エホバの証人がパスワードにまで使っちゃう「1914年」。そんな1914年”だけ”が人類史に刻まれる年ではないということを示すために、Copilotと対話。
私「近世以降で人類史に刻まれる年は西暦何年ですか?」
“Copilotとの対話「人類史に刻まれる年は西暦何年ですか?」” の続きを読む
エホバの証人がパスワードにまで使っちゃう「1914年」。そんな1914年”だけ”が人類史に刻まれる年ではないということを示すために、Copilotと対話。
私「近世以降で人類史に刻まれる年は西暦何年ですか?」
“Copilotとの対話「人類史に刻まれる年は西暦何年ですか?」” の続きを読む
1914年を異常に重視している人たちがいて、それがカルト宗教エホバの証人の人たち。1914年を異常に重視し続けているせいで、つじつまが合わなくなりつつあるのだけど、「そんなの関係ねぇ!」って盲信を続けるのがカルト信者なわけで。
その人たちが1914年だけを異常に重視している理由は、教団側がそういう指導をしてきたから。
たとえば、次のエホバの証人の宗教誌「ものみの塔」1984年7月1日号『1914年 顕著な年-なぜ?』。1914年が顕著な年な理由は、「神の支配権」がどうのこうのというギャグなのだが、こういうのを本気で信じるのをカルト信者という。
“エホバの証人の使うパスワードが「1914」な理由” の続きを読む
ものみの塔と裁判をしている件。ものみの塔側が山のように私のブログを証拠として提出している。そのうちのひとつが乙47号証「エホバの証人(JW)の大会へ潜入、児童相談所に電話」。
ものみの塔側の証拠説明書より、以下が立証趣旨。原告というのが私のこと。
原告が、有明アリーナで開催されたエホバの証人の大会へ潜入したが、落ち着いて話を聴くつもりはなく、児童相談所に通報したこと
だから、何だって話なんだけど。
児童虐待の疑いに関する通報は、明確に公益目的に基づく行為であり、「嫌がらせ」ではなく「公益通報」に該当する可能性が高い。むしろ、通報を問題視する姿勢こそが、公益性を軽視している。
続いて、ものみの塔側の裁判の準備書面より。被告というのがものみの塔のこと。
被告及び関連団体は、聖書に基づく話を聞きたい人のために大会を開催しているのであり、嫌がらせ目的での立ち入りを許容していない
「落ち着いて話を聴くつもりがない」という点と「嫌がらせ目的での立ち入り」というのを問題視している様子。
誰でも参加可能としている大会において、「落ち着いて聴くつもりがない」ことが、なぜ問題視されるのか。その論理的根拠が不明。落ち着いて聴こうが、ソワソワしながら聴こうが、こちらの勝手。仮に途中で退席したり、違和感を覚えたりしたとしても、それは個人の自由な感受性の範疇であり、違法性や不当性を構成するモノではない。
そして、潜入目的は「嫌がらせ」ではない。エホバの証人による児童虐待の証拠を抑えるという公益性のある行為。
“エホバの証人による寄付金流用裁判、ものみの塔側証拠資料「乙47」” の続きを読む
現在、私はものみの塔と裁判をしている。ものみの塔側が提出した証拠資料、私のブログ乙46号証「エホバの証人の大会潜入記:児童相談所への通報を目指して」。そこに書かれていた私の“潜入目的”と、ものみの塔側が主張する“潜入目的”が、まったく違う件について、昨日の記事の答え合わせ。
ものみの塔側が捏造した私の大会潜入目的が以下。
次の3つが、ものみの塔自身が証拠提出した乙46号証に、私が書いた潜入目的。
大会のプログラムに飽きた子どもが、親に体罰を受ける瞬間を押さえること。まさか、トイレの中で録音とかできないから、トイレの外で待機していて、「ピシっ、うぇーん」と叩いて泣かす瞬間を録音するとか。
いっそのこと、懲らしめ後に話しかけて「鞭何使っているんですか?励まされますぅ。うちにも同じくらいの子どもがいまして。何会衆の方ですか?」と証拠を固めて、その場で児相へ通報。
どこがものみの塔によって捏造されているのか。
“エホバの証人による寄付金流用裁判、ものみの塔側証拠資料「乙46」-その3” の続きを読む
ものみの塔と裁判をしている件。ものみの塔側が私のブログを大量に証拠資料として提出していて、そのうちのひとつ乙46号証「エホバの証人の大会潜入記:児童相談所への通報を目指して」。
これに関して、ものみの塔側の裁判準備書面が以下。
“エホバの証人による寄付金流用裁判、ものみの塔側証拠資料「乙46」-その2” の続きを読む
昨日までの記事の続き。エホバの証人の子どもが学校を休まされて、宗教行事に連行される件。
エホバの証人の毒親が、平日に丸一日かかる宗教行事に出かけるので、小さな子どもは問答無用で強制連行されることになる。
「親の信仰の自由」と「子どもの教育を受ける権利」が衝突したとき、社会はどちらを守るべきか?読者の皆様はどう考える?
「制度はどこまで介入すべきか?」という核心。これは単なる家庭の問題ではなく、公教育と児童福祉の制度が試されている問題。
“元宗教2世の提言:子どもを学校から連れ去る“信仰”に、制度は加担していないか” の続きを読む
エホバの証人の子どもが平日に学校を休まされ、大会という宗教行事に連行される件。昨日までの記事の続き。
子どもにとっては「選択肢のない強制」。
筆者が目撃したところ、エホバの証人の大会には、ベビーカーの子どもや赤ちゃんまで連行されている。これらの子どもには選択肢はなく、まさに強制連行。
こう言うと、「未就学児だけを家に放置できない」「家に子どもだけ放置するほうが危険」とか、トンチンカンなことを言う人がいるんだが、それは全然違う。
当初から、親がエホバの証人の大会に丸一日出かけなければいいだけ。そんな小さな子どもを抱えているんだから、育児に専念しろっつーの。
親が平日に一日中宗教行事に参加するという勝手な都合で、子どもを連行。 その結果、子どもは学校を休まされ、義務教育の機会を奪われる。エホバの証人の親は身勝手にも程がある。こういうのを毒親という。
子どもを家に置いていけないから連れて行く。しかし連れて行けば学校を休ませることになる。どっちに転んでも、子どもが犠牲になる仕組みになっている。
この不条理を「信仰の自由」で片付けるのは、あまりに都合が良すぎる。子どもの教育と安全を天秤にかけてまで優先されるべき“信仰”って、なに?バランスを失い、行動を変えられてしまう盲信仰。それをカルトという。
“カルトな毒親、エホバの証人が発生する理由とは・・・” の続きを読む
昨日の記事の続き。エホバの証人が言いそうな詭弁「レジャーで学校を休むのもOKなんだから、大会(宗教行事)で休むのも同じでしょ?」。
これ、完全に論点がズレている。
レジャーは、子どもが楽しみにしていたり、家族で話し合って決める一時的なイベント。
一方、宗教行事は? 子どもが自分の意思で「行きたい」と言ってるの? それとも、親の信仰に従わされて、学校を休まされてるの?子どもが「行きたい」と言わざるを得ない状況に追い込んでいないか?
義務教育は「親の信仰の都合」で勝手に中断していいものじゃない。 子どもには「信じない自由」も、「学校で学ぶ権利」もある。 それを奪っておいて「レジャーと同じ」なんて、よく言えたもんだ。
“エホバの証人の子どもが義無教育を放棄し宗教行事に連行される構造” の続きを読む
昨日の記事で、エホバの証人が子どもの学校を休ませて、大会という宗教行事に連行する愚行を非難した。「義無教育ナメんなよ」と。
こういう話をしていると、必ずわいてくるのが、「レジャーで学校を休ませるのは容認されているんだから、宗教行事で休むのも同じ」とか言ってくる香ばしい連中。
全く関係ない問題を持ち出して、論点をすり替えて自己弁護に使おうとするカルトの風上にも置けない奴ら。
ちょっと違うケースだけど、「他にも悪があるのに、そっちは責めないの?」みたいなのもよくある。
コストコのレジで見た修羅場(今は入り口でかなり厳重な確認があるので見なくなりました) pic.twitter.com/CeT9YcklE3
— うさぎのみみちゃん😇12/31冬コミ西つ03a (@usagitoseino) January 5, 2026
他に悪があるからって、お前が見逃されるわけじゃない。スピード違反で捕まって、「みんな速度超過してるのに・・・」って言っても、警察に一切通じないのと同じ。
“エホバの証人の大会で学校を休むのはNGで、レジャーで休むのはグレーな理由” の続きを読む
ものみの塔と裁判をしている件。私が、ものみの塔による不当寄附勧誘を訴えた形です。今月、控訴審が始まります。第一審は私の敗訴だったんですけど、控訴理由書では、論理的に”積み”の状態に持ち込めたと考えており、控訴審で逆転します。
第一審で、ものみの塔側が私のブログを証拠資料として、大量に提出してます。
今回も不当寄附勧誘とは全く関係なく、私がエホバの証人の大会上へ潜入した際のブログです。乙46号証「エホバの証人の大会潜入記:児童相談所への通報を目指して」。
ものみの塔側の証拠説明書より、立証趣旨は以下です。
“エホバの証人による寄付金流用裁判、ものみの塔側証拠資料「乙46」-その1” の続きを読む