11.宿命

恋人に発覚した元エホバの証人2世という過去

私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。そして、とっくにエホバの証人をやめていた20代前半の頃の話。当時の交際相手に、私が元エホバの証人2世だと知られてしまった。

特に隠していたわけではない。自分からわざわざ話すことでもないので黙っていたのだが、「秘密にしていたのでは?」と問い詰められるような状況になる。彼女の親が興信所を使って調べたのだった。

彼女は、多少エホバの証人について知っているようだった。本人いわく、子どもの頃に仲の良いエホバの証人の友達がいたという。遊びに行くとか、何かするとか、そういった時々に、そのエホバの証人の友達には「集会がある」だとか「泊りがけで遊びに行くのは無理」と断られたそう。

彼女は「エホバはやばい」と言う。そんなことは今さら言われなくても、当時の私は充分解っていたし、もう既にエホバの証人をやめていることは、その彼女には話した。

当時の私は遊びたい盛りで、すぐにでも結婚するという気持ちは全く無かった。その彼女が、私の元エホバの証人2世という過去を理由に離れていくなら、それはそれで構わないという思いだった。

ただ付き合うだけの相手ならば、過去にエホバの証人だったということは、そんなに問題にはならないのかも知れない。まあ避けたいという気持ちは解らないではないが。しかし結婚相手となると大問題になる。

私とその彼女とは結果的には自然消滅的に別れることになった。私としては、エホバの証人のことを指摘されたのは全く理由ではなく、もっと別の異性とまだまだ遊びたいという思いの方が強かった。

ただ相手としては、結婚を意識し始めると私の元エホバの証人という過去は大問題だった。家族・親族で付き合うことを考えると大きい。私の両親は元エホバの証人で、それが理由で離婚している。そんなカルト一家と、永続的に付き合いたいと思う人間の方が珍しい。

私はこの頃、結婚など全く考えていなかったので、この一件について問題は無かった。しかし、エホバの証人2世だったという過去は、私にとって大きな重荷になるのは間違いないと再認識することになった。

私は、まともに結婚して家庭を築くことなどできやしないのではないかと思い始める。そして、元エホバの証人であることを恋愛相手に知られるのは、やはり屈辱的だった。自分の恥部であり、格好のいい点ではないから。

そして、エホバの証人2世だったという過去を隠し続ける限り、私は結婚などできっこないと気付く。結婚相手にまで隠し通すのは困難だし、大きな秘密を抱えた関係性で家庭が継続されるわけがない。

元エホバの証人2世の人たちは、過去の傷と向き合い、抱え込めるようにならなければ、結婚や恋愛ができない。私がこれをできるようになったのは、この時から10年以上後のこと。時の経過が傷を中和し終えたとき。

エホバの証人であった過去はトップシークレット

私が元エホバの証人2世であるということは、40才になった今でも誰にも話したくない事実である。私にとって最も触れられたくない最低な話題。

罪の意識があったり、後ろめたいところがあるわけではない。私がカルトにだまされたのではなく、生まれながらに親ゆえにエホバの証人2世として育てられただけ。被害者。

14才のときに、自分の意志できっぱりと足を洗っている。親に洗脳し続けられた少年期を自分の考えで否定した。この宗教のせいで一家は離散しているけど、そんな家庭は何処にでもある。

それでも、エホバの証人2世だったという過去には触れられたくない。自ら進んで誰かにこの秘密を話すなんてこともまずない。

子どもの頃、季節毎の行事や武道の授業に参加できなかった。教室の端でクリスマス会や節分、柔道の授業を眺めていたときの私を誰にも知られたくない。そのときの気持ちに戻りたくない。

消滅した親子3人の時間と空間、それを失ったときの傷、子どもの頃に奇異の視線を浴び続けた記憶、見知らぬ家の呼び鈴をボランティアと称して鳴らすときの恐怖心、存在すらしない神に対する無数の罪悪感。

神エホバはいないというものみの塔協会の嘘に気付いたときの脱力感、ずっと洗脳されていたのかという無力感、こんな簡単な嘘に今まで気付けなかったのかという無能さ、人生の全てを真剣に捧げてきた両親へ哀れみ。

そんなものを私の心から掘り起こされたくない。極めて個人的で私のデリケートな部分。鍵をかけて生涯閉まっておきたいこと。

今でも数日に一度はエホバの証人だった頃の夢を見る。目が覚めて、エホバの証人でない自分であることに気付き、ほっとする。エホバの証人だった過去は、心の中の薄い膜1枚に覆われた部分に隠してある。

隠しても隠し切れずに表出してくるほど大きな過去の傷。消化不良で忘れきっていないものを、今さら引っ張り出されたくない。40才になった今でも同じ。エホバの証人をやめて25年経った今でも癒えないほど、エホバという傷は深い。

元エホバの証人2世の宿命的ミッション

それでも、こうして自ら過去の傷を掘り起こしているのは、前に進むため。やるべきことをやるため。この世からエホバの証人を消滅させるため。エホバの証人として、人生を無為にする人々を救うため。

子どもの頃の辛い季節は、私のものみの塔を消滅させるという任務のためにあったのだと今では考えている。

エホバの証人の人間関係が無ければ生きていけないという人が多くいる。だからやめられないと。しかし、そのエホバの証人の人間関係は偽善だ。あなたがエホバの証人であるならば愛されるという限定的なもの。

そんな条件付き愛情は必要ない。捨て去って孤独を感じろ。その孤独は自由で自分らしく素晴らしいし、かつ寂しく悲惨で自らの過去の代償でもある。その孤独を嚙み締めるべき。それが人生。生きるだけの価値は十分ある。

あなたがエホバの証人として活動することで、統治体というエホバの証人上層部の財布が潤う。そしてさらにエホバの証人被害者が増す。これを私は見逃せない。許すことができない。放っておくことができない。

エホバの証人を限りなく少なくし、ものみの塔協会を消滅させることが私の宿命。このために私は幼年期・少年期をものみの塔協会に捧げることになった。

元エホバの証人の生き方とは

私は、20代半ばで会社員を辞めてパチプロになるという決断をした。真面目な会社員であるということは、私の主義に反すると考えたから。私の主義とは反ものみの塔協会、非エホバ的生き方。

ものみの塔協会のせいで、私はお気楽で一般的な子ども時代を送ることができなかった。さらに家族をも失った。ものみの塔協会に対する復讐として、エホバの証人を全否定した生き方をしなければならないと考えていた。

真面目なエホバの証人のようであってはならない。不真面目で自堕落な生き方をすることが、ものみの塔協会に対する逆襲であると勘違いしていた。

私のパチプロ生活だが、全く成り立たなかった。サラリーマンと並行してパチンコ屋に通っていたときの収益力・安定性が全くなくなり、すぐに生活に不安が生じた。原因は全て私自身にあった。

私には、パチプロを続けるだけの我慢強さ、忍耐力がなかった。パチプロとしては、勝つ見込みの無い日は打たないことも大事な決断。しかし、私はこれができなかった。負けが込んで焦り出すと、どうしても無謀な勝負に出てしまう。

無謀な勝負に出たのなら、最後まで戦い抜くべき。これも私にはできなかった。中途半端なところで引き返して、無駄に金を失う。無謀だった間違ったと思う心があるから途中でやめてしまう。悪循環。こうなると、正しい決断をしても自分の意志と心中できなくなってしまう。

エホバの証人に求められる九つの特質というのがあって、子どもの頃、何度も唱えさせられた。

愛、喜び、辛抱強さ・・・

云々かんぬんと続くのだが、後は忘れた・・・。この辛抱強さとか忍耐とか、そういったものが私には一切なかった。

この世を彷徨うエホバの証人たちへ

私は幼い頃からエホバの証人として育てられ、自分の意志で何かをすることが許されたことは一度もなかった。何をするにも、ものみの塔の教理に沿っているか否かで、両親に判断された。

そもそも、エホバの証人の活動以外は全て余分なこと、そんなことに時間をとられるなというのが家庭の方針だった。

自分で決めたことを最後までやり抜く。こういう体験を、私は子どもの頃から一切積んでこなかった。嫌々やらされているエホバの証人活動だけ。しかも、それは全て無駄な嘘っぱち活動で、私は14才のときにそれを放り出した。

エホバの証人の活動が全て無駄で、嘘だと気付いたのは20才を過ぎてから。洗脳が解けたとき。かつて苦しい辛い思いをして14年も取り組んだ全てのことが無駄だった。そう知ったときの絶望たるや計り知れない。放心状態になる。

親の強制ではあったが、長期間、唯一継続してきたエホバの証人活動。その全てがただの人生の浪費だった。これが原因で、続けるということへの熱意が失われてしまった。私が、何ごとも粘り強く続けられないのは、エホバの証人2世だったから。

しかし、最近私が思うことは、人間はどこからでも変われるということ。小さな成功体験をすることがその一歩。自分で考えて、選んだことをやってみる。途中で諦めずにゴールまで、もしくは成果が出るまで続ける。

これは本当に些細なことで良い。子どもの頃にできなかった継続して成功する、やり遂げるという経験をするため。さらに、その小さな成功体験を繰り返し、徐々に目標を拡大していく。

ありふれた表現だが、小さなことからコツコツとが、元エホバの証人として人生を迷う人に似合う言葉だ。人生はいつでも今この瞬間からやり直せる。

平成の終わりを生きる元エホバの証人2世

私は生まれながらのエホバの証人被害者だった。両親がものみの塔協会によって念入りに洗脳された、いわゆる2世信者。

14才の秋に自分の意志でエホバの証人をやめるも、洗脳が解けるのは20才を過ぎてから。それまではハルマゲドンという、ものみの塔の終末予言を怖れる日々。

洗脳から解放された後は、反ものみの塔的生き方をしなければならないという思いに囚われる。これは、逆説的にものみの塔協会にマインドコントロールされているようなもの。

パチンコで喰っていくんだと、私は二十代半ばで会社をやめた。これには、エホバの証人らしくない生き方をしなければならないという強迫観念が強く影響している。私が生まれつきのエホバの証人2世だった反動。

エホバの証人をやめたからには反エホバ的生き方が必須だと私は思い込んでいた。エホバの証人らしい=真面目、真面目=会社員、パチプロのプータローなら、最もエホバの証人らしくないという短絡的発想。

結局、このパチプロ生活は長く続かず、破綻する。喰うに困る前に、私は非正規雇用で働き始める。これだと、まさにエホバの証人っぽくなってしまう。エホバの証人はだいたい非正規雇用で働き、残りの時間をものみの塔協会の活動時間に充てる。

とはいえ、喰っていくためには仕方がなかった。今さら正規雇用の働き口が簡単に見つかるはずがない。私は就職氷河期真っただ中に、短大卒ながら割と安定した会社に就職していた。しかし、反ものみの塔的生き方を実践するために、安定や普通、真面目というイメージのある会社員をやめる決断をした。

私は、組織に対する忠実さ、妄信から来る組織崇拝こそがエホバの証人の根幹であると無意識に感じていた。これが自分の中にあることを否定するために、組織、会社をやめ、一匹狼としてパチプロになるという選択をしたのだった。

これが完全に裏目に出て、傍目にはいかにもエホバの証人っぽい非正規雇用という立場に転落。フルタイムの正社員として働き、出世競争するだけで十二分にエホバの証人らしくなかったのだが。皮肉な話。

組織人の中にも、個を貫く生き方をする人はいるし、パチプロのプータローの中にも病的なレベルで群れる性質を持つ人々がいる。ステータスで人間をラベリングすることなど本来はできない。

非エホバ的生き方の象徴として、私はあえて正社員雇用を辞めパチプロの道へ転向。そして挫折、非正規雇用の立場へ転落。そして、そのまま非正規雇用を10年程度続ける。

非正規で働くなんてエホバの証人らしさ、そのものなのだが、この頃は長引く平成不況の出口頃で、非正規雇用労働者が増加中。3人に1人が非正規という時代だった。非正規雇用で働くということは、もはや特にエホバの証人に限った話ではなく、私の変に高いプライドが損なわれることも、さほど無かった。

そして、ただ時が過ぎていく。貧乏暇なしとはよく言ったもので、ただただ忙しく日々を過ごしている間に、私は30才を超える。

30年目のエホバというトラウマからの解放

私はこのパチプロ挑戦という失敗を後悔していない。逆に、あの時にチャレンジしていなかったら、後悔が残った。やってみなければ分からない。失敗してもいい。これがエホバの証人にはない考え方。

堅苦しい教理に縛られ、あれもダメ、これもダメ、これもやってはいけない。というのがエホバの証人。何でもやってみて、試してみて、失敗してもそれを教訓にして次に活かす。馬鹿みたいなパチプロ挑戦は、授業料は高くついたのだが、これはこれで良かった。

結果的に、私はようやくエホバの証人っぽくない生き方を始められたのだった。生まれながらのエホバの証人として、過酷な幼少期を過ごし、ものみの塔協会の深い洗脳に侵され、30年目のことだった。

組織崇拝、ものみの塔崇拝はエホバの証人の罪であり、根幹なのだが、その原因は洗脳にある。その洗脳は信者たちの思考停止状態から始まる。私の問題もここにあった。

私のトラウマとなっていた、エホバの証人的思考状態。かくあらねばならない。ものごとは筋書き通りに進めなければならない。こういった思考状態からの解放。

誰かに言われたことや定石ではなく、自分で考えに考え抜いて、動き出す。そして失敗しても諦めずに試行錯誤を繰り返す。私はこうして新たな道を歩き始めた。

周囲からエホバの証人が消えることで健全な思考状態へ

30才代前半の頃。私は、自分がかつてエホバの証人2世だったという過去を隠していた。ひた隠しにするというよりは、積極的に話して周る趣旨のものではないので、ただ黙っていただけ。

元エホバの証人という過去は隠したいし、人生の汚点であることは間違いなかった。ものみの塔協会は憎いし、根絶すべきものだとは考えていた。しかし、この頃には、どうでも良くなっていた。

ものみの塔協会のせいで家族は崩壊したのだが、その過程で両親ともに無事にエホバの証人をやめた。これで、「エホバ、エホバ」と馬鹿の一つ覚えのようにつぶやく奴が周囲から消滅。これも、ものみの塔協会のことを考えなくて済むようになった原因の一つ。

エホバの証人のことを考えてイライラするタイミングが無くなった。学生時代の友人や職場の同僚と酒を飲んだり、休みには一人で旅行に行ったり、そういったことに時間を費やすことを優先していた。

元エホバの証人家族の回復

家族を置いて出奔していた父と再会したのもこの頃。父は、かつてエホバの証人の会衆の長老という立場にあった。長老とは、ものみの塔協会の中間管理職的立場にあり、100人程度の信者を束ねる立場。新たに信者を増やし、カルト被害者を増やした罪は大きい。

また、親子三人家族の父親という家族の中心の立場にありながら、エホバの証人という間違った方向へ家族三人邁進してしまったこと。こんな事柄に罪悪感を抱きながら、父は日々を送っていた。

それでも父は、また新しい家族を築き人生をやり直している最中だった。父にとっては、時の経過が贖罪となっていた。時効とは法的に適用されるだけでなく、精神にも適用されるべきものなのだ

一方、母親の方はエホバの証人をやめることで、一人息子の私にすり寄ってきた。何かに依存するのなら、カルトよりは息子の方が何千倍もマシ。私が結婚するまで、母とは同居を続けた。

私が、エホバの証人をやめて20年、洗脳が解けて10年と少し。この頃には、長い時の経過が、私と私の家族の抱える元エホバの証人という傷を癒しつつあった。

元エホバの証人の人生の迂回

私は生まれながらのエホバの証人2世で、中学2年14才の秋に自分の意志でエホバの証人をやめた。2世とはカルト被害者2世代目のこと。わが家の場合は、両親ともにエホバの証人だったために、私も当然のごとくエホバの証人として育てられた。

ものみの塔協会は信者の恐怖心を煽り洗脳する。ハルマゲドンというこの世の終わりを神エホバがもたらす。その最終戦争を生き残れるのは、ものみの塔協会の教理に忠実で善良なエホバの証人だけ。

私も漏れなくこの恐怖心に支配されていた。物心つく前から、両親やエホバの証人組織に繰り返し、繰り返し、この教理を教え込まれる。この状態で洗脳されない方法があるというのだろうか?

このマインドコントロールが解けたのは20才を過ぎてから。インターネットで、ものみの塔協会の不義を知り、それまでの疑問点や不信点が全てつながる。ものみの塔協会は嘘つきのカルトであると。

その後は、前半生を取り戻すべく、反エホバ的生き方にいそしむ。無軌道、無鉄砲な生活。だが、それはエホバの証人否定を自分に強制するという、逆マインドコントロールだった。私の自由意志ではなかった。

私は30代後半になり、元エホバの証人2世という傷がだいぶ癒えてくる。どうでも良くなってきたということ。それまでは、駅前など街頭に立っているエホバの証人を見て不快感を覚えていたのだが、今では憐れむ心がほとんど。時の経過は大きい。

私は30代半ばで結婚し、妻子を持つ。結果、反エホバ的な無茶苦茶な生活はやめざるを得なかった。そして今に至る。

私は非ものみの塔的生き方をしなければならないと思い込み、あえて無軌道な生活をしていた。しかし、これも結局はものみの塔的な決めつけ形の二者択一思考がもたらしたものだということに気付く。

エホバという傷を癒す

現在の私は、ものみの塔協会の洗脳から自由になった。王国会館や街頭に立つエホバの証人を見て、ゾッとしたり吐き気を覚えたりしなくなった。そして、もう一度このカルトに戦いを挑もうと決意できたのがその証拠。

この進展は、現在の妻と出会ったことも原因の一つ。14才でエホバの証人をやめて以来、自分がエホバの証人だったことを他人に打ち明けたことは一度もなかった。妻が初めてだった。

妻と結婚する前、付き合い始めの段階で、正直に自身の抱える過去について話した。他人と傷を共有することで、自分の傷が癒える。この時に自分の傷の治癒を体験をした。

私はこんなにも傷ついていると、さらけ出す必要もないのだが、いつまでも内向きに独りで傷を隠していても仕方がない。

私は、エホバの証人をやめて以来、徹底的にものみの塔関連のものを避けた。元エホバの証人2世という事実は、人生の恥部そのものだった。この方法だと、ものみの塔協会のことを気にしなくなるまでに相当の時間がかかる。20年もの歳月。

早い段階で元エホバの証人のコミュニティに参加し、他人の傷を知ることが自分の癒しになった可能性がある。元エホバの証人のコミュニティはネット上にあふれている。

元エホバの証人被害者の体験を聞く。読む。共感できることがあれば、自分だけが深い傷を負っているわけではないと気付ける。前向きに生き直せる可能性が高まる。

市販で流通している元エホバの証人の書いた本を読むのも良い。信者時代の過酷さが自分とは異なるし、その対応と脱退の仕方も異なる。それでも、大いに共感する部分はある。

しかし、注意しなければならないのは、外へ目を向けることも必要だということ。ものみの塔関係の外部へ目を向けること。我々が生きているのは、エホバの証人なんてほんの一粒しかいない広い世界。かつてエホバの証人だったことなど、小さなことと思えるほど、広くて多様な世界。

エホバの証人の子どもが思い描く未来

私はエホバの証人の子どもだったゆえに、節分の豆まきに参加できず、恥ずかしい思いをした。教室の隅でポツンと一人、楽しそうに豆を投げ合うクラスメイトを眺めている。バレンタインデーに、好きな女の子からチョコレートを貰っても、返却に行かないといけない。(エホバの証人は異教の行事として節分、バレンタイン、その他全て禁止)

そんな子どもの頃に思い描いていた未来。「普通」になりたいということ。

私は、30代半ばで結婚し、子どもが生まれ家庭を築く。そして、何とか正規雇用として復職する。子どもの頃に思い描いていた、ささやかな未来。エホバの証人ではない普通の人になりたいということ。大きく遠回り、回り道したのだが、ようやく実現した。

そして、現在の私はものみの塔を消滅させ、エホバの証人を根絶すべく、このブログを書いている。

王国会館をぶっ壊したり、エホバの証人に罵詈雑言を浴びせて迫害したりという、まるでものみの塔協会のような独善的な活動ではない。あくまで平和裏な活動として。

これがほぼ生まれながらにエホバの証人2世として生まれた私の宿命。暖かだった家族を失ったのは、ものみの塔協会を崩壊させるという宿命のため。同じ被害者を増やさぬために、この世からエホバの証人を根絶する。