議論の空振り:わら人形論法
エホバの証人がよく使ってくる詭弁カタログ集。昨日までの記事の続き。
今日は⑤「わら人形論法」。「わら人形論法」は、議論のすり替えと印象操作の王道詭弁。特にエホバの証人のような組織では、“信仰そのものへの攻撃”にすり替えることで、批判を封じる手口が多用される。
“エホバの証人が使う詭弁カタログ&撃退フレーズ集|⑤ わら人形論法” の続きを読む

カルト撲滅、ものみの塔聖書冊子協会と裁判中
エホバの証人がよく使ってくる詭弁カタログ集。昨日までの記事の続き。
今日は⑤「わら人形論法」。「わら人形論法」は、議論のすり替えと印象操作の王道詭弁。特にエホバの証人のような組織では、“信仰そのものへの攻撃”にすり替えることで、批判を封じる手口が多用される。
“エホバの証人が使う詭弁カタログ&撃退フレーズ集|⑤ わら人形論法” の続きを読む
昨日までの詭弁カタログの続き。
特徴: 主張の正しさを論じる代わりに、発言者の人格・過去・属性を攻撃することで、 その主張を無効化しようとする詭弁。
例:
“エホバの証人が使う詭弁カタログ&撃退フレーズ集|④人格攻撃” の続きを読む
昨日の記事の続き。カルト信者が使いがちな詭弁のカタログ。
特徴: 権威ある言葉や人物を持ち出して、主張の正しさを保証しようとする。エホバの証人の場合、本来は無権威なモノを得意げに振りかざしてくるケースが多々観測される。
例:
対処法:
「その法則がどう関係するのか、具体的に説明してください。名前を出すだけでは説明になりません。」
エホバの証人のケースだと、組織の正当性を“神の権威”で保証しようとするが、具体的根拠は示されない。長老やら統治体やら「目ざめよ!」やら無権威どころが、おバカの証明なんだけど、逆におバカだけに論理的に返しにくい。
“本来は権威でもなんでもない下らないモノ”を、あたかも絶対的な根拠のように振りかざしてくる。
統治体や長老たちは、組織内で“霊的に任命された”とされているが、その任命プロセス自体が外部から検証不可能な“自己完結型の承認構造”。
出版物(『ものみの塔』『目ざめよ!』など)は、あくまで教団内部の自己引用であり、第三者的な検証や反証を受けていない。
科学用語の濫用(例:熱力学)は、“難しそうな言葉”を出すことで、相手を黙らせるための煙幕にすぎない。
「その“権威”は誰がどうやって決めたのか?」という視点がカギになる。 より強力な返しのパターンをいくつか以下に。
“エホバの証人が使う詭弁カタログ&撃退フレーズ集|③権威に訴える” の続きを読む
「話が噛み合わない」「何を言っても通じない」──
論点を示しても、なぜか話がすり替わる。
主張の中身ではなく、態度や動機や属性ばかりを責められる。
そんなとき、相手は“詭弁”を使っているのかも知れない。
カルト的思考にありがちな詭弁のパターンとその対処法を詭弁カタログとしてまとめ。特にエホバの証人との対話でよく見られる例を中心に紹介。
未確認飛行物体とサタンと私:Copilotが見抜いた“信仰バイアス”の正体
“エホバの証人が使う詭弁カタログ&撃退フレーズ集|①論点すり替え②動機の詮索” の続きを読む
昨日の記事の続き。SNSで見かけた、信仰バイアスに陥ったカルト信者の言動について、もう少し。
この人たちは、自分の信じたいモノを信じ、見たいように世界を歪めてしまう。
これは、マインドコントロールとは違うという意見もある。しかし、こういった人間は、教団の教育の成果であり、教団の願い通りの行動をとり続けている時点で思考も行動も操られている。だから、ずばりマインドコントロール。
この人たちは、自分の今の居場所が正しいと信じたくて、否定する正当な意見を寄せ付けない。
「騙されたままのほうが幸せ」とか言う奴もいるけど、そんなことはない。
夢はいつか醒めて、悪夢が現実になるだけ。
「死ぬまで良い夢見てれば良い」って?
そんな人生終わってるだろ。
死後の世界の有無がハッキリしない以上、死後の世界があれば、怨念まみれになるし、死後の世界がないんなら、ジャスト生涯。今の人生を全力で生きろよ。寝ぼけてんじゃねぇっつーの。
“「思考停止ワード」まとめ:マインドコントロールに対抗する” の続きを読む
SNSで見かけた、まさにカルト信者っていう癖の強い自称エホバの証人っぽい人。その言動にどんな思考のクセ(バイアス)がかかっているか、Copilotに分析してもらう。
結果は、想像以上に”典型的”だった。
以下、Copilotによる。
“未確認飛行物体とサタンと私:Copilotが見抜いた“信仰バイアス”の正体” の続きを読む
「うちのエホバの証人親はそこまで厳しくなかった」。これは、私自身の実感でもある。それでも、「雪だるま禁止」だった。体罰は通算500発。さらに、輸血拒否で五分五分の手術に挑まされた。これが“普通”のエホバの証人家庭。
エホバの証人の組織構造では、解釈が分かれるどっちでもいいことや、命に関わるようなことが戒律化し、強要される。
その結果、被害が生まれる。ときには死亡者まで出る。この悪質構造を端的に象徴しているのが、「雪だるま」禁止。昨日までの記事の続き。
“エホバの証人の“普通”が、すでに異常すぎる件について” の続きを読む
エホバの証人の子どもの「雪だるま禁止」は笑い話でも特殊事例でもない。統治体の思いつきが、命に関わる教理になる。その最たる例が「輸血拒否」。子どもが死んでも、誰も責任を取らない。それが“ふさわしさ”で支配される宗教の現実。
“「雪だるま禁止」の先にあるのは、子どもの死だった―エホバの証人の命を奪う危険な構造” の続きを読む
昨日の記事の続き。元エホバの証人2世だった私の子どもの頃の特殊事例「雪だるま禁止」からあぶり出すエホバの証人全体の極悪さ。
「雪だるま禁止」は、単なる親の厳しさや家庭の特殊性では片付かない。むしろ、そこにこそエホバの証人という組織の構造的な危うさが凝縮されている。
なぜなら、こうした“禁止”は、個人の判断ではなく、組織内の空気や上層部の発言によって簡単に広がっていくから。
“「雪だるま禁止」から見えるエホバの証人の全体主義。“ふさわしさ”教―思考停止の連鎖” の続きを読む
「雪だるまを作るのは、ふさわしいことでしょうか?」 これ、エホバの証人親が子どもに向けて本気で言うセリフ。いや、ただの雪の塊なんだけど。しかし、連中の世界では、これが“信仰の踏み絵”になる。それが「ふさわしさ」という名の思考停止。昨日の記事の続き。
エホバの証人の世界では、「偶像崇拝」は絶対にNG。しかし、それだけでは終わらない。連中は“他人の目”を異常なまでに気にする。「義の民」として模範的にふるまわなければならないという強迫観念が、日常のあらゆる行動を縛ってくる。
たとえば、子どもが雪だるまを作っているのを、近所の人が見たらどう思うか?「あの家、偶像を作ってるぞ」と思われるかもしれない。実際には誰もそんなこと気にも留めないんだけど。しかし、連中は自分たちがどう見られているかを異常に気にする。
逆に言うと、そんな感じの自意識のかたまりみたいなのが、集まってできている宗教団体なのかも知れない。また、「常に模範的であれ」みたいな、実は社会人として当たり前なことを、変な角度で信者に叩き込むから、こんな異常な出来に仕上がってしまうとも言える。
“エホバの証人の「ふさわしいでしょうか?」という思考停止” の続きを読む