エホバの証人の待ち望む「迫害」は、周囲の思いやりと必然的なお取り潰し

正しいことをして迫害されているわけではない、エホバの証人

エホバの証人が被害妄想で待ち望んでいる「迫害」。聖書に次の記述がある。エホバの証人のテキスト『いつまでも幸せに暮らせます』のレッスン59『迫害されても大丈夫』にも、この聖句を読む指示がある。

正しいことをして迫害されてきた人たちは幸福です。天の王国はその人たちのものだからです。
マタイ 5:10

喜び,歓喜しなさい。天での報いは大きいからです。以前の預言者たちも同じように迫害されました。
マタイ 5:12

この聖句、「エホバの証人は正しいことをしていて迫害される。予言のとおりに」という理論に使われるのだが、迫害されているのはエホバの証人だけではない。

宗教弾圧がある国では、同じように他の宗教も弾圧されている。エホバの証人が、「大いなるバビロン」と蔑む他の宗教も弾圧されている。

この聖句では、「天の王国は迫害された人たちのもの」、「天での報いは大きい」と、キリストは言っている。「地上で永遠に生きる」とか言っちゃってるエホバの証人には、関係のない話。

ここが間違っているから、キリスト的にエホバの証人は正しくない。つまり、

エホバの証人は正しいことをして迫害されているわけではない。間違った宗教だから、普通に取り潰されそうになっているだけ。

決して救われない宗教、エホバの証人の迫害願望と被害妄想

本人を守るための行動を「迫害」と捉えるエホバの証人

家族が、エホバの証人を迫害というか、エホバの証人をやめさせようとするのは、単純にあなたのことを考えているから。

例えば

  1. 今から自殺します
  2. 今から全財産を慈善財団に寄付します
  3. 今から渡航禁止の危険国へ自分探しにいきます

どれだって、家族に止められる。本人にとって不利益になるから、止めている。迫害でも何でもない。本人のことを思って制止しているだけ。

1.今から自殺します。これはエホバの証人になるも同じ。自分を殺し、教団の言いなりになって生きる。死んでいるも同然。あげく、輸血拒否で本当に自殺しかねないのがエホバの証人。

2.今から全財産を慈善財団に寄付します。これもエホバの証人はやっちゃうね。献身して、全財産、全時間、人生を捧げちゃう。これは人生の大きな不利益となるので、周囲は止める。

理想が正しかろうと、本人の生活が成り立たないのなら意味がない。そして、エホバの証人は間違った宗教の筆頭なので、そりゃとめるよ。悪事を行う組織に献身するなと。それは迫害ではなく、その人のためを思ってのこと。

3.今から自分探しに渡航禁止の危険国にいきます。これも同じ。本人の身を案じてのこと。カルトに入信するなんて言えば誰でも止めるよ。無駄なことだから、危険だから止めている。

本人にとって不利益になることを止めない家族はいない。家族でなくても、赤の他人の私だって止める。ものみの塔に献身してエホバの証人なんてやろうものなら、人生まるっと無駄にするから。

そして、エホバの証人は同じように人生を損ねる人を増やそうとする。信者を増やし組織を太らすことが、教団内で良しとされているから。組織として見れば有害そのものであり、迫害されても仕方ない。

エホバの証人は、本人を守るための周囲の思いやり行動を「迫害」と捉えているにすぎない。組織体として見れば有害そのものであり、輸血拒否や児童虐待という問題を抱えた間違った宗教であることは明らか。迫害というか、お取り潰しがしかるべき処理。


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