余計なオプション、信教の自由
『みんなの宗教2世問題』3章「識者たちによる宗教2世論」。
信教の自由は基本的人権であるため、一般社会通念から見てどれほど奇異であっても、どれほど愚行に見えても、真摯な信仰・宗教的行為というのは尊重されねばならない。これがまず前提である
いや、その前提を疑えよ。信教の自由は基本的人権ではないよ。基本的ではない余計なモノ、オプション機能。なくても構わないモノ。むしろ、不要。
信教の自由という余計なオプションが存在するから、人生を損ね、もっと基本的な人権である生存権が脅かされ、自由を奪われる愚かな人々が出てくる。
無条件で飲み込まないで、前提を疑おうよ。
愚行は愚行で、どれだけ真摯であってもやってることが愚かなら、無意味な愚行。
騙されて愚かなことを真剣にやっている人がいたら、それを指摘し直してやるのが正しいあり方。宗教だからとか、信仰だからとか関係ない。
神の救いなんてモノは履行されないのだから、詐欺に等しい。まともな頭の人間なら分かること。ましてや、カルト宗教なら当然。
カルトにハマるのは、詐欺に引っかかるのとほとんど変わらないのだから、そんな哀れな人たちを救ってやれる社会の仕組みが必要。
非人間的宗教、エホバの証人
いくら宗教的理想であっても宗教的伝統であっても、非人間的な行為や、女性差別や子どもの虐待と考えられるものなどを、社会は認めるわけにはいかない
余計なオプション信教の自由があるがために、現代の日本では、非人間的な行為や子どもの虐待、女性差別な教理を抱えるエホバの証人が野放しにされている。
エホバの証人は正々堂々と体罰を肯定している。エホバの証人の体罰は、非人間的な子どもの虐待そのもの。
またエホバの証人の最狂教理ハルマゲドンでは、地球上のほぼすべての人、エホバの証人の信条に反対する人々は殺される設定。これほど非人間的行為があるか。
この残虐行為ハルマゲドンを脅し文句にして、エホバの証人は人生そのものを奪われている。これまた非人間的な行為。
そして、エホバの証人はいかなる場合においても堕胎を禁じている。これは女性の身体的自由を損ねる女性差別。
教団に言わせれば、何ごとも「禁じているわけではない」というのが常套の言いわけ。信者個人で決めること、という責任逃れ。
であれば、個人が決定すべき範囲に干渉するべきではない。ハルマゲドンで脅し、堕胎すると滅ぼされると教えるのは、脅して禁じているに等しい。