ものみの塔が醜く言い逃れをしなければならない理由とは・・・

醜い言い逃れをするものみの塔

『みんなの宗教2世問題』6章「改めて宗教2世問題を展望する」。

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宗教団体は2世問題について、一部の家庭で起こった行き過ぎとして切りすてようとしがちだが、親は信仰の実践として虐待行為をおこなっている。それなのに宗教団体が責任を取らないで済むと考えるのは卑劣というほかなく、そのような言い逃れをする教団はおよそ宗教の実践と布教に従事する組織として失格している

だがら、物理的に解散させ葬るべき。

著者は元エホバの証人2世なので、これはエホバの証人のことを言っていると考えていい。他のカルトにもあてはまるケースもあるのだろうが、エホバの証人にこそピタリとあてはまる。

教団側は「体罰をしていた親がいたとしたら残念」とエホバの証人の虐待親ごと切り捨てる姿勢。対してエホバの証人公式サイトには「体罰が必要でしょう」の文字が踊る。つまり、エホバの証人の虐待親は教団の言うとおりに体罰を行ってきた。

この構図が卑劣そのもの。公益性の問われる宗教団体にあるまじき極悪さ。まさに解散一択のカルト。

エホバの証人の異常な鞭、逃れようのない責任から逃れようとする者

真理でなくても大丈夫なものみの塔

しかし、教団がかつて体罰を推奨した「責任をとれ」と言われても簡単に取りようがないのも事実。ものみの塔は責任を取ろうとはしないだろうが。エホバの証人の教団側、ものみの塔には、「体罰を推奨していたのは間違いでした。申し訳ありません」では済まない事情がある。

まず、ものみの塔は自身の教えを真理と言っており、間違えがあっては真理でなくなる。看板を下ろさないといけない。間違った宗教だということになると、すべての信者が去る。金づるを失うことになるので、素直に間違いを認められない。

とはいえ、非真理なことがバレて信者失う問題は実は何とかなる。いや、論理的には何とかならないのだが、既に何とかなってきた。ものみの塔は何度も予言をハズしており、その都度「理解の調整」「新しい光」といった意味不明発言で予言を改定してきた。

ものみの塔の現行真理は真理ではない可能性を大いに含んでいる。その時点で真理ではないのだが、信者たちはこの二重思考を受け入れる都合のよい頭の構造になっている。

だから、ものみの塔は体罰禁止に転じても「新しい光」で乗り越えることができる。というか、既にほとんど乗り換えているに等しい。信者側は勝手にものみの塔の都合を察して体罰禁止思考に転じているし、かつて子どもを打ち叩きまくったことも都合よく忘れ去ろうとしている。

聖書ですら潰せるものみの塔

しかし、ものみの塔の聖典「聖書」に「むちを控えるな」的なことが書いてある。これをものみの塔は否定するわけにはいかない。むしろ、この文言によってかつて全国にエホバの証人の虐待親を量産した。

といいつつも、この聖書の罠も回避可能。というか、既にほとんど回避できている。

ものみの塔は聖書の言葉を弄び、解釈の領域を超えた独自の予言を発している。そして、ハズしまくっている。

だから、聖書の「むち」はリアルなむちではなく、比喩的な意味でのむちです、くらいは簡単に言っちゃう。というか、既にそうなりかけている。ものみの塔は、自由自在な解釈で聖書に書かれている事柄を軽く飛び越えちゃう。

そして、ご都合信者たちは何の疑問を感じることなく、その無法な越権行為についていく。

だから、ものみの塔にとって聖書の記述を覆すことなど、容易い。

意外とものみの塔にとって言い逃れをやめて、「体罰非推奨」を全面に押し出すことは簡単そうに思える。しかし、それができない理由がある。

むしろ、外部要因としてこちら側に、ものみの塔が責任をとれない理由があるのだが、続きは明日。


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