「雪だるま禁止」から見えるエホバの証人の全体主義。“ふさわしさ”教―思考停止の連鎖

エホバの証人の上意下達構造

「雪だるま禁止」は組織の構造から生まれる

昨日の記事の続き。元エホバの証人2世だった私の子どもの頃の特殊事例「雪だるま禁止」からあぶり出すエホバの証人全体の極悪さ。

「雪だるま禁止」は、単なる親の厳しさや家庭の特殊性では片付かない。むしろ、そこにこそエホバの証人という組織の構造的な危うさが凝縮されている。

なぜなら、こうした“禁止”は、個人の判断ではなく、組織内の空気や上層部の発言によって簡単に広がっていくから。

マインドコントロール教育の現場で起きること

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エホバの証人の「ふさわしいでしょうか?」という思考停止

エホバの証人の思考停止

子どもの雪遊びが“信仰の踏み絵”になる世界

「雪だるまを作るのは、ふさわしいことでしょうか?」 これ、エホバの証人親が子どもに向けて本気で言うセリフ。いや、ただの雪の塊なんだけど。しかし、連中の世界では、これが“信仰の踏み絵”になる。それが「ふさわしさ」という名の思考停止。昨日の記事の続き。

「義の民」としての強迫観念

エホバの証人の世界では、「偶像崇拝」は絶対にNG。しかし、それだけでは終わらない。連中は“他人の目”を異常なまでに気にする。「義の民」として模範的にふるまわなければならないという強迫観念が、日常のあらゆる行動を縛ってくる。

たとえば、子どもが雪だるまを作っているのを、近所の人が見たらどう思うか?「あの家、偶像を作ってるぞ」と思われるかもしれない。実際には誰もそんなこと気にも留めないんだけど。しかし、連中は自分たちがどう見られているかを異常に気にする。

自意識のかたまりが集まるとこうなる

逆に言うと、そんな感じの自意識のかたまりみたいなのが、集まってできている宗教団体なのかも知れない。また、「常に模範的であれ」みたいな、実は社会人として当たり前なことを、変な角度で信者に叩き込むから、こんな異常な出来に仕上がってしまうとも言える。

信者同士の相互監視地獄

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「雪だるま禁止」と“1Q84年”の記憶、「その親が特別厳しかった」という問題ではない。

「雪だるま禁止」

子どもの遊びが「偶像崇拝」になる世界

雪だるまを作れないエホバの証人2世の子ども、諦めと許しと

日本中が記録的な大雪に見舞われた1984年。まさにジョージ・オーウェルの小説『1984』の年。支配と監視、二重思考の象徴として語られるこの年に、私の中でも忘れがたい記憶が刻まれた。

『一九八四年』塔から与えられればどんなに愚かなことでもそのまま信じられるエホバの証人

当時、雪だるまを作ろうとした私を待っていたのは、エホバの証人親による制止。理由は「雪だるまは偶像だから」。おいおい、ただの雪の塊だろ。

エホバの証人の子どもは雪だるま禁止だったのか?

私の例は極端で、我が家のエホバの証人親がとくに厳しくて、雪だるま禁止だった。だから、エホバの証人全体の問題とみなすのはどうのこうの、みたいな意見をチラリズムしたんだけど。

浅いって。

なんで、そこをエホバの証人批判に持っていかないのか?まだ治ってないんですか?

エホバの証人親に漂白剤飲まされたとか、背中に「Jehova」ってタトゥー彫られたとかなら、それはその親の問題であり、エホバの証人全体の問題ではない。

しかし、「雪だるま禁止は、普通にエホバの証人全体の問題。「その親が特別厳しかったから~」で片付く問題ではない。

子どもの遊びにまで及ぶ宗教的制限

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自称現役エホバの証人の大妄想。激辛な現実を直視できない人が陥る“甘い地獄”

痛い現実

現役エホバの証人の限界シグナル

最近見かけた自称現役エホバの証人の行動を見て、思わず目を疑った。現実を直視できず、肥大化した妄想に逃避し、相手が誰であれ自分の望む属性を勝手に貼り付けてしまう——そんな認知の歪みが、あまりにも露骨だったから。

こうした反応は、単なる「性格」や「個人」の問題ではない。むしろ、長年の宗教的拘束が積み重なった結果として生じる、思考の限界サイン。精神があげる悲鳴。

現実から逃避し、誇大妄想に浸る。顔も知らない相手を、自分の望む属性に勝手にはめ込む。これが、思考が限界まで追い詰められているサイン。

マインド・コントロールされやすい人が、エホバの証人になった?

目を背けざるを得ない”過酷な現実”

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エホバの証人は体罰宗教だと、出典付きで断言する。体罰宗教の証拠4冊分

エホバの証人の体罰

肥大化する体罰記述

仮想エホバの証人とのWikipediaの編集合戦。2021/10頃の記録。昨日までの記事の続き。

エホバの証人のWikipediaの「主な行動様式」の項目。エホバの証人の体罰について。編集合戦を経て言いわけがましくなってきていて、だんだんと記述が長くなってきている。その影響で目立つようになっていて、まぁ、体罰宗教なんだから当然。

エホバの証人の体罰の証拠

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仮想エホバの証人、ネタ切れか?Wikipedia編集合戦2021

エホバの証人のWikipediaで編集合戦

“むち棒”解釈の自己正当化ロジック

エホバの証人のWikipediaが、仮想エホバの証人によって都合よく書き換えられているので、訂正している。昨日の記事の続き。2021/10頃のことで、記憶も薄れてきているので、念のため記録化。

エホバの証人の「主な行動様式」に下記の記述がある。

親が子どもをしつける際にお尻をたたいていたという児童への体罰を指摘する書籍もあるが、日本基督教団の川島 (2019) はこうした虐待行為は「正統」とされる教会でも繰り返し起こっているから、この団体固有の問題とは言えないと指摘する。また、エホバの証人の信者向け資料では、「聖書で用いられている「むち棒」という語は,もっぱら体罰を意味するとみなす必要はありません。どんな形を取るにせよ,矯正の手段を意味しているのです。実際,子どもの間違った歩みを正すのに,言葉だけで十分な場合も多々あります」と載せている。

長々と書いて、エホバの証人の体罰を正当化しようとする姑息さが垣間見える。しかし、この記述そのものが、エホバの証人が体罰という児童虐待を容認する宗教虐待組織である根拠。

中立編集者による加筆

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仮想エホバの証人の“むち棒”解釈とは?普通の読解力ありますか?

エホバの証人の体罰

現実離れした気に喰わないWikipediaの記述

エホバの証人のWikipediaが、仮想エホバの証人によっておそらく情報操作されているので、正しく直している件。昨日の記事の続き。2021/10頃のことで、だいぶ記憶もあやふやなのだが念のため記録化。

エホバの証人の「主な行動様式」の下記の記述。

親が子どもをしつける際にお尻をたたいていたという児童への体罰を指摘する書籍もあるが、日本基督教団の川島 (2019) はこうした虐待行為は「正統」とされる教会でも繰り返し起こっているから、この団体固有の問題とは言えないと指摘する。

なんか全然気に喰わない記述なんだけど、しばらく目を離しているとこんな状態にされる。

「児童への体罰を指摘する書籍もあるが」じゃなくて、現在でもエホバの証人の公式サイトは体罰推奨してるんだけどね。

追記された“むち棒”の解釈と、その意図

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仮想エホバの証人 vs 500発打たれた尻:Wikipedia編集戦争の記録

体罰というエホバの証人の行動様式

「主な行動様式」にひっそり記載?エホバの証人の体罰

エホバの証人のWikipediaが、おそらくエホバの証人によって操作されているので、正しく直している件。この記事の続き。2021/10頃のことで、だいぶ記憶も曖昧なのだが記録化。

エホバの証人のWikipediaにあった以下の記述。

むち棒を行使して子供を監督する責任を神のみ前で負っているとして、以前はお尻をたたかれて躾けられた子もいたが、現在は不明。

児童への体罰を指摘する書籍もあるが、日本基督教団の川島 (2019) はこうした虐待行為は「正統」とされる教会でも繰り返し起こっているから、この団体固有の問題とは言えないと指摘する。

これが「主な行動様式」にチラッと書いてあるだけで、こんな由々しき事柄を小さく書いておくなよ、ということで「特筆式な事柄」へ移動。「体罰問題」という小項目を設けて目立つように。

でないと、通算500発は叩かれたオレの尻が納得しない。

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エホバの証人の“情報浄化”:誰が“真実”を編集しているのか

エホバの証人のWikipediaが操作されている

エホバの証人のWikipediaが、おそらくエホバの証人によって操作されているので、正しく直している件。

たまに見に行くと、ひどい情報操作状態になっているので訂正。

エホバの証人たるもの、世間からどう見られようか気にも留めず、「世の者ではない」とか言っているはずなのに、どうもそうでもない中途半端な連中がSNSやサイバー空間に散見される。

ちょっとでも世間から良く見られたいのか、Wikipediaを都合よく書き換えたり、現役エホバの証人を名乗りつつもSNSで虚栄心に満ちた投稿しているのがいたりと。

そんな、はぐれ信者のことはどうでもいいのだが、Wikipediaが情報操作されているのを放っておくわけにも行かないので、Wikipediaを訂正している。

エホバの証人のマインドコントロールを、Wikipediaで解除する

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エホバの証人による寄付金流用裁判、ものみの塔側証拠資料「乙50」-その3

乙50

「嫌がらせ」じゃねぇっつーの

ものみの塔と裁判をしている件。控訴審中なのだが、第一審でものみの塔側が私のブログを証拠資料として大量提出している。そのうちのひとつ。乙50号証「エホバの証人の大会潜入記:過去と現在の葛藤、子どもたちの悲痛な叫び」。

ものみの塔は、私の一連の活動を「嫌がらせ」と主張している。私の一連の行動が単なる「嫌がらせ」でないことは、ものみの塔側が提出している乙50から明らか。以下、ボツった私の裁判用の反論の下書きから。

※原告というのが私のこと

原告自身が少年の頃、エホバの証人の信条である輸血拒否を強制され、生死を危険にさらす経験をしているという生い立ちから、エホバの証人という宗教が人身に有害であるという信念を持っている。目の前の命を粗末にする宗教を見逃すことができないという一念で一連の活動を行っている。決して、嫌がらせが目的ではない。

ここまで。

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