ものみの塔による寄付金流用裁判、被告側証拠資料「乙20」

ものみの塔提出の証拠資料「乙20」

ものみの塔と裁判している件。被告のものみの塔が証拠資料として、私のブログ記事を山ほどあげている。

塔弁護士は、オレよりオレのブログにお詳しいようで。

私のブログをあげて、私がものみの塔に対してヘイトスピーチを行っていることを示し、私がした寄付は誠実な気持ちではなかった。当初から返金を要求するつもりだったので、今回の訴訟は訴権の濫用だー。としたいらしく。

それと、お前らの児童性虐待訴訟への寄付金流用にいったいなんの関係があんのかね?

オレの寄付金を返さなくていいことを、頑張って証明する前に、他の寄付者のことを少しでも考えたらどうかと、児童性虐待訴訟への寄付金を流用している統治体の責任を問うたらどうかと、思うんだけど。

AIによる要約

現在進行中のものみの塔との裁判において、被告であるものみの塔が提出した証拠資料「乙20」に触れます。この証拠資料は、私のブログ記事を切り取った形で引用し、私がヘイトスピーチを行っているかのような主張を立てています。

例えば、被告側は以下の部分を抜き出し、「原告がエホバの証人の基本的人権を否定している」として引用しています

  • 「エホバの証人に権利とか自由は必要ない、なぜなら・・・」

  • 「エホバの証人として生きている愚かすぎる者たちに自己決定権などない」

しかしこれらの引用は、文脈を無視した形で使用されており、私が本来主張している倫理的問題や人権侵害への懸念を正確に反映していません。「なぜなら」の後の具体的な理由や背景が無視されている点は、非常に恣意的であり、信頼性を著しく欠いています。

さらに、引用部分を通じて私がヘイトスピーチを行ったと印象づける試みは、根拠に乏しいと言わざるを得ません。本来の記事の内容は、子どもの人権を守ること、そして宗教的信念が子どもに与える影響について、建設的な議論を提起するものでした。

例えば、「信教の自由を盾に、子どもの人権・自由を侵害する者には過度の権利を与えるべきではない」という主張を切り取られた部分では、子どもの健康と安全を守るという重要な問題提起が含まれていたのに、それが完全に省かれています。

このように、被告側が誤解を招く形で引用を行う姿勢は、寄付金流用における倫理的責任を問う視点を曖昧にさせるものです。

そんなのじゃ、信者も騙せないぜ

というわけで、今日は被告ものみの塔側証拠資料「乙20」『エホバの証人に権利とか自由は必要ない、なぜなら・・・』という原告の私のブログ記事。

被告ものみの塔側の提出した証拠説明書によると、「乙20」の立証趣旨は以下。

原告が、「カルト信者に自由や権利など必要ない」「エホバの証人に親権など与えるべきではない」「自己決定権などない」などと、エホバの証人の基本的人権を否定していること。

いやぁ、タイトルとこの部分だけを引用して何かを立証できるという頭の構造を疑うわ。さすがエホバの証人。

あと、自分でエホバの証人をカルト信者ってことを認めた書き方だよね。上の書き方だと。

タイトルがさ、『エホバの証人に権利とか自由は必要ない、なぜなら・・・』って、わざわざ「なぜなら」って、私のこの極端な主張には、それなりの理由があることを分かりやすく示しているのに、なんでその理由、「なぜなら」の後を無視するのかね。

都合の悪いことでもあるんでしょうね。

こんなエロ―い、いやらしさ抜群の恣意的引用じゃ、信者も騙せないぞ。

カルトだったのか、やはり

被告ものみの塔側は、準備書面でも私のブログの一部分を切り取って引用している。

エホバの証人の基本的人権を否定しているとして、

カルト信者に自由や権利など必要ない

という見出しを引用。ここはエホバの証人とは書いてないけど、なんか思い当たることでもあるんですかね。

ものみの塔が、公式にエホバの証人をカルト信者と認めたってことで良いですかね。

そもそも、見出し部分を切り抜いてつべこべ言われても、エホバの証人とは名指しで書いてないじゃん。手段を選ばないイヤーンな感じ。さすがエホバの証人。

せめて文の直前、直後は無視するなよ

続いて以下。

自分で選んだ道がどこまでも愚かな道であるエホバの証人に、親権など与えるべきではない。

エホバの証人親を持ってしまった子どもにとって、これは、ごもっともじゃない?

だけど、本来は以下の文章。

信教の自由を盾に、子どもの人権・自由を侵害する者に過度の権利を与えるべきではない。自分で選んだ道がどこまでも愚かな道であるエホバの証人に、親権など与えるべきではない。

なんで、ものみの塔は後半だけ引用するんですかね?

信教の自由を盾に、子どもの人権・自由を侵害しているからですかね?まぁ、オレなんか子どもの頃、輸血拒否で殺されかけたからな。ものみの塔が掲げる輸血拒否教理を厳守するエホバの証人親によって、人権・自由を侵害されまくったわけなんだけど。

続いて、以下の引用。

エホバの証人として生きている愚かすぎる者たちに自己決定権などない。

うん。暴論。ここだけ読むとね。

↑みたいなことを書くと、連中、「うん、暴論。」だけ引用して、「原告自ら、原告の主張が暴論でありヘイトスピーチを行っていたことを認めていたのであり」なんで、おバカなこと言い出すから。

そんなわけないって。

決定的に読解力が足らないのか、それとも、ものみの塔の読み過ぎで自分にとって都合の悪い部分は自動的に見ざる聞かざる状態で恣意的引用に走る体質になっちゃっているのか。

もしくは、見え見えすぎてもはやエロいんだけど、原告の私を貶めて、心証を悪くしようとか、強引にヘイトスピーチ野郎にでっちあげたいとか。

ここも本来の文章は以下。

エホバの証人として生きている愚かすぎる者たちに自己決定権などない。「輸血せずに死にます」とか言おうが関係なく輸血すればいい。相手にするのは時間の無駄、医療資源の無駄。

「輸血せずに死にます」って言ってたら、そりゃ正常じゃない。愚の骨頂。正常な判断能力をもってないんだから、当然、自己決定権はない。

「輸血せずに死にます」なんてエホバの証人は言わないって反論が、簡単に予想できるんだけど、「輸血しないと死ぬとしても輸血しない」わけなんだから、同じこと。

「輸血しないと死ぬ場合は輸血する」んだったら、良いんだよ。正常な判断能力あり。自己決定したまえ。しかし、エホバの証人はそうじゃないだろ。

世間に対し、エホバの証人への優しさを求める「乙20」

というわけで、カルト信者エホバの証人には、やはり自由な自己決定権や親権といった権利を与えるべきではない。この明確な理由が、「乙20」のものみの塔が無視している部分ではうたわれている。

しかも、「乙20」は以下のように続く。

ただ、ここまでやると過激すぎて賛否両論というか、こんな意見への賛同者は少ない。だから、まずは子どもの保護から。宗教強制親の親権は停止せよと。

うん?なんでこのバランス部分を無視して、ものみの塔は「ヘイトスピーチガー」とか言うのかね?こんな恣意的引用を繰り返してたら信頼を得られないことも理解できないのかな?

宗教強制親の親権停止は当たり前。信教の自由を盾に、子どもの人権・自由を侵害しているから。輸血拒否で子どもの生命を脅かしているから。

さらに、「乙20」は以下のように続く。

エホバの証人なんて騙されてマインドコントロールされているから、自分の意思なんてとうに放棄、失っている。自分の頭で考えることなど全くできていない。そういう意味では実は子ども以下。

エホバの証人は子ども程度の判断能力すら有さない。そんな者たちに対しては、自由とか自己決定権などを認めず、周囲がサポートしてやるのが、本来の寛容さ、優しさ、それこそ成熟した社会だと私は思うのだが。

マインドコントロール云々はもめるので、ここは「復活信仰」で置き換えよう。

エホバの証人は、「人間が復活する」とガチで信じている。はい。これは子ども以下の判断能力。幼児ぐらい。そんな連中だからこそ、世間は、寛容さ、優しさを示しサポートしろって、「乙20」は言ってるんだよ。

ものみの塔は、この「乙20」を曲解引用して「ヘイトスピーチガー」ってやってきたわけで。ちょっと信じられないっしょ。さすがエホバの証人。いやぁ、「復活」を信じてて正常な判断能力をもってない人たちは、ひと味違いますよね。


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