マルクスにとっての資本とは・・・
『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』5章、『宗教と「資本主義経済」の密接な関係』から。
アカデミックな内容で、もはや何のためにこの本読んでいたんだっけ?という状態だが、興味のあった点をメモ代わりに。
マルクスの議論のなかで、資本は、「蓄積を目的とする」とされており、その点では主体的な存在と見なされている
蓄積された資本が意思を持ったかのように、金が金を呼ぶ状態。
マルクスの資本というものは、ユダヤ・キリスト教において世界を動かす根源的な存在であり、究極の主体となっている神に限りなく近いもの
もはや神であると。この神は
ひたすら自らを増殖させていることを目的とした利己的な存在であり、人間の幸福というものを必ずしも考えない存在
人類を崩壊させてもかまわないとする恐るべき神
組織の維持・拡大を目的としているものみの塔と、人類の滅亡を企てる神エホバという構図に似ている。
マルクスの視点で共産主義社会を展望すると、資本は自己中神のように見える。
『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』、やむにやまれぬ事情でカルト堕ち
神の見えざる手
“マルクスとアダム・スミス、誰だっけ?エホバの証人の知らない3次元世界” の続きを読む