現役エホバの証人の限界シグナル
最近見かけた自称現役エホバの証人の行動を見て、思わず目を疑った。現実を直視できず、肥大化した妄想に逃避し、相手が誰であれ自分の望む属性を勝手に貼り付けてしまう——そんな認知の歪みが、あまりにも露骨だったから。
こうした反応は、単なる「性格」や「個人」の問題ではない。むしろ、長年の宗教的拘束が積み重なった結果として生じる、思考の限界サイン。精神があげる悲鳴。
現実から逃避し、誇大妄想に浸る。顔も知らない相手を、自分の望む属性に勝手にはめ込む。これが、思考が限界まで追い詰められているサイン。
マインド・コントロールされやすい人が、エホバの証人になった?
目を背けざるを得ない”過酷な現実”
この背景には、本人が目を背けざるを得ない“過酷な現実”が積み重なっている。
-
永遠に来ない終末を待ち続けた空白の時間
-
宗教的拘束で許されなかったキャリア形成
-
風が吹けば飛ぶような経済的基盤
-
将来設計という概念すら持てない不安定さ
-
閉じた人間関係の中で深まる孤立
-
そして、「社会から取り残されている」という圧倒的な劣等感
痛い現実と甘い妄想
こうした劣等感が肥大化すると、“恋愛や性の領域での未達成感”に異様なほど執着し、そこを埋める妄想に逃げ込む。本人にとって、それが最大の痛点だから、現実より妄想のほうが都合がいい。妄想は裏切らないし、都合よく書き換えられる。しかし、現実はそうはいかない。
現実を直視できないほど追い詰められた思考は、やがて妄想だけを肥大化させ、世界の見え方そのものを歪ませる。
「自分は選ばれた側だ」「相手は自分を好いているはずだ」「もうすぐ終わりが来る」—— そうした願望の投影が、現実の上に厚く塗り重ねられていく。そして、
気づけば妄想世界のほうが“本物”になってしまう。現実は痛い。妄想は甘い。だからこそ、戻れなくなる。
悲劇を生む宗教構造
こうした悲劇は個人の弱さだけでは説明できない。 むしろ、宗教依存の構造そのものが、こうした精神状態を生み出す土壌になっている。
閉じた世界で、外部情報を遮断し、終末を刷り込み、従順さを求め、キャリアも人間関係も奪う。その結果として、現実に適応する力が削がれ、妄想に逃げるしかなくなる。しかも、現実は激辛ときている。もう妄想するしかなくなる。
これは“哀れ”という言葉では片づけられない。構造的に人を壊していく宗教依存のメカニズムこそ、最大の悲劇であり、最大の毒。


