子どもの遊びが「偶像崇拝」になる世界
なるほど。雪国育ちでないオレが子どもの頃に「雪だるま禁止」ってエホバの証人親にシバかれたのは、「五九豪雪」のときか。
1Q84年、日本中ですげぇ雪降ったんすね。
ジョージ・オーウェルの小説の年でもあり、子どもに恐怖心を与えるのは良くないと言いつつ、鞭を振るいまくったうちの親の二重思考!— 山羊男 (@jw2nd_com) February 11, 2026
日本中が記録的な大雪に見舞われた1984年。まさにジョージ・オーウェルの小説『1984』の年。支配と監視、二重思考の象徴として語られるこの年に、私の中でも忘れがたい記憶が刻まれた。
『一九八四年』塔から与えられればどんなに愚かなことでもそのまま信じられるエホバの証人
当時、雪だるまを作ろうとした私を待っていたのは、エホバの証人親による制止。理由は「雪だるまは偶像だから」。おいおい、ただの雪の塊だろ。
エホバの証人の子どもは雪だるま禁止だったのか?
私の例は極端で、我が家のエホバの証人親がとくに厳しくて、雪だるま禁止だった。だから、エホバの証人全体の問題とみなすのはどうのこうの、みたいな意見をチラリズムしたんだけど。
浅いって。
なんで、そこをエホバの証人批判に持っていかないのか?まだ治ってないんですか?
エホバの証人親に漂白剤飲まされたとか、背中に「Jehova」ってタトゥー彫られたとかなら、それはその親の問題であり、エホバの証人全体の問題ではない。
しかし、「雪だるま禁止」は、普通にエホバの証人全体の問題。「その親が特別厳しかったから~」で片付く問題ではない。
子どもの遊びにまで及ぶ宗教的制限
“「雪だるま禁止」と“1Q84年”の記憶、「その親が特別厳しかった」という問題ではない。” の続きを読む

