社会性・可能性を自ら閉じるエホバの証人
『みんなの宗教2世問題』3章「識者たちによる宗教2世論」。
宗教教団は、「子どもの社会性を奪い、子どもの多様な可能性の扉を閉めてしまうような方向へと信者が突っ走ってしまう教義・教学を構築していないか」という社会からの問いかけを、真摯に受けとめていかねばならない
これは子どもに限ったことではない。例えばハルマゲドンとか輸血拒否のような愚かな教理をもつエホバの証人に帰依してしまうような人は子どもと同じ。有意義な自己決定できる能力を有していない。
エホバの証人という宗教は、そんな奴らが集団で暴走し、自らの社会性や可能性を閉じている。
とにかく叩かれる、エホバの証人2世の子ども:『みんなの宗教2世問題』より
エホバの証人は潰すしかない
社会の価値観や文脈を理解し、社会問題と向き合い、教義教学を成熟させていく。それは宗教教団が取り組み続ける案件
これは、表面的には聖書原理主義を貫くエホバの証人には、到底取り組むことができない案件。むしろ、取り組むつもりもない。
エホバの証人は社会制度よりエホバという神を上に置いている。これも設定上にすぎないのだが。設定にすぎないとはいえ、信者は真剣なので、どんな社会問題が起きようが我関せず。
エホバの証人組織に、社会からの要請で教理を成熟させるつもりなんてのは、さらさらない。
エホバの証人は、表面上の聖書原理主義、エホバという神至上主義の設定。実際には統治体という人間組織の聖書解釈至上主義。エホバなんてのも架空の存在なので、現実は統治体の教理至上主義。
エホバの証人は、統治体の創作教理が最高位にあるので、社会からの要請などに応じるつもりは一切ない。
統治体が悔い改めて、社会からの問題提起に応じれば解決するように見えるが、それをやると建前上の聖書原理主義やエホバマンセー状態が覆り、化けの皮が剥がれる。なので、エホバの証人には、統治体が良心を示すといった自浄作用はない。
つまり、エホバの証人が社会からの要請に応じて問題体質を変える可能性はない。
エホバの証人が浄化される可能性がないのなら、社会としてやるべきことは一つ。潰すことだけ。エホバの証人はお取り潰し一択。
エホバの証人は、破壊的カルトであり反社会的集団
宗教教団には、宗教には暴力装置や非人間的な要求が内包されている、との自覚が必須
ハルマゲドンだったり、体罰だったり、輸血拒否だったり。家族までを引き裂く忌避制度だったり。エホバの証人は、暴力と死と差別を内包する非人間的な宗教そのもの。
破壊的カルトは、宗教のもつそれらの負の部分を、むしろ有効な手段として活用する。それは、教義・教学が未成熟で問題が起こる事態とは異なる、悪質な支配であり脅迫である。だからこそ反社会的集団だと見なされる
これがエホバの証人のこと。
破壊的カルトであるエホバの証人は、ハルマゲドンでの滅びを有効な手段として活用する。ハルマゲドンで死にたくなければ、伝道時間を捧げよ、清貧に生き金を寄付しろ。子どもに体罰を加えろ。子どもをハルマゲドンで失いたくなければ、子どもに死んでも輸血させるな。と脅迫する。
信者を支配し、時間、金、命といった人生のそのものを搾取する。
エホバの証人は非人間的な教理を破ると、教団から排斥され、信者の家族から忌避される。家族を失いたくなければ、教団に従えと脅迫される。
まさに、エホバの証人は破壊的カルトであり反社会的集団。
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