「なぜ正しいのか?」→「真理だから」──それ、答えになってません。
エホバの証人がよく使う詭弁カタログ。⑦「循環論法」。昨日までの記事の続き。
⑦ 循環論法(Circular Reasoning)
特徴: 結論を前提にして、同じことを繰り返す詭弁。 一見すると筋が通っているように見えるが、「なぜ?」と問うと、堂々巡りになるのが特徴。
例: 「エホバの証人は真理だから、エホバの証人を信じるのが正しい」
対処法:
「“真理”である根拠が“信じてるから”では、議論として成立しませんよ。」
「循環論法」は、一見それっぽく聞こえるけど、よく見ると“前提と結論が同じ”になっている詭弁。例の場合、
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前提: エホバの証人は真理である
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結論: だから、エホバの証人を信じるのが正しい
→ つまり、「正しいから正しい」と言っているだけで、“なぜ真理なのか”という根拠が提示されていない。 前提がすでに結論を含んでいる循環論法。
主張の正しさを証明するために、その主張自体を前提として使ってしまう論法といえる。つまり、「なぜAなのか?」と聞かれて、「AだからAだ」と答えてしまうような構造。
循環論法は、一見筋が通っているように見えるから厄介。 でも、冷静に構造を見抜けば、こう返せる:
「“正しい”という結論を出すためには、“正しい”以外の根拠が必要です。“信じているから正しい”では、議論になりません。」
「エホバの証人は真理だから、エホバの証人を信じるのが正しい」は、「信じる根拠」が「真理だから」という構造であり厳密にはイコールではない。一見すると循環していないように見えるが、“真理”の定義や根拠を問うたときに、「信じているから」「組織がそう教えているから」と返ってくるなら、それは循環論法になる。
もう少し、分かりやすい例だと
例: 「背教者の言うことは信用できない。なぜなら、背教者はエホバの組織を離れたから」
→ でも「なぜ離れた人は信用できないのか?」と聞くと、 「エホバの組織を離れたから」と繰り返す。
→ “信用できない”という評価が、“離れた”という事実だけに依存し、その“離れたこと”の悪さは“信用できないから”とされる。
撃退フレーズ
🔸 「“正しい”という結論を出すには、“正しい”以外の根拠が必要です。 “信じてるから正しい”では、議論になりません。」
🔸 「“真理”である理由が“信じてるから”なら、それは説明になっていませんよ。」
🔸 「“なぜ?”と聞いたときに、同じ言葉が返ってくるなら、それは説明ではなく自己暗示です。」
なぜこの詭弁は厄介なのか?
- 一見、筋が通っているように見える
「真理だから正しい」「正しいから信じる」── 言葉の響きだけで納得させようとするため、 論理の構造に気づきにくい。 - “信じていること”を正当化するための自己完結
循環論法は、信念を守るための“防御バリア”として機能する。 「なぜそう思うのか?」と問われても、“そう思っているから”としか返ってこない。 - 思考停止を助長する
「真理だから正しい」という言葉は、それ以上の検証や対話を拒む。つまり、議論を終わらせるための詭弁でもある。
もう一歩踏み込むと…
「エホバの証人は真理である」という前提自体を問うと、 多くの場合、こう返ってくる:
- 「だって聖書がそう言ってる」
- 「組織がそう教えている」
- 「長老がそう言ってた」
- 「エホバが導いているから」
──しかし、それらの根拠もまた組織の教えに依存している。つまり、「組織が正しいから、組織が正しい」という完全な循環になっている。
まとめ
循環論法は、主張の正しさを証明するために、 その主張自体を前提にしてしまう詭弁。
「なぜAなのか?」と聞かれて、「AだからAだ」と答える構造。
“真理”や“正しさ”を語るなら、それを支える根拠が必要。
信じていることを正当化するために、 信じていることを根拠にしてしまう── それは議論ではなく、ただの自己強化ループ。


