ものみの塔の極悪非道な業
昨日の記事の続き。ものみの塔が体罰という児童虐待を推奨していたのに、その責任を取らずに各信者のせいにして言い逃れに走る理由。
宗教にあるまじき非道、卑劣さなので責任とれよ、と外部の人間は考える。
しかし、ものみの塔には責任を取りようがない理由がある。
内部の信者を欺くのは容易い。そもそも、かつて体罰を推奨していなかったことにする極悪非道な業はほぼ完了していて、いつの間にか今は体罰非推奨が暗黙のルールになりつつある。
教団の公式サイトには過去の記事が残っていて、そこでは恥ずかしげもなく体罰を推奨しまくっている。それでも、信者たちの頭は都合の悪いことが見えない構造になっているので、問題ない。
実はものみの塔が体罰の言い逃れをせずに責任を取れない理由は外部にある。
ものみの塔が「体罰を推奨していたのは間違いでした。申し訳ありません」となった場合、当然責任を取れ、という話になる。
この責任の取り方が難しい。体罰した側、された側、双方へ賠償ということになる。謝って済む話じゃないので、資本主義社会での責任の取り方は金。
中には「エホバの証人せっかん死事件」のように亡くなった子どもも存在する。エホバの証人親に叩かれた子どもなんて、どれだけいるか分かったものじゃない。
当然、そんな金を払うと教団の屋台骨が揺らぐことになる。だから、ものみの塔は言い逃れするしかない。
そして、こちちはものみの塔が自身の首で責任を取ることを望んでいる、というか責任を取らせるつもりでいる。むしろ、ものみの塔に自ら解散し首を差し出すなんていう殊勝さや自浄機能はないのだから、外圧をかけるしかない。
つまり、
ものみの塔が体罰推奨という悪事の責任を取ろうとすれば、組織体の解体でしか、責任の取りようがない。
だから、ものみの塔は決して過去の体罰推奨の悪事を認めず、言い逃れに終始する。組織たるモノが自ら解体を望むことなどないのだから。こちらとしても、その反応が当然なのだから、もう首を取るしかないわけで。
そして、むしろものみの塔が体罰の責任を取れない一番の理由は、米国本部の傀儡にすぎないから。米国本部が言い逃れの軟着陸を指示すれば、それに従うしかない。独自路線を打ち出したり、個別に真摯に謝罪するなんてオプションはものみの塔に存在しない。
こちとらにはそんな都合は関係なく、日本は日本でキッチリ決着をつけてやりたいと考えているわけで。