否定し、ヘイトスピーチを行っているとの主張をしています。

しかし、その引用は一部のみであり、記事全体の趣旨を正確に反映していません。

真の目的:命を救うための提言

「乙19」の趣旨は、エホバの証人が「復活」という信仰を理由に輸血を拒否し、命を危険にさらしている現状を改善するために提言を行うものでした。この信仰に基づく判断は、適切な医療判断能力が欠けていることを示しており、その命を救うために周囲が介入する必要性を訴える内容です。

「乙19」は、輸血拒否による無意味な死を防ぎたいという人道的な願いを込めて書かれています。

被告側の引用と誤解

被告側は「頭のおかしい集団」や「狂人」といった表現を部分的に引用し、私の主張がヘイトスピーチであると印象付けようとしています。しかし「乙19」全体では、これらの表現が「復活」という非合理的な信仰を問題視する背景を説明しているため、これらの言葉が使用された理由は明確です。

裁判官がこの背景を理解し、恣意的引用の影響を受けない判断を期待しています。

まとめ

「乙19」はヘイトスピーチではなく、エホバの証人の命の保護を目的とした提言です。その内容を誤解することなく、記事全体の趣旨を正しく評価していただけることを願っています。

人類愛溢れるヘイトスピーチ?

被告の出した証拠説明書によると、被告の立証趣旨は以下。

原告が、「頭のおかしい集団として、彼ら自身の生命に関わる輸血拒否の主張や要求は一切認めない」記し、エホバの証人の医療についての自己決定権を否定していること。また「エホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うこと」などという軽蔑的・差別的なヘイトスピーチを行っていること。

これヘイトスピーチじゃねぇだろ。

まず、「エホバの証人に対して愛を示す方法は」と書いていて、愛を示さねぇ日本代表のエホバの証人みたいな連中に、こちとらは愛を示してやろうとしてんだよ。

そして、関係者ならすぐ分かると思うんだけど、私が、エホバの証人「自身の生命に関わる輸血拒否」に関する自己決定権を否定している目的は、輸血拒否で無駄死にするエホバの証人の命の救済のため。

被告ものみの塔側が引用した部分からだけでも、オレの深ーい人類愛が溢れてくるんだけどな。大嫌いなエホバの証人の命まで気にかけてるんだぜ。

お得意の恣意的引用

そもそも、このエホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うことの記事を証拠として出しておいて、引用する部分はそこじゃねぇだろ。

決定的に読解力がないのか、裁判を有利に進めるためにオイラの心証を悪くしたいのか。いやらしすぎる。

「乙19」の主旨は以下。

エホバの証人が今の命を投げ捨てるのは、復活できると、とち狂ったことを信じているから。周囲の人間としては復活なんかあり得ないのは百も承知。ならば、その勘違いによる命の無駄遣いを止めるのが、周囲のマトモな人間の示すべき態度。愛のある行為。

元記事でもあえて太文字にしてるんだけどな。ものみの塔は、なぜ「復活」のことを無視するんですかね?何か都合悪いんですかね?

「乙19」の大事な点は「エホバの証人が復活を信じていること」。「復活」を無視して、「頭のおかしい集団」とか「狂人」とかだけ引用しちゃったら、そりゃヘイトスピーチみたいに見えちゃうじゃん。

私が、「頭のおかしい集団」とか「狂人」と激しい言葉を使っているのは、エホバの証人が「復活」というキテレツなことを信じているから。

いや、エホバの証人が「復活」を信じてないんなら土下座して謝りますよ。「あいつら、人間が復活するって信じてるんですよー」なんてそんな失礼極まりないウソを広めたら、そりゃけしからん誹謗中傷ですから。

「復活」を信じて死んじゃダメですよ、エホバの証人。

「乙19」は、エホバの証人の輸血拒否に自己決定権を認めてしまっている現状に一石を投じる記事。

エホバの証人は「復活」を信じているのだから、適切な判断能力を有していない、と「乙19」は極めてマトモなことを言っている。死んだ後、復活するって信じて、死を厭わずに輸血を拒否するエホバの証人は、医療に関する判断能力はない。やはり、「頭のおかしい狂人」として、周囲の適切に判断できる人間の助けが必要なんですよ。

そもそも「乙19」には以下の文もあるんですけど、この辺は争わなくて良いんですかね。被告側は。

諸悪の根源は、目立ちたいから命がけで輸血拒否するように信者を扇動しているものみの塔。エホバの証人たちは、無根拠な輸血拒否教理のために不毛に死んでいる。

宗教というカラを被っているカルトのエホバの証人。化けの皮を剥がせば、組織のためなら子どもに死をも強制する殺人集団。子どもや信者の自由意志を奪い、食い物にする収奪の仕組み。

輸血拒否で生命を否定するのが形骸化した宗教である証拠。生きることを否定する宗教など、信ずるに値しない。有害でしかない。


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