03.恥と痛みに満ちた、エホバの証人2世の少年期

エホバの証人2世の自殺未遂

私には強い自殺願望があった。かつてエホバの証人2世として地獄の日々を送っていた頃のこと。14才の秋にエホバの証人をやめたので、物心ついてから中学2年生になるまでの間。

最初の自殺未遂の記憶は、手に包丁を握っている瞬間。まだ幼児か小学生の低学年だと思われる頃。手に握った包丁を自分の体に向けている。台所の流し台の下から持ち出した包丁を、自分の体ぎりぎりまで近づけ、刺したら死ぬなと思っている。結局、自傷もせずにそっと包丁を戻した。

腹を十字に切って、心臓を突き刺すくらいでないと、包丁で死ぬのは難しい。無論、子どもの私にはそんな物騒な知識は無かった。力もないので自分を刺し抜くなんてこともできなかっただろう。

単なる子どもの悪ふざけだが、相当に怖い、恐ろしい、気味の悪い悪ふざけだ。自分の子どもが同じことをしていたら、どう感じるだろうか?

2番目の自殺未遂は中学生のとき。私は、トラックが走り抜ける国道を自転車で走っている。後ろからトラックが近づき、自転車に乗る私の体のそばを猛スピードで走り抜けていく。

少しでも自転車のハンドルをトラック側に切れば、私の体はトラックに潰され、引きちぎられるだろう。何度も近づくトラックに向けて、自転車のハンドルを切ろうとした。実際に自転車のハンドルを切ったことも何回かある。その度に、今一つ思い切りが悪く、大きくハンドルを切れなかった。

ほんの僅かの差で、私は今、生き残っている。最悪の決断と選択である自殺で、一生を終えることがなく、本当に良かったと今では思う。

エホバの証人の命の価値は・・・

幼児の私は包丁を持ち出して、自分の体に突き立てようとしていた。この理由は今となっては定かではない。

エホバの証人2世として、炎天下や雪の降る中を、来る日も来る日も伝道活動で連れまわされるのが嫌だったからか?エホバの証人2世としての来たる地獄の小学校生活を予見していたからか?

どちらでもなく、ただの子どもの悪ふざけだったように感じる。気味の悪い、行きすぎた悪ふざけなのだが、このふざけすぎにはしっかりとした理由がある。

エホバの証人にとって、命の価値は尋常でなく軽い。人間の命など、エホバの証人にとって吹けば飛ぶようなもの。なぜか?エホバの証人はエホバの証人以外の人類は皆、滅ぼされるとマインドコントロールされているから。

エホバの証人でない人は誰もが、優しいおばあちゃんや親族のおじさん、学校の先生、隣の家の人、誰もがもうすぐ、神により滅ぼされ死ぬ。

エホバの証人は、今すぐにでもその終わりの日、ハルマゲドンが来るとマインドコントロールされている。エホバの証人にとって、エホバの証人以外の人類全員の命が短い期限付き。

エホバの証人の子どもにとっても、命は低価値・短期間。ゆえに自分の命も吹けば飛ぶほどに軽い。包丁で突き刺してしまえるレベル。

エホバの証人中学生の地獄絵図

私の中学生の時の話。道路に飛び出して死んでしまおうとしたときの話。これにはハッキリとした理由がある。学校で恥をかきたくなかったから。

エホバの証人2世だった私は、学校のクラブ活動への参加が許されていなかった。学校の活動より、ものみの塔の活動を当然優先すべき。両親にそう強制されていた。

私の中学校の男子生徒は全員、体育系のクラブに所属していた。地区大会が迫ると、出場選手は体育館の前方に並び壮行会が開かれる。上級生になると、男子生徒ほぼ全員が地区大会に出る。不参加の私は一人、女子生徒に交じり体育館の後方から応援する側に回る。私は、これが嫌で嫌で仕方がなかった。

エホバの証人は、神エホバ以外の誰かを支持することが許されていない。つまりは応援も禁止という、強引なロジックで応援活動一切が許されない。野球の試合を見ても応援してはいけない。どこからが応援になるのかは微妙なラインなのだが、応援歌や校歌の合唱、メガホンを振ったりは絶対NG。

壮行会では、女子生徒に交じり、私一人が男子生徒、なおかつ応援行為もできず、一人座っているというダブルショックの地獄絵図。これが私は恥ずかしくてたまらなく、そんなことならトラックにひかれて死んでしまえ、という発想に至る。

大人になった今になると下らないことなのだが、思春期の少年にとっては超重要なこと。さらに、エホバの証人として特殊な学校生活を送っていたため、自意識が過剰で他者の視線が恐ろしかった。エホバの証人であるという決定的な弱みがあるのに、それ以上自分の弱みを周囲にさらしたくなかった。

エホバの証人に自殺者が多い理由

私には、自分自身がハルマゲドンで滅ぼされるだろうという認識があった。この頃の私は隠れた自慰行為に目覚めており、これはエホバの証人の禁止行為。これは私がハルマゲドンで焼き尽くされる十分な理由。

また親の手前、表面的にはエホバの証人だったが、心の中では、神や親やキリストやものみの塔を呪っていた。これもハルマゲドンで滅ぼされるに十分な条件。目前に迫る終わりの日、ハルマゲドンを私が生きて通過できる見込みはゼロ。そして、そのつもりもなかった。

どうせ長い命ではないのだから、生き恥をさらすよりはトラックにひかれてあっさり死んでも構わない。私の自殺願望はこうして生まれた。エホバの証人2世にとって命は異常に軽く、そして学校生活の重圧は命の比にならないほどの辛さ苦しさ。エホバの証人に自殺者が多いのは必然。

エホバの証人の子どもを縛る、ものみの塔の禁止事項

エホバの証人の子どもは、少しでも攻撃性や悪魔性のあるテレビゲームは禁止。結果、テトリスのような純粋なテレビゲームくらいしかできない。

そもそも信者の親は子どもにファミコンなど買い与えないし、パズルゲームでも、ステージの合間に敵を倒していくようなおまけ的なシーンがあるだけでいちゃもんを付けてくる。

エホバの証人は霊魂や幽霊の存在を否定しているので、当時流行っていたキョンシーの真似をして跳ねることも許されなかった。また、戦闘的・暴力的なこと一切を禁止しているので、モデルガンでの撃ち合いやおもちゃの刀を振り回すなんてことも許されない。

こういったエホバの証人ルールに逆らうと、「懲らしめのムチ」という体罰を受ける。禁止のはずの暴力で返って来るエホバの証人の不思議。

さらに不思議だったのは、聖書に出てくるヨシュアやダビデのような英雄は武装し、敵と戦っていた。それが現代人のエホバの証人には許されない。

エホバの証人にとっての異教とは・・・

ものみの塔は、エホバの証人以外のすべての宗教を邪教とみなし、教団の宗教本で積極的に攻撃している。ものみの塔は、ヒンズー教やイスラム教、仏教、神道などの異教を上げ連ねて批判する書籍を出版していた。

当然、エホバの証人の家には神棚や仏壇が無い。日本独特の神仏習合というおおらかさをも矛盾であるとして、エホバの証人は認めない。

エホバの証人は、仏式の葬式や神前での結婚式など、親族の行事に参加することも禁止。そのため、親族の死に目や門出に際して冷酷な態度をとっていると判断され、疎遠になっていく。

エホバの証人にとって、異教に由来する行事すべても禁止。正月飾りに始まり、節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、エイプリルフール、鯉のぼりや五月人形を飾ること、七夕、お盆の墓参り、ハロウィン、七五三など、それらのすべてが禁止。

ものみの塔はクリスマスや復活祭も禁じている。自称キリスト教のくせに、カトリックやプロテスタントなども異端としているから。

ものみの塔は自身だけが真理だとして、他の宗教を一切認めていない。信者に対して他の宗教には一切接触しないように求めている。

エホバの証人2世の苦痛に満ちた少年時代

私は、小学校の毎日の給食の合掌、国家、校歌の斉唱、クリスマスや節分などの行事、そういったモノすべてに参加できなかった。他の宗教に由来するモノや、神エホバ以外に敬意を払うことをものみの塔は禁じているため。

週に3日もある王国会館の集会へ通う日には、その予習のために友達と遊ぶことはできない。

この頃は土曜日の午前中は学校の授業があったのだが、土曜日の午後もエホバの証人の布教活動に連れて行かれるので、友達とは遊べなかった。日曜日も、午前中はエホバの証人の集会へ連れて行かれるし、午後は教団の布教活動。

何の楽しみもない子ども時代だった。

エホバの証人だけで行われるレクリエーションと呼ばれるものだけが唯一の楽しみ。それも2ヶ月から3ヶ月に1回あるかないか。そのレクリエーションの記憶もエホバの証人というカルトにまつわるモノ。今となっては汚らわしい記憶の一端。

エホバの証人は、まもなくこの世の事物の体制が終わるとマインドコントロールされている。そのため、今を楽しむという発想が皆無。

エホバの証人は、来るわけがない将来の楽園での永遠の命という幻想に身を委ね、人生のすべてを賭けている。貴重な若い今だけの時間、子どもが幼い貴重なとき、それらすべてを投げ打ってしまう。

狂気の沙汰だが、本人たちは至って自分たちは正常だと思っている。文句をつける人たちすべてが、悪魔の誘惑の手先だとマインドコントロールされている。そのため、何を言っても通じない。

エホバの証人の子どもの恐怖の豆まき、恥と痛みの記憶

エホバの証人2世の子どもは、ほぼすべての伝統行事への参加が禁止される。ほとんどが何らかの宗教に由来するモノだから。

子どもの頃の私は、こういった行事が学校で行われる度、寂しく心細い思いをした。これが小学校の高学年になると恥の感情に近づいていく。自分は他の人と違って特殊ということがとても苦痛だった。

節分の豆まきのために、教室の後方に下げられた机の群れの中で、私だけが自席に座っている。すべての机を下げたために自分の席のスペースが狭く、机がお腹に密着している。

周囲の机が迫ってきて、自分の腹が押しつぶされているような感覚に襲われる。その痛みと重みを腹に感じながら、嬌声を上げて節分の豆をぶつけ合っている同級生を見ていた。

逆に同級生から見られたり、ふざけ半分で豆をぶつけられたりすることがないよう、できるだけ目立たないようにしている。誰も私に気づかないでくれ、と願う。

「鬼は外!」「福は内!」

鬼ではなく、私が外に出ていきたい気持ちになる。自分はのけものだという思いが強烈に広がる。

僻地への転居は、ものみの塔のため

私が小学校高学年になるときに、一家で田舎へ引っ越すことになった。両親それぞれの実家の間に転居。1990年代初頭のこと。

地方の田舎はエホバの証人が少なく、ものみの塔にとって”必要の大きな所”とされていた。深いマインドコントロール状態にあった両親にとって、田舎で熱心に布教活動を行うということは重要なことだった。

また、両親は、私が多感な少年期を迎えて都会にいると、”この世”の誘惑に晒されるという思いもあった。そのため、”この世”の誘惑が少なそうな田舎に引っ越すことを選んだ。

果たして、これが良かったのか、悪かったのか。思考を停めたエホバの証人の行動は常に浅はか。

私は10代半ばになると、見渡す限り田んぼしかないこの田舎町が大嫌いになった。こんな所を離れたいという思いも相まって、エホバの証人をやめて、親元を早々に離れるのだ、という強い決意を固めた。

小学校高学年の引越しが、私が14才でエホバの証人をやめることができた原因の一つ。

ものみの塔によって仕組まれた予言

両親が、自分たちの実家の近くに住んだのにはまた別の理由がある。両親は自分たちの親をエホバの証人組織に導こうとしていた。

まもなく終わりの日、ハルマゲドンが来るとエホバの証人はマインドコントロールされている。私の両親も同じく、完全にものみの塔のマインドコントロール下にあった。

そのハルマゲドンを生き残れるのはエホバの証人だけ。ハルマゲドン後の地球は、楽園に造り直される。エホバの証人たちは、その地上の楽園で永遠に生きられるという設定になっている。

私の両親は、自分たちの祖父母と共に楽園に入り、永遠の命を享受したいと本気で願っていた。マインドコントロールの恐ろしさ。永遠に生きられるということを信じて疑わない。

明らかなに思考状態が異常なのだが、傍からそれを指摘してもエホバの証人は耳を貸さない。なぜなら、そういった外部からの攻撃はすべて悪魔サタンの攻撃、誘惑だ、とものみの塔に先手を打たれ、信じ込まされているから。

ものみの塔は、終わりの日が近づいてサタンは攻撃の手を強めている、あなたにとって身近な人ほど、エホバの証人という真理に対して強く反対する、と予言めいた言い方をする。

そりゃ当然。愛する家族がカルトにかぶれてバカなことを言い出したら、身近な人ほど強く反対するに決まっている。

続きは、04.エホバの証人2世の灰色の小学校生活