エホバの証人の最終レッスンで暴かれる、集団妄想と現実

エホバの証人のマインドコントロール用テキスト、最終レッスン

エホバの証人の週日の集会で使われているテキスト『いつまでも幸せに暮らせます』レッスン60。最終レッスンにあたる『クリスチャンとして成長し続ける』

エホバとの友情を深める努力を続けることは大切です。それは「決して流されないようにするため」,つまりエホバから離れてしまわないためです。

「決して流されないため」に、離れないために友情を深める?そんな友情いる?
逆でしょ。深い友情があれば、離れないんだよ。ここまできて本末転倒。まあ、最初っからトンチンカンなテキストなんだろうが。

というか、エホバ、実は離れたくなるような存在なのだが・・・それなのに、

どうすればエホバの魅力的な性格にもっと倣えるか考えましょう

魅力的な性格?容赦なく残酷な殺戮の神なんだけど・・・

最高の友達であるエホバとのコミュニケーションを続ける

そもそも、最高の友ではない。存在しない架空の存在、しかも厄介な離れたくなる存在をでっち上げておいて、最高の友達って・・・そりゃ精神を病むよ。

バッドエンド、エホバの証人のメロドラマ:排斥とは?

エホバの証人の集団妄想

テキスト中の動画「もっと良い個人研究をする」。動画の内容を本当にやっていて、それでもまだエホバの証人を続けているのなら、絶句。

研究と黙想は切り離せません。研究で知識を取り入れて黙想すると実際にその知識を実際に使ってみたくなります

節や章だけに囚われるのではなく、その背景全体を把握します。関係する人たち、時間、状況、その場にいた人数を知ると、その節の真の意味が分かってきます

深く考えれば、今のエホバの証人がいかにキリストや聖書からはぐれているか分かる。それができていない時点で、個人研究というより集団妄想。集団妄想を一人一人バラバラでやっているだけ。

輸血拒否で死ぬとか、家族を崩壊させても教団の排斥ルールを守るとか、終わりの時代を予想しまくるとか、どれだけ非聖書的なのか?

個人聖書研究でなくて、個人ものみの塔研究になっているのが問題。聖書でなくものみの塔のテキストを使っている。そして、思想の中心にあるのが、聖書でなくものみの塔なので、たどり着く先が集団妄想。

エホバの証人、死ぬなよ。

もう一つの動画「最高の生き方」も唖然。

大勢の若いエホバの証人が、遠い国や地域に出かけて行って人々に無償て聖書を教えている

若い女性が宣教先のマウライで

ある家ではそこで働く人が中に入れてくれました

そうやって殺されたエホバの証人の日本人女性がいたよな・・・。いったい、あの事件から、この教団は何を学んだ?信者の自己責任にしておけば、使用者責任を逃れられるということか?


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