自己紹介

不吉な薄暗い部屋での生まれて最初の記憶

最初で最後のバースデーケーキ

※7万字の長文です。簡単にまとめると、私の半生を振り返りながら「ものみの塔」を崩壊させると決意した経緯をつづったものです。ものみの塔を壊滅させ、エホバの証人をゼロにするのは私の宿命、ライフワーク。その源泉は、エホバの証人というカルトに前半生を汚され、家族を失った私怨。簡単な自己紹介はこちら

私が生まれたのは1980年。両親の一人っ子として普通の家庭で育てられるはずだった。しかし、私が生まれた直後に両親がエホバの証人というカルト宗教に入信してしまうという不運に見舞われる。このため、私は過酷な前半生を送ることになった。

エホバの証人とは、「ものみの塔聖書冊子協会」という名称でも知られる新興宗教団体。

両親は狂信的なエホバの証人で、ものみの塔の完全マインドコントロール下にあった。エホバの証人の親は、教団の指示に従い自分の子どもをエホバの証人にしようと必死になる。そのため、私はカルトの2世信者として厳しく育てられた。

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられたのだと思っていた。しかし、最近発見した昔のアルバムには、ケーキにロウソクを立てて私の1才の誕生日を祝っている両親の姿が写っていた。

ものみの塔は誕生日を祝うことを禁止している。ということは、私が1才のときには、両親はまだエホバの証人では無かったということ。この前後の私に物心つく前に不幸の伝道者が我が家を訪れ、両親をものみの塔に入信させてしまった。

この頃住んでいたのは中部地方のとある街。市街地まで車ですぐだが、自宅の周辺には大きな川や田畑があり、公園もあった。コンビニやスーパーも家からすぐの場所にある住みやすい郊外都市だった。

エホバの証人という悪魔の手先も実は被害者

若い両親夫婦と、産まれたばかりの私という3人だけのささやかな家庭に悪魔の手先がやって来た。1980年代前半のこと。微笑みの仮面をつけたエホバの証人という疫病神が伝道にやって来た。

エホバの証人は布教・勧誘活動のことを伝道・奉仕・ボランティアなどと言う。ものみの塔協会も自らのことをボランティア団体と自称しているが、嘘。宗教法人である。しかも危険なカルト。

この世の中は怖いところだ。油断するとすぐに騙され、何もかもを失ってしまう。アパート暮らしをしていたこの頃のことを思い出すと、とても悲しくなる。両親を騙し家族を崩壊させ、私の半生を歪ませたエホバの証人の伝道者を呪いたくなるのだが、その人ですらものみの塔協会の被害者

家族の中で真っ先にエホバの証人の勧誘に興味を示したのが私の母親。どこの家庭でもそうなのだが、父親が仕事に出かけている間にエホバの証人がやって来る。そして、母親からものみの塔協会の毒牙にかかっていく。

母親が最初に偽りの”真理”を聞き、エホバの証人を家に招き上げてしまった。母親には、見知らぬ土地での子育てによるストレスや悩みが溜まっていた。その隙をエホバの証人に突かれる。母親は幼い私を連れてエホバの証人の王国会館に通い始めた。

冷静な判断が出来なくなるエホバの証人の王国会館

エホバの証人の王国会館とは、エホバの証人にとっての教会のような所。ここで当時は週に3回、集会と呼ばれる集まりが開かれていた。母親も幼い私を連れて、エホバの証人の集会に通い始めた。

エホバの証人の集会では、壇上からものみの塔協会の教義の講義や聴衆参加型の討議が行われる。参加者は祈りや讃美歌のとき以外は椅子に座っている。しかし、活発で普通の子供だった私が王国会館で大人しく座っていることは出来なかった。

活発というかやんちゃだった幼い私にとって、1時間から2時間も訳の分からない話をただ座って聞いていることは出来なかった。ところが不思議なことにエホバの証人の子供たちは礼儀正しく座り、集会に参加する。挙手して発表する子供までいる。

どうしても王国会館で大人しくしていられない私に、遂に母親の怒りが爆発。王国会館から帰宅した後、幼い私と父親に怒りをぶつけ始めた。周囲の同年代の子供を持つエホバの証人の親に対する屈辱感、敗北感、劣等感といったものが極限に達したのだった。

子供は1人1人違うのは当然で、それは大人も同じなのだが、エホバの証人の王国会館の中でそんな冷静な判断は出来なくなる。画一的なエホバの証人2世と無個性な大人の信者の集まりの中で、自分の意見や考えをしっかりと保つのは難しい。そもそもそんなものを持ち得なかったからエホバの証人に騙されたとも言える。

エホバの証人の王国会館という伏魔殿

エホバの証人の子供たちは、決定的に洗脳され、完全に調教されているので2時間もの集会の間、大人しく座っていることが出来る。そんなロボットみたいなエホバの証人2世と元気な自分の子供を比べちゃダメ。幼い私の落ち着きの無さは子供の特徴でもあり、私の個性だった。

エホバの証人の王国会館に連れてこられている子供たちは、2時間の集会の間じっと大人しく座って講演者のありがたーい講話を聞いている。中にはノートをとりながら聞いている子供や、手を上げて発表するような子供まで。

王国会館に連れてこられている子供には個性は一切認められず、大人しく賢くというのが単純に正とされる。彼らがお利口に見えるのは懲らしめという児童虐待とハルマゲドンという恐怖によるマインドコントロールの成果なのだが、私の母親はそんなことを知る由も無かった。

子供の私が発していた王国会館からのSOS

母親は単純に他のエホバの証人の子供と私を比べて、ものみの塔協会の教育方針を素晴らしいと勘違いしてしまう。とある薄曇りの日曜日の午後、王国会館から自宅に帰った母親は、集会中の私の騒がしい態度に怒りを爆発させた。

私は、意味もなく泣いたりするような年齢では無かったのだが、とにかく王国会館では大人しくしていられなかった。当たり前な話で、今でも下らない怪しげな話を、5分たりとも座って聴くことなど出来ない。

幼いながらにエホバの証人に関わることの危険性をアピールしていたのかも知れないが、私の王国会館でのささやかな抵抗は母親には認められることはなかった。

記憶も定かでないほどの幼児だった私が、王国会館でそわそわしていたのは、エホバの証人として自分の身や家族に降りかかる今後の悪夢を予想してのものだった。

生まれて最初の記憶はエホバという悪夢の始まり

父は、母が王国会館に通うことを反対する訳でもなく、あくまでも中立。休みの日曜に早起きして外へ出かけるつもりがなかっただけ。それならパチンコにでも行くよといった具合。

しかし、何故か王国会館から帰った母が激怒している。とある日曜の午後、母は王国会館で大人しくしていられない私に対して怒りを爆発させた。午前中の集会での私の態度がひどかったから。泣いたり、走り回ったりで手に負えないと。

不吉な薄曇りの日曜の午後。あの薄暗い部屋での出来事が、私の生まれてからの最初の記憶になっている。母親はヒステリー気味に私を非難する。私は父親の影に隠れながら、悪い空気を和ませるためなのか、適当に言った運命の一言が

「お父さんも一緒に来てくれたら、いい子にしていられるかも」

これは父親の威厳のことを指しているのではなく、この場を取り繕うための子供ながらの一言。しかし、この一言が悪夢の始まり。この一言で父親の運命までも変わってしまった。

翌週以降、父も渋々ながら王国会館に通い出すようになった。当然、私の王国会館への連行も続く。この後、私の前半生はエホバの証人2世として育てられるという最悪な方向へ進む。

この一連のやり取りが、私が生まれて初めての最初の記憶。最低最悪な記憶と幼い私の罪。そもそも、宗教施設に行ったばかりに精神的に不安定になり、子供に怒鳴り散らすというこの始まりがエホバの証人一家の行く末を暗示している。

そして、家族全員がカルトによって洗脳され、20年後には一家離散という悲劇を迎える。これが私の最初の記憶。薄曇りの日曜日の午後。家族をエホバの証人という泥沼に引きずり込んだ日。

両親をものみの塔協会に引きずり込み家族を崩壊させた私の責任

この流れを考えてみると、両親を完全にエホバの証人に堕としてしまったのは私自身。まだ2歳にもなっていない頃のことではあるが、私の家庭が崩壊した元凶は私自身にあった。

ただ、この事実を私は気にはしていない。結局は、両親にしても私にしても、自分の人生に対しては、自分で責任をとるべき。そう考えている。

ただ、未だ重すぎる過去と向き合えない両親に代わり、私が両親の罪を償う必要あると最近は考え始めている。両親の罪とは、自分たちと同じようにものみの塔のせいで人生を狂わす人々を量産したこと。

エホバの証人は熱心に布教することが求められる。両親もそれに従った。そのため両親は自分たち同様のカルト被害者を量産した。

ものみの塔協会に捧げることになった15年近くの私の貴重な時間、崩壊させられた私の家族、これらに一矢報いるべく、現在の私は自分の過去を振り返り、晒し始めた。また両親の罪を少しでも贖うため。

私の家族と同じ道を歩まないように、現役エホバの証人信者は、速やかにエホバの証人を辞めるべき。エホバの証人を辞めたあとにも長く後遺症が残る。家族にも自分自身の心の中にも。

こんな人たちに少しでも役に立つことがあればと、そんな思いで私の経験を書いている。悪見本、反面教師として踏み台にして頂ければ幸いである。

 

ムチ打ちの刑に処されるエホバの証人の幼児

子どもを持つ親へ仕掛けられるエホバの証人の罠

私と両親の三人家族の中で、最初にエホバの証人の王国会館に通い始めたのは母。まず母親がエホバの証人の餌食になった。さらに私も母親にエホバの証人の王国会館へ連行されることになった。

活発な子供だった私が王国会館で大人しくしていられるはずが無かった。もったいぶった集会が2時間も開かれるのだ。そんな場所へいきなり連れて行かれて、ずっと座っていられるはずがない。

静かに出来ない私を恥ずかしく思ったのか、王国会館に来ている他の子供の行儀よさと比較して不安になったのか、母は父と私に向かって怒りと不安をぶちまける。

とある薄曇りの日曜日の午後、王国会館から帰った後のこと。なんで集会中に静かに出来ないのかと!精神的に問題があるんじゃないのかと!母が泣き叫び始める。

王国会館に通っている子供が同年代の子供に比べて大人しく、お利口に見えるのは調教されているから。調教方向は手痛い体罰。鞭打ち。サーカスの動物と同じ。王国会館で騒げば、懲らしめ部屋でお尻をベルトや素手で引っ叩かれる。

体罰は、エホバの証人には懲らしめと呼ばれ推奨されている。その痛みの代償にロボットのようなエホバの証人の子供たちが量産されている。子育てに悩む親たちは王国会館で製造されたロボットを見て、この宗教に魅力を感じてしまう

エホバの証人の子どもに対する懲らしめという名の児童虐待

エホバの証人の王国会館には、信者の親によって、多くの子供が連れて来られる。子供たちは、壇上からされるありがたいお話をじっと椅子に座って聴いていなければならない。

これが子供の私にとっては、というか全ての子供にとってだが、大変な苦痛。活発な子供だった私は、1分と同じ場所に座っていられなかった。

しかし、驚くべきことに王国会館に連れてこられているエホバの証人の子供たちは、2時間もの集会のあいだ、大人しく話を聞いて座っている。しかも、注解と呼ばれる、壇上からされる質問に対しての適切な回答まで出来る。

この理由は明快で、子供たちは厳しい体罰を受け、恐怖心から見た目にはお利口な行動をとっているだけ。エホバの証人たちは、体罰を懲らしめと呼び、子供の教育にとって非常に重要なものだとものみの塔協会から教え込まれている。

懲らしめの道具は様々、素手だったり、布団叩き、ベルト、ゴムホースまで様々。エホバの証人の親の間では、懲らしめに使う道具の情報共有がされている。あれは効く、あれは意外と痛くない、定規だとお尻に跡が残るからNGだとか。まるでプレイに使う道具を選んでいる変態集団。

エホバの証人二世というロボット

私の家では、まずは母がエホバの証人に興味を示し王国会館に通い始めた。その後で未だ信者でなかった父親の懐柔が始まる。まずは同年代の似たような神権家族をその家庭に送り込んでくる。

神権家族とは、両親がともにエホバの証人で、必然的に子供たちもエホバの証人2世として育てられている家庭のこと。

父親同士が”聖書研究”をしている間に子供達で遊ばせる。その子供もちょっと大きくなると、同じく聖書研究と称して黄色い絵本のようなものみの塔協会の出版物を読まされる。

同年代のエホバの証人2世に初めて会ったときに、大きな衝撃を受けたことを覚えている。近所の子供たちとは全然違う。大人びていて言葉使いが尋常でなく綺麗。

「僕と一緒に遊びましょうか」と、初対面の幼児に言われた。まさにエホバの証人2世ロボット

ものみの塔協会の出版物研究と未信者の父親の攻略

エホバの証人の家庭で行われる聖書研究だが、これは決して聖書を研究する訳ではない。エホバの証人が”聖書研究”と言うのは詭弁で、実際はものみの塔協会が発刊している出版物を読んで質疑応答を繰り返すもの。

エホバの証人の使っている聖書も、新世界訳というものみの塔協会にとって都合の良いよう翻訳されたものだが、教団の出版物はもっと酷く、聖書の中から都合の良い部分を抜き出し恣意的に解釈したもの。

ものみの塔協会の出版物を繰り返し、繰り返し読み、設問に答えるのがエホバの証人の”聖書研究”。正しく言い直すなら、”ものみの塔協会の出版物研究”、つまりは、ものみの塔協会の出版物による洗脳教育。

ものみの塔協会の出版物研究が終わると、親子交えて、お茶を飲んでお菓子が出てという状態になる。エホバの証人2世の子供は、最初から最後まで礼儀正しく大人の話を聞いている。

そんなエホバの証人2世ロボットに比べて、自分の子供は落ち着きも無く、行儀も悪い。こんな劣等感を未信者の父親が感じ始めたときには既にアウト

いつの間にか最後の砦だった父親がエホバの証人組織に取り込まれている。私の家でもこの過程で父親までものみの塔協会の洗脳下に置かれてしまった。

悲しいエホバの証人2世の子供

私の両親のように、我が子とエホバの証人の子供とを比べてしまうと、いかにも、うちの子が出来ない。そういう風に見えてしまう。

私が親になった経験から言うと、自分の子供を他人の子供と比較することほど、愚かなことはない

自分の子にも長所があり、よその子にも長所がある。まずは自分の子供の長所を見つける。そしてそれを伸ばす。自分の子供を見ずに、他人の子供と比べてばかりいるから、うちの子の悪い点ばかりが目につく。

子供はそれぞれ違って良い。落ち着きがなくて良い。子供は元気いっぱいなもの。意味も解らない大人の話を黙って聞いていられるはずがないし、その必要もない。それぞれに個性を持った子供を比べてはいけない。

一見、エホバの証人2世の子供は従順で大人しくしっかりしているように見える。しかし、実際はエホバの証人の教義に基づいて必要以上に厳しく育てられているだけ。こらしめという体罰による恐怖政治で押さえ込まれている悲しい家族の産物

私は、子供としての楽しみや子供社会の中での自己の確立、そういったものとは程遠い環境で育っていく。当然、週に1回以上はお尻をこっぴどく叩かれる懲らしめを受ける。私もエホバの証人2世ロボットへの道を歩み始めた。

そして、両親は熱心なエホバの証人になっていく。父親は会衆の長老という責任者になり、母親は正規開拓奉仕者となった。正規開拓奉仕者とは、年に1000時間もの時間をものみの塔協会の布教活動に捧げる人々に与えられるステータス。

小学校に入る前の私は、母親の布教活動に連れ回された。雨の日も風の日も極寒酷暑の中を家から家へと歩き回らされる。はっきり言ってこれは嫌で嫌で仕方が無かった。

そもそも王国会館に通うのも苦痛だった。しかしこれを言ってしまうとエホバの証人2世の子供には懲らしめと呼ばれる体罰が待っている。子供の私は大人しくものみの塔協会の活動に従事するしかなかった。

布教活動に連れ回されるエホバの証人二世の過酷な幼児生活

エホバの証人2世の子どもには過酷な生活が待っている。私は、幼稚園や保育園という幼児教育を受けていない。同年代の幼児が保育園で昼寝をしているような時間には、母親に野外でのエホバの証人の伝道奉仕活動に連れて行かれていた。

伝道奉仕活動とは、かつてエホバの証人がエホバの証人らしさとされた活動のこと。信者たちが決まった場所に複数人で集まり、ペアを組んだり、親子だったりで家から家へ呼び鈴を鳴らして周りまくる。

「ボランティア活動で来たのですが」と始め、信者の勧誘を行うのだ。集合する場所、周るエリアは漏れがないように周到に計画されている。留守だった家は地図にマーキングされ、後日、留守宅訪問と称してやってくる。

これが雨でも雪でも炎天下でも、ひたすら家から家へと2時間から3時間も歩かされるのである。宮沢賢治かと。こんな修行僧のような生活を、喜びと感じる幼児がいるはずがない。

エホバの証人2世の子どもが初めて気付く違和感

私は小学校に入る直前の1986年に1度目の引越しをする。入学予定の小学校だけ隣の校区に変わり、エホバの証人の会衆は変わらず。会衆とは、エホバの証人の地域毎のコミュニティのこと。メンバー100名ほどで構成される。

エホバの証人2世の子供は、幼稚園や保育園といった幼児教育を受けないので仲の良い友達との別れというようなものは無かった。

そもそもエホバの証人2世の幼児にとってはエホバの証人の世界が全て。引越しした先で小学校に入学した私は、初めてエホバの証人以外の社会に触れることになる。

引っ越す前に同じアパートに住んでいた男の子が地元のお祭りに行こうと”はっぴ”を来て誘いに来てくれたことがあった。お祭りは突き詰めると八百万の神々に対する感謝の行事なので、異教のものとしてエホバの証人にとっては禁止事項。私は母親に遮られてお祭りに行くことは出来なかった。

この時に感じたエホバの証人の子供特有の違和感を小学校生活では常に味わうことになる。この違和感に気付いたときはすでに遅すぎた。両親は後戻り出来るような健全な思考状態にない。完全なものみの塔協会のマインドコントロール下。子供の私が何を言っても始まらない。待っているのは懲らしめと呼ばれる虐待。

エホバの証人二世の子供の真夏の記憶

私は小さな頃に、無性に遊びたくなることが何度かあった。理由は、エホバの証人の2世として常に抑圧された厳しい環境にあったため。印象的に覚えているのは2回。

1度目は小学校に入る前のこと。暑い夏の日。自転車に乗れる年齢だったので、1人で家からちょっと離れた場所にある児童館に向かった。ちょうど昼のご飯時で児童館には誰もいなかった。

私はたった1人、この児童館の体育館にあるトランポリンで延々とジャンプし続けた。母親の目の隙をついて家を自転車で飛び出した。家へ帰ればすぐに午後からの伝道奉仕活動に連れて行かれる。

何となく落ち着かない気持ちだった。それでも真夏の昼間に、暑い体育館の中で私はたった1人、無心にトランポリンで跳ね続けていた

もう1回も同じく真夏の昼間のこと。これは小学1年生の夏休みのとき。私は小学校に入学する直前に腕を骨折して、そのギブスが取れたのがこの初めての夏休み。ずっと体を動かすことが出来なかったストレスがあった。

またも家を自転車で抜け出して近所の公園へ行った。この時もちょうど昼食時だったため公園には誰もいなかった。私はたった1人、暑い夏の日差しの中で猛烈にブランコをこぎ続けた。左肘の包帯がまだ痛々しかったのをよく覚えている。

夏休みだったので、午後からは母親と一緒に伝道奉仕活動に出かけなければならない。夕日が傾くまで、いつまでもいつまでも遊んでいることは出来ない。へとへとになるまでブランコをこいだら良い加減に家に帰らなければならない。

ただこの時の私は何もかもを忘れ、汗を流し無心でブランコをこぎ続けていた。

無意味にも思える子供の遊びだが、これは私にとってとても重要な意味を持っていた。ものみの塔協会の教義と親の束縛から、ブランコを無心でこいでいるこの時は、ほんの一瞬だけ自由になれた。

幼い頃の私は、時おり無心で遊ぶことで何とか自分の精神状態を保っていた。ハメをはずすことは許されないが、エホバの証人として許される”ふさわしい”遊びを納得するまで無心に行う。そうして自分の子供としての欲求を発散していた。

友達といつまでも遊ぶということは出来ない。常に集会や伝道奉仕の時間に追われているから。また”この世”の友達と遊べば、必ずエホバの証人として”ふさわしくない”遊びが混じってくる。ものみの塔協会の不可解な教義には禁止事項が尋常でなく多い。普通の遊びでも戒律に抵触することが多々ある。

幼いながらに私は他の家の普通の子供とは違うのだと実感していた。この世の友達と遊ぶには阻害要因が多過ぎた。そもそも親がエホバの証人でない学校の友達と遊ぶことについていい顔をしないのである。

こうしてたった1人で遊ぶことで、ようやく私は正気を保っていた

 

恥と苦痛に満ちたエホバの証人2世の少年期

エホバの証人2世の苦痛に満ちた少年時代

小学校の毎日の給食の合掌、校歌、国家の斉唱、クリスマスや節分などの行事、そういったもの全てに私は参加出来なかった。異教のものや神エホバ以外に特別に敬意を払うことをものみの塔協会は禁止しているため。

週に3日もある王国会館の集会へ通う日にはその予習のために友達と遊ぶことは出来ない。この頃は土曜日の午前中は学校の授業があったのだが、土曜日の午後もエホバの証人の布教活動に連れて行かれるので友達とは遊べなかった。

日曜日も、午前中はエホバの証人の集会で王国会館へ連れて行かれるし、午後は教団の布教活動。何の楽しみもない子供時代だった。エホバの証人だけで行われるレクリエーションと呼ばれるものだけが唯一の楽しみ。それも2ヶ月から3ヶ月に1回あるかないか。

エホバの証人は間もなくこの世の事物の体制に終わりが来ると洗脳されている。そのため今を楽しむという発想が皆無。貴重な若い今だけの時間、子供が幼い貴重な時、それら全てを投げ打って、来る訳がない将来の楽園での永遠の命という幻想に身を委ね人生の全てを賭けている。

狂気の沙汰だが本人たちは至って自分たちの考え方は正常だと思っている。文句をつける人たち全てが悪魔の誘惑の手先であると洗脳されている。そのため、何を言っても通じない。

エホバの証人2世の自殺未遂

私には強い自殺願望があった。かつてエホバの証人2世として地獄の日々を送っていた頃のこと。14才の秋にエホバの証人をやめたので、物心ついてから中学2年生になるまでの間。

最初の自殺未遂の記憶は手に包丁を握っている瞬間。まだ幼児か小学生の低学年だと思われる頃。手に握った包丁を自分の体に向けている。台所の流し台の下から持ち出した包丁を、自分の体ぎりぎりまで近づけ、刺したら死ぬなと思っている。結局、自傷もせずにそっと包丁を戻した。

腹を十字に切って、心臓を突き刺すくらいでないと、包丁で死ぬのは難しい。無論、子どもの私にはそんな物騒な知識は無かった。力もないので自分を刺し抜くなんてことも出来なかっただろう。

単なる子どもの悪ふざけだが、相当に怖い、恐ろしい、気味の悪い悪ふざけだ。自分の子どもが同じことをしていたら、どう感じるだろうか?

2番目の自殺未遂は中学生の頃。私は、トラックが走り抜ける国道を自転車で走っている。後ろからトラックが近づき、自転車に乗る私の体のそばを猛スピードで走り抜けていく。

ちょっとでも自転車のハンドルをトラック側に切れば、私の体はトラックに潰され、引きちぎられるだろう。何度も近づくトラックに向けて、自転車のハンドルを切ろうとした。実際に自転車のハンドルを切ったことも何回かある。その度に、今一つ思い切りが悪く、大きくハンドルを切れなかった。

ほんの僅かの差で私は今、生き残っている。最悪の決断と選択である自殺で、一生を終えることがなく、本当に良かったと今では思う。

エホバの証人とハルマゲドン

幼児の私は包丁を持ち出して、自分の体に突き立てようとしていた。この理由は今となっては定かではない。

エホバの証人2世として、炎天下や雪の降る中を、来る日も来る日も伝道活動で連れまわされるのが嫌だったからか?エホバの証人2世としての来たる地獄の小学校生活を予見していたからか?

どちらでもなく、ただの子どもの悪ふざけだったように感じる。気味の悪い、行き過ぎた悪ふざけなのだが、このふざけ過ぎにはしっかりとした理由がある。

エホバの証人にとって命の価値は尋常でなく軽い。人間の命など、エホバの証人にとって吹けば飛ぶようなもの。なぜか?エホバの証人はエホバの証人以外の人類は皆、滅ぼされると洗脳されているから。

エホバの証人信者でない人は誰もが、優しいおばあちゃんや親族のおじさん、学校の先生、隣の家の人、誰もがもうすぐ神により滅ぼされ死ぬ。

エホバの証人信者は全員、今すぐにでもその終わりの日、ハルマゲドンが来ると洗脳されている。エホバの証人にとって、忠実なエホバの証人以外の人類全員の命が短い期限付き。

エホバの証人の子供にとっても、命は低価値・短期間。ゆえに自分の命も吹けば飛ぶほどに軽い。包丁で突き刺してしまえるレベル。

エホバの証人に自殺者が多い理由

私の中学生の時の話。道路に飛び出して死んでしまおうとしたときの話。これにははっきりとした理由がある。学校で恥をかきたくなかったから。

エホバの証人2世だった私は、学校のクラブ活動への参加が許されていなかった。学校の活動より、ものみの塔協会の活動を当然優先すべき。両親にそう強制されていた。

私の中学校の男子生徒は全員、体育系のクラブに所属していた。地区大会が迫ると、出場選手は体育館の前方に並び壮行会が開かれる。上級生になると、男子生徒ほぼ全員が地区大会に出る。不参加の私は一人、女子生徒に交じり体育館の後方から応援する側に回る。私は、これが嫌で嫌で仕方がなかった。

エホバの証人は神エホバ以外の誰かを支持することが許されていない。つまりは応援も禁止という、強引なロジックで応援活動一切が許されない。野球の試合を見ても応援してはいけない。どこからが応援になるのかは微妙なラインなのだが、応援歌や校歌の合唱、メガホンを振ったりは絶対NG。

この壮行会では女子生徒に交じり、私一人が男子生徒、なおかつ応援行為も出来ず、一人座っているというダブルショックの地獄絵図。これが私は恥ずかしくてたまらなく、そんなことならトラックに轢かれて死んでしまえという発想に至る。

大人になった今になると下らないことなのだが、思春期の少年にとっては超重要なこと。さらに、エホバの証人として特殊な学校生活を送っていたため、自意識が過剰で他者の視線が恐ろしかった。エホバの証人であるという決定的な弱みがあるのに、それ以上自分の弱みを周囲にさらけ出したくなかった。

私には、自分自身がハルマゲドンで滅ぼされるだろうという認識があった。この頃の私は隠れた自慰行為に目覚めており、これはエホバの証人の禁止行為。これがハルマゲドンで私が焼き尽くされる十分な理由となる。

また親の手前、表面的にはエホバの証人信者であったが、心の中では、神や親やキリストやものみの塔協会を呪っていた。これもハルマゲドンで滅ぼされるにふさわしい条件。目前に迫る終わりの日、ハルマゲドンを私が生きて通過できる見込みはゼロ。

どうせ長い命ではないのだから、生き恥をさらすよりはトラックにひかれてあっさり死んでも構わない。私の自殺願望はこうして生まれた。エホバの証人2世にとって命は異常に軽く、そして学校生活の重圧は命の比にならないほどの辛さ苦しさ。エホバの証人に自殺者が多いはずだ。

エホバの証人の子どもたちを縛るものみの塔協会の禁止事項

エホバの証人の子供は、ちょっとでも攻撃性や悪魔性のあるテレビゲームは禁止。結果、テトリスのような純粋なテレビゲームくらいしか出来ないのである。

そもそも信者の親は子供にファミコンなど買い与えないし、パズルゲームでもステージの合間に敵を倒していくようなおまけ的なシーンがあるだけでいちゃもんを付けてくる。

エホバの証人は霊魂や幽霊の存在を否定しているので、当時流行っていたキョンシーの真似をして跳ねることも許されなかった。また、戦闘的・暴力的なこと一切を禁止しているので、モデルガンでの撃ち合いやおもちゃの刀を振り回すなんてことも許されない。逆らうと禁止のはずの暴力が「懲らしめ」という体罰形式で返って来る。

不思議だったのは聖書に出てくるヨシュアやダビデのような英雄たちは武装し敵と戦っていた。それが現代人のエホバの証人信者には許されない。

ものみの塔協会はエホバの証人以外の全ての宗教を邪教とみなし、教団の出版物で積極的に攻撃している。ヒンズー教やイスラム教、仏教、神道などの異教を上げ連ねて批判する書籍がものみの塔協会から出版されていた。

当然、エホバの証人の家には神棚や仏壇が無い。日本独特の神仏習合という宗教を融合させたおおらかさをも矛盾であるとしてエホバの証人は認めていない。

エホバの証人は仏式の葬式や神前での結婚式など、親族の行事に参加することも禁止。そのため親族の死に目や門出に際して冷酷な態度をとっていると判断され疎遠になっていく。

異教に由来する行事すべてもエホバの証人が参加することは禁止されている。正月飾りに始まり節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、エイプリルフール、鯉のぼりや五月人形を飾ること、七夕、お盆の墓参り、ハロウィン、七五三など、それらの全てをエホバの証人は禁止。

ものみの塔協会はクリスマスや復活祭も禁じている。他の宗教だけでなく同じキリスト教のカトリックやプロテスタントなども異端としているから。ものみの塔協会は自身だけが正当で正確として他の宗教を一切認めず、信者のエホバの証人に対して一切接触しないように求めている。

エホバの証人の子供の恐怖の豆まき、恥と痛みの記憶

エホバの証人2世の子どもは、ほぼ全ての伝統行事への参加が禁止されている。私が子供の頃は、こういった行事が学校で行われる度に寂しく心細い思いをした。これが小学校の高学年になると恥の感情に近づいていく。自分は他の人と違って特殊ということがとても苦痛だった。

節分の豆まきのために、教室の後方に下げられた机の群れの中で、私だけが自席に座っている。全ての机を下げたために自分の席のスペースが狭く、机がお腹に密着している。

周囲の机が迫ってきて自分の腹が押しつぶされているような感覚に襲われる。その痛みと重みをお腹に感じながら、嬌声を上げて節分の豆をぶつけ合っている同級生を見ていた。

逆に同級生から見られたり、ふざけ半分で豆をぶつけられたりすることがないように出来るだけ目立たないようにしている。誰も私に気づかないでくれと願う。

「鬼は外!」「福は内!」

鬼でなく私が外に出ていきたい気持ちになる。自分はのけものだという思いが強烈に広がる。

僻地への転居はものみの塔協会のため

私が小学校4年生になるときに、一家で北陸の田舎へ引っ越すことになった。両親双方が北陸出身だったので、両親それぞれの実家の間に新居を構えた。1990年頃のこと。

地方の田舎はエホバの証人が少なく、ものみの塔協会にとって”必要の大きな所”とされている。深い洗脳状態にあった両親にとって、田舎で熱心に布教活動を行うということは重要なことだった。

また、両親は、私が多感な少年期を迎えて都会にいると”この世”の誘惑に晒されるという思いもあって田舎に引っ越すことを選んだ。果たして、これが良かったのか、悪かったのか。

私は10代半ばになると見渡す限り田んぼしかないこの田舎町が大嫌いになった。こんな所を離れたいという思いも相まって、エホバの証人を絶対に止めて親元を離れるのだという強い決意になった。

小学校4年生、9才の時の引越しが、私が14歳でエホバの証人を止めることが出来た原因の一つ。

ものみの塔協会の仕組まれた預言

両親が自分たちの実家の近くに住んだのにはまた別の理由がある。両親は自分たちの親をエホバの証人組織に導こうとしていた。

間もなく終わりの日、ハルマゲドンが来るとエホバの証人は洗脳されている。私の両親も同じく、完全にものみの塔協会マインドコントロール下にあった。

そのハルマゲドンを生き残れるのはエホバの証人だけ。ハルマゲドンを通過すると地球は楽園に造り直され、エホバの証人たちはそこで永遠に生きられるという設定になっている。

私の両親は、私の祖父母と共に楽園に入り、永遠の命を享受したいと本気で願っていた。洗脳状態の恐ろしさ。永遠に生きられるということについて信じて疑わない。

明らかなに思考状態が異常なのだが、傍からそれを指摘してもエホバの証人は耳にもとめない。なぜなら、そういった外部からの攻撃は全て悪魔サタンの手先の攻撃、誘惑であるとものみの塔協会によって先手を打たれ、信じ込まされているから。

ものみの塔協会は、終わりの日が近づいてサタンは攻撃の手を強めている、あなたにとって身近な人ほどあなたの真理に対して強く反対すると預言めいた言い方をする。

そりゃ当然だ。身近な人ほど愛する家族がカルトにかぶれてバカなことを言い出したら強く反対するに決まっている。

 

エホバの証人2世の灰色の小学校生活

僻地の田舎社会で悪目立ちするエホバの証人2世の子ども

私は小学校4年生になるときに引っ越して転校生になった。両親の田舎に引っ込むような形での引っ越し。転校先ではゼロからエホバの証人2世であるということを先生や同級生に証言しなければならない。

引っ越した先の田舎町では小学校の1年生から6年生までほぼ全員が顔見知り。人口が圧倒的に少ない。各学年にかろうじて1クラスあるかないかという強烈な田舎。こんな環境に置かれたエホバの証人2世は超有名人の変わり者扱いになる。

当時20世紀末の田舎社会には、信仰の自由というものに理解は無かった。引っ越して来たのだから地元の祭りや行事に参加するのは当然という空気。

引っ越し前に住んでいた郊外都市では、地元の祭りはただのフェスティバルで子供が積極的に参加するというのは無かった。露店が並んでいて、そこに遊びに行くぐらい。あとは盆踊りがあるだけ。

しかし、引っ越した先の田舎町では、地元の子供は漏れなくお祭りに参加し、古典芸能を舞ったり神輿を担いだりしなければならなかった。

秋祭りのための練習を春頃から始める。その指導は地元の大人が行う。これが田舎のコミュニティになっている。それに参加しないということは私の家族そのものが地域で浮くことを意味している。

無論、深いマインドコントロール状態の両親はそんなことを気にもしない。しかし多感な小学校高学年だった私には、クラスメイトやその親の視線が痛くてたまらなかった。

人口密度の小さな田舎でこれほどの変わり者というのはとても目立つ。すぐに有名人一家になってしまった。学校でも有名な変わり者扱いを受ける。思春期に差し掛かりつつあった私にとってこれは致命的な屈辱だった。

田舎に引っ越したことによって、私は過酷な環境に置かれることになった。しかし、完璧な洗脳状態にあり熱心なエホバの証人だった両親にとってそれは喜びだった。

エホバの証人に理解の無い環境で自らの信仰を証言することは、エホバ神が与えて下さった試練であり、そういう理解の少ない所こそがエホバの証人にとって”必要の大きな所”であるという考え方。

そういう環境で布教活動を出来るのは特権であり、喜ぶべきことであると考えていた。マインドコントロール下のエホバの証人は、全てをものみの塔協会にとって都合の良いように考えるようになる。完全なるマゾヒスト。

 エホバの証人の子どもの学校生活は尋常でないストレス

ものみの塔協会は自分たちだけが唯一の真理を語る組織であると自称し、他の宗教全てを異教・異端とみなし攻撃している。他の宗教はもちろん、キリスト教の他の全ての宗派を否定。本来は自分たちが異端そのものなので、滑稽な話。

クリスマスは正当なキリスト教の行事なのだが、エホバの証人から見ると異端の行事のため禁止。節分や七夕は、当然のように禁止。私の子どもの頃はなかったのだが、最近騒がれるようになったイースターやハロウィンも禁止。

当然、エホバの証人2世の子どもにもその被害は及ぶ。クリスマス、節分、バレンタイン、給食前の合掌、そういった宗教臭のする全ての学校行事に参加することが出来ない。他の宗教、思想を一切認めないという了見の狭さがエホバの証人の凝り固まった思考を育んでいる。

給食の前の合掌も、日本の神仏への祈りのポーズと同じなのでNG。合掌しないだけならともかく、私はキリスト教ポーズで祈りを捧げなければなかったので、周囲から見ると明らかな変人。

特に給食は毎日のことで、私にとって非常に大きなストレスであり、辛い時間だった。エホバの証人の子供には心休まる日は無い。給食の時間になると私はよく腹痛を起こした。

合掌しないだけなら、まだマシなのだが、エホバの証人は食事の前には独自のスタイルで祈りを捧げなければならない。両手を握り合わせて、目を閉じるという、子供ながらに恥ずかしいスタイル。

心の中で「天におられます父エホバよ。今日のパンに感謝します。迫害にあっている南アフリカの兄弟姉妹に平穏が・・・云云かんぬん・・・イエスキリストの御名を通じて、アーメン」とやるのだ。

できるだけ早く終わるように、心の中で早口で唱えるのだが、これが終わる頃には、周囲の奇異の視線で食欲も完全に失せる。エホバの証人をやめた後、初めての給食はものすごく美味しく感じたのをよく覚えている。

禁止事項の多いエホバの証人の子どもは性格まで捻じ曲がる

エホバの証人の戒律では、武術、選挙、国家や校歌の斉唱なども禁止。武術は柔剣道から相撲、騎馬戦まで全て禁止。エホバの証人の使っている新世界訳聖書に書いてある

彼らはもはや戦いを学ばない

の一節によるもの。そのためエホバの証人は徴兵にも一切応じない。

選挙は、小学校の選挙もNG、学級委員から生徒会まで全て禁止である。国歌、校歌は歌わないし、応援活動などもできない。

その都度、学校の先生へ信仰を証言し、できませんと言わねばならない。これが、まだ小さな子供に求められる。私にとって途方もないストレスだった。

学校の先生は、私が何らかの行事に参加出来ないと言う度に干渉してきた。この行事に宗教性は無いのではないかと。しかし小学生だった私がエホバの証人の掟を破ったらどうなっただろうか?

親に怒られるだけでは済まない。エホバの証人の教義に意図的に背くということは、狂信的なエホバの証人信者である親との決別を意味する。

親の保護無しには生きられないし、親を捨てる覚悟もない。10歳ちょっとでその覚悟は生まれようがない。今までの親と過ごしてきた時間が自分の人生の総量に占める割合が大きすぎた。未だ両親の愛情を必要としていた年齢だった。

であれば、親に秘密で学校生活においてだけエホバの証人でない顔をするしかない。しかし、学校の先生はその秘密の保持を保証できない。親に黙っていて、後でばれたときに自己の保身が出来ないから。

エホバの証人の親は怒り狂いますよ。子どもに異教の行事を無理やり押し付けたんじゃないのかと。このため、私は学校の先生のことを「覚悟も無いのに、仕事だから念のため干渉してくるだけの無能な地方公務員」程度に捉えていた。

エホバの証人の子供に対する虐待と愛情と恐怖による洗脳

田舎へ引っ込んだ両親はますます熱心にエホバの証人の活動にのめり込む。父親は会衆の長老になり、母親は正規開拓者として熱心に布教活動に従事していた。私もそれに伴い、ものみの塔協会の活動を中心とした小学校高学年を送ることになる。もちろん強制的に。

内心、嫌ではあったが小学生だった私が親に抵抗する術は無かった。兄弟もおらず、両親ともにエホバの証人だったので、今日だけは集会に行きたくない、そう言い出すことすら出来なかった。結果、待っているのは懲らしめという名の体罰。

体罰が嫌であることも理由の一つではあったが、洗脳状態の両親からですら愛情を得なければ、物質的にも精神的にも生きていけないという要因も大きかった。また、物心ついた頃からものみの塔協会に洗脳された影響も非常に大きい。

天にはエホバという絶対的で愛に溢れた許しの神がいるのだが、彼のその許しの精神も間もなく限界に達し、自身の創造物全てを一旦焼き尽くそうとしている。その大患難を生き残るためには、しこしこと王国会館の集会に通い続け、終わりの日が近いと伝道して回らなければならない。

私は、ものみの塔協会によってそう信じ込まされていた。とても深く深く。恐怖を煽ることによる洗脳。

エホバの証人の子供に生まれた不幸

エホバの証人の戒律を破ったことが親に発覚した場合、懲らしめという不幸を被る。懲らしめとは体罰のことで、完全なる児童虐待。現在なら家庭内での体罰も容認されないのだが、私が子供だったのは20世紀のこと。

しかし、現在でも体罰に関しては、エホバの証人の家庭内と秘密主義の王国会館は治外法権だ。愛のムチと称して、ベルトや定規などでお尻を引っぱたかれているはず。素肌に打たれるベルトは痛いし、ズボンを下ろしてお尻を出すのはとても屈辱的だった。

両親に対して秘密裡に、給食の前に合掌をして何とか周囲の痛い視線を和らげたいと思ったことが何度もある。しかし、その秘密は守られることはない。先生が黙っていてくれたとしても、校内にエホバの証人がいれば、彼らに告げ口される。

小学校の頃はエホバの証人は同クラスにはいなかったのだが、中学校になると同学年に2人、同じクラスになることもあった。たかが数百人しかいない小さな田舎の学校なのに。全国津々浦々まで蝕むものみの塔協会の毒牙。

給食の時間に私が合掌していれば、たちまちクラスの中のエホバの証人2世とその親を通じて、私が戒律を破ったことが両親に伝わる。エホバの証人は尋常でなく噂話が好きなのだ。密告社会。

小学校高学年のこの頃には、エホバの証人2世という自分の境遇が不幸以外の何物でもないと確信していた。他人と違うということがとても嫌だった。周囲の普通の子供のようにクリスマス会やバレンタインや節分や地元のお祭りや子供会のキャンプに参加したかったし、少年野球のチームにも入りたかった。

しかしそんな希望を両親に告げようものなら、両親の大きな失望と懲らしめが待っている。どうしようもなかった。早く大人になって独立したら、何とかエホバの証人をやめることが出来るだろうという漠然とした希望しかなかった。

小学校高学年になると、この自分の状況が圧倒的に不運であると思い始めた。エホバの証人2世である限り、明日は何ら楽しみでなく日常の景色は灰色だった。

2日か3日おきに抜群に退屈なエホバの証人の王国会館での集会がある。この日の放課後は友達と遊ぶことは許されない。集会の予習をしなければならないから。

この集会では1ヶ月に1回程度の間隔で割り当てというものが回って来る。神権宣教学校というものみの塔協会の教育プログラムに従い、自分で考えた5分程度の話を大勢の信者たちの前でしなければならない。この準備も大変だった。

集会の日は友達と遊ぶことも出来ないし、集会の無い日でもエホバの証人でない友達と遊ぶことに対して親は良い顔をしなかった。集会の無い土曜日も学校が終わった午後になるとエホバの証人の布教活動に出なければならなかった。

私が小学生の頃は土曜日の午前中はまだ学校があった。小学校の途中で学校も完全週休二日制になったのだが、私にとって嬉しくも何ともなかった。結局、エホバの証人の布教活動に参加しなければならない時間が増えるだけだから。楽しみなど何もない小学校生活だった。

エホバの証人の子どもの懲らしめという体罰からの卒業

小学校6年生のときにクラスに好きな女の子が出来たのだが、初恋までも、ものみの塔協会に妨害される。エホバの証人2世である限り、異性との交際など小学生や中学生には認められない。

幼い頃から何にも与えられなかった反動なのか、私の独占欲は異常に強かった。とにかくその好きな女の子を誰にもとられたくないという強い思いに駆られた。

エホバの証人である限り、デートをしたり付き合ったりなど出来る訳もない。それでも私はその女の子に告白したのである。これが親にばれようものならとんでもない目にあいかねない。

よく覚えていないのだが、小学校6年にもなると懲らしめという体罰は既に無かったのかも知れない。お尻を叩かれても我慢して泣かない。反抗的な目で痛みを耐える。これが出来ればエホバの証人の体罰は終了

自称愛のムチを振るおうとする母親よりも力が強いのだ。体罰を甘んじて受ける必要もない。とはいえ、中学生になるかならないかぐらいの年齢で親から独立して生きて行ける程の覚悟は私には無かった。

1990年代のこの頃、エホバの証人の子供でも高校ぐらいは誰もが卒業していた。そのくらいまでは親元にとどまらざるを得ないと私も思っていた。

不都合の多いエホバの証人2世の恋愛

私は初恋の相手に対して強烈な執着心と独占欲を持つようになっていた。これは幼い頃からのものみの塔協会による制限の多い生活の結果。何も与えられなかった故に、あらゆるヒト・モノを欲するようになる。

引き下がれなくなった私は意を決めて告白に至る。周囲の女の子が根回しをしてくれたのでラブレターを書いた。親に見つかればとんでもない懲らしめが待っているし、実際にどうやって交際するかというビジョンも知識も全く無かった。

とりあえず前へ進むことしか出来ない状態になっていた。手の届きそうな初恋をみすみす逃すことは出来なかった。待望のラブレターの回答はOK、私も好きだというようなものだった。

一旦は上手くいったものの、小学生の私にはその後の子供っぽい交際というものが上手く出来なかった。その子から誕生日会やクリスマス会に呼ばれても堂々と行くことは出来ない。そういったイベントはものみの塔協会の戒律で禁止されているから。

せめて出来てプレゼントの交換くらい。本当はバレンタインのお返しなども(もちろん貰うことも)エホバの証人には禁じられている。親に隠れて、クリスマスや誕生日、ホワイトデーといった行事ごとに、プレゼントを買いに隣町まで出かけていた。

息子の恋愛さえもエホバの証人にとっては効果的な伝道の道具

そうしている内に都合の悪いことが起こり始めた。その女の子の母親に対して、私の母がエホバの証人の伝道をし始めたのである。勝手に伝道に行って断られて帰って来てくれたら良かったものの、先方の母親が多少なりとも食いついてしまった様子。

そのため私の母親が足繁く通い、聖書研究が行われていた。先方にしてみれば、娘が好きな男の子との母親間の付き合いという側面もあった。

今となって考えてみると、これは修羅場とも言える絶望的な状態。自分の母親が、好きな女の子の家庭を新興宗教に引きずり込もうとしている。強烈な罪深さと最悪な状況。

この頃の私は、エホバの証人が家族や人格を崩壊させるほどの悪教であるとは気付いておらず、真理である、真実であると思い込んでいた節がある。幼い頃からの洗脳とは恐ろしい。ちょっとした客観的視線を挟むことすら出来ないのだ。

深い洗脳状態にあった私の母親は、子供同士が特別に仲のいい同級生という、効果的な要因を利用して相手の家族をエホバの証人という地獄に引き入れようとしていた

恋愛禁止のエホバの証人2世

私が小学校6年生のときの初恋の話。その初恋相手の家へ、私の母親がものみの塔協会の勧誘のために通っていた。双方の親達で週に1度、お茶を飲むついでに聖書研究が行われている。

私の母親は筋金入りのエホバの証人。先方の母親は全くエホバの証人信者ではなく、感じの良い人柄そのままに私の母の話を聞いてあげているという状態。思春期の子供にとっては最低最悪の状況。抜群の恥ずかしさ。

さらに、これでは子供同士の情報が親に筒抜けになってしまう。事実、その形跡が感じられることがあった。翌日がその女の子の誕生日だか何かで、親に隠れてプレゼントを用意したことがあった。何かに勘付いた母親がこのプレゼント行為を妨害してくるのだ。

そもそもエホバの証人二世は恋愛が禁止。成人してもしばらくは異性との交際は認められない。また、誕生日を祝うことも禁止。他にもクリスマス、バレンタインといったプレゼントの交換も厳禁。よって、初恋相手には、親に隠れてプレゼントを渡すしかない。

妨害されるエホバの証人2世の初恋

誕生日プレゼントに添えるメッセージを書きたいと思って、王国会館の集会から帰ってきた夜に自分の部屋にこもったのだが、そこへすかさず母親が入ってくる。そして執拗に何をしているのか?と聞いてくるのだ。

プレゼントやメッセージカードはしかるべき場所に隠していたのだが、あまりにも不自然な状態だった。小学生の私にはそんな夜更けに勉強する習慣もなく、言い逃れが難しい状態だった。明らかに先読みされていた。

しかし女の子への何らかのプレゼントであると認めると、来年から中学生という良い歳をして、おそらく体罰の対象となる。私の家は父親が夜勤だったので、父親の帰宅後の翌朝にひどい目にあうことになる。

到底親に発覚する訳にいかないので、ここは強く否定するしかなかった。否定というか、何でもないから放っておいてくれという反抗期風の抵抗しか出来なかったのだが。

エホバの証人2世の一過性

結局、中学校を卒業するまでその女の子とは微妙な関係が続いた。中学校を卒業する時には、私はエホバの証人をやめたいという願望を既に実現させていたので、堂々と彼女と付き合うことも出来た。

ただ、もう私の心が彼女から離れてしまっていた。お互いに違う高校へ進学することになっていたので、どうせ付き合うなら新しい環境でエホバの証人2世だった過去を知られていない人の方が良いという思いもあった。

常に、私の人生にあるのはこの一過性。ただただその場を通過していくということ。いつまでもここにはいないという考えが、私のいる場所や周囲の人々に対しての丁重さ、丁寧さ、思いやりを損なわせてきた

その場にいながら、彼らはこれから通過していくものであり、一旦、離れれば二度と触れることはないという杜撰な対応をしてしまう。エホバの証人2世だった時からそうだった。いつかはエホバの証人をやめるのだからと、会衆の人々に対して乱雑な対応をしていた。恥のかき捨てという思い。

人生は常に一期一会、それゆえにその瞬間、その一瞬にベストな対応、集中力で臨まなければならない。二度と会わないから粗雑にやり過ごすのでなく、二度と会えないからこそ後悔のない対応をしなければならない。

そうしなかったおかげで、私は初恋相手に始まり、何人かの恋愛相手に対して後味の悪さしかない。

 

ものみの塔協会のハルマゲドンと永遠の命という悪い冗談

幼児・児童に性的虐待を行っているエホバの証人

エホバの証人は、幼い頃から”婚前交渉”はNG、結婚しないとセックスやペッティングをしてはいけない、マスターベーション禁止、と過剰な性教育を行う。小学校に上がる前からこんなことを教えられる。

ものみの塔協会の出版物に載っている悩ましい挿絵、薄暗い寝室のベッドで頭を抱える若者の写真、こんなものを幼児に見せるエホバの証人は、懲らしめという体罰以外にも性的な虐待を幼児・児童に行っている。

この過剰な性教育は、思春期になると早い性の目覚めと抑えきれない欲望へと転化していく。私も同様だった。しかも思春期に突入した私は、何の娯楽も刺激もない田舎暮らしをしていた。田舎暮らしには、性的なもの以外に楽しみはない。

思春期に入った私は、異常とも言えるほどの性欲の高まりを感じていた。

部活動の選択にまで干渉するエホバの証人の親

私の通うことになったド田舎の中学校では生徒全員が何らかのクラブ活動に属することが強制されていた。しかも、男子生徒はほぼ全員運動部に入部しており、文化部に入る男は非国民であるという風潮があった。

しかし、私の両親は当然のように私を文化部に入部させようとしていた。体力を消耗する運動系のクラブ活動は、エホバの証人の活動に差し支えるため。これに私は断固抵抗した。

中学生のクラブ活動が文化部だろうとスポーツだろうと、今の私にとってはどうでも良いし、周囲と違って運動部に入らないというのも個性だと思える。

中学校に入学した頃の私は成績も良く、10才までは都会育ちたったので、言葉も標準語だった。そのためクラス内では女の子にもてる方だった。また生意気な子供だった私は、田舎者の周囲の生徒を見下しているようなところがあった。

そんな私を妬む同性の生徒にしてみると、エホバの証人2世であるという点が私の最大の弱み。私は、自分が”変人、変わり者、宗教、キリスト”とバカにされるのが我慢ならなかった。

これ以上悪目立ちするのは、思春期の私にとっては耐えることができなかった。文化部に入って自分の弱みを増やしたくなかった私は、強引に運動部に入部した。

親失格のエホバの証人

これがエホバの証人だった両親に対して、初めて徹底的に行った抵抗。13歳の春のことである。このスポーツクラブへの入部は両親にとって最大の譲歩。無事に運動部に入れたのは良いものの、私は厳しい条件をつけられることになった。

クラブ活動に参加出来るのは、エホバの証人の集会や伝道活動の無い月曜、水曜、金曜だけでそれ以外の日は一切参加不可とされた。本番の試合は土日にあるので、どれだけ練習しても試合に出場することできない。

子供がやりたいと言っていることに対して、どこまでも妨害するのがエホバの証人の親。そもそも中学生にもなって、子供自身にものごとを選択させない親というのはおかしい。

子供の重大な決断で明らかに間違っているというようなケースでも、親は考える示唆を与える程度にしなければならない。子供に自分自身で考え、決定させ、その決断の是非を振り返らせる習慣をつけないと、自分で一切ものごとを決められない親の操り人形になってしまう。

ものみの塔協会の情報統制

エホバの証人は喫煙や過度の飲酒も禁じられている。しかし、この宗教の創始者である初代会長のチャールズ・テイズ・ラッセルはアルコール依存症だった。こういったものみの塔協会にとって都合の悪い話はいくらでも出てくる。

初代会長ラッセルの墓が存在し、ピラミッド型のモニュメントになっている。エホバの証人は墓に埋葬されることは禁止なのに、ものみの塔協会の開祖だけは墓に丁重に埋葬され、崇め奉られている。また、ラッセルと2代目の会長ラザフォードはそれぞれ離婚し、夫婦生活に破綻をきたしている。

こういった情報はゴシップ的なもので全てを本当だと決めてかかれないのだが、これらは全てが真実。何故ならものみの塔協会はこういった都合の悪い事案をひた隠しにしているから。隠すのは真実だから。あまりにも都合の悪い真実。

ものみの塔協会は、信者のエホバの証人がこういった都合の悪い情報に一切触れないように情報統制を敷いている。偽りならば堂々と反論すれば良い。論争はものみの塔協会の得意とするところ。

ものみの塔協会は内部に弁護士を抱え、裁判沙汰を起こしては信教の自由を盾に勝訴を勝ち取っている。児童に対する性虐待では敗訴しているのだが、いずれにせよ、争いを避けろと信者に指導している割には、論争は大好きな組織。

であるのに、都合の悪い情報を内部の信者に対してひた隠しにしているのは、それらが疑いようのない真実である証拠。

 ものみの塔協会のマインドコントロールの手法

エホバの証人たちは、どこかに監禁されたりする訳ではない。あくまでも一般的な生活を送りながら、ものみの塔協会の洗脳下に置かれる。ものみの塔協会は次のように信者たちに教え込んでいる。

外部の情報は全て悪魔サタンの誘惑であり、エホバの証人に対する攻撃、今はハルマゲドンが近い終わりの日なので、その攻撃が強まっている。であるから、エホバの証人たちは、”この世”の一般的なメディアに触れてはならない。

エホバの証人にとって禁書とされる背教本こそ、サタンの攻撃、背教者たちはサタンそのもの。であるから、エホバの証人は背教者を避けなければならない。

ものみの塔協会にとって都合の悪いものは、私のような背教者、反対者とそれらがもたらす新鮮な情報と真実。ものみの塔協会は、信者たちにそういった都合の悪い人物や情報を自主的に避けさせることで情報統制を完成させている。

信者たちはハルマゲドンで死ぬのが怖いので、ものみの塔協会の言いなりになる。そのため外部の心ある人々の助言には一切耳を貸さない。何故なら背教者の声はサタンの声、それに耳を貸せば裁きが下ると洗脳されているから。

そして、ものみの塔協会にとって都合の良いことだけが頭の中に叩き込まれる。概ね次のような教義。

天に神エホバが存在し、イエス・キリストの統治が間も無く始まる。そのとき、この世を浄化するハルマゲドンが勃発。その裁きの日に滅ぼされることがないように、ものみの塔協会の言うことを遵守し、熱心に伝道奉仕活動を行わなければならない。ハルマゲドンを生き延びれば、地上の楽園で永遠の命を享受することができる。

深く洗脳されながらも人生の真理に至るエホバの証人2世の子供

 ものみの塔の教理は、冗談じみた、とんでもファンタジー。しかし、私は20才を過ぎるまでこの世迷言を信じていた。本当に悪い冗談。情報を遮断されるとこうなってしまう。

新鮮な情報が入らず、ものみの塔協会による濁った情報だけが頭の中に蓄積され、深い洗脳状態に持ち込まれる。物心つくかつかないかという頃から、繰り返し、繰り返しのものみの塔協会の出版物による洗脳教育。意識の底にまでものみの塔協会の嘘が刻まれてしまう。

私は14才でエホバの証人をやめたのだが、その理由はマインドコントロールが解けたからではない。

私は、ものみの塔協会が禁止しているマスターベーションを避け続けることが出来なかった。それゆえにハルマゲドンからの生還は不可能と考えていた。ならばエホバの証人を続ける筋合いは無い。そして、今、一瞬だけでも良いから全力で生きたいと考えたことが一番の脱会理由。

具体的にはサッカーを思う存分やりたかった。それが例えハルマゲドンまでの短い期間であっても構わなかった。中学生の私は、人間の本質は永遠に生きることではなく、短い生の中の一瞬の輝きにあると悟った。

ここまでものごとを考えていてもエホバの証人2世の洗脳は解けない。ただ、中学生くらいになると、何となくものみの塔協会の言っていることが全部正しい訳でもないと思い始めていた。

人生の真理については私の考えにも一理あるのは事実。しかし、これは答えの分かれる所。例えば、身体に障害のある人が楽園で完全な体を手に入れたいと願うのは仕方の無いことではないかと、中学生の私は思っていた。

ただ、楽園とか永遠の命とか全部ものみの塔協会の悪い冗談。命はこれ一回きり。どんなふうに生まれようが、この一度きりの生涯で勝負するしかない。それが残酷な真実。

エホバの証人の王国会館は欠陥人間の集まり

中学生になった私は、ものみの塔協会の言っていることが1から10まで全て正しい訳ではないと思い始めていた。1990年代の中頃のこと。

王国会館は明らかに不完全で欠陥人間の集まりだったし、そんな空間で一言一句不備の無い真理が伝えられるとは到底思えなかった。

このような不完全な集団がハルマゲドンを通過し、完全な人間に生まれ変わるというのがものみの塔協会の教義。それにしても不完全過ぎないかというのが私の印象。

四肢に障害があったり、とんでもない肥満者だったり、子供にしてもアトピーのような病気がちだったり、極端に学校の成績が低かったりという集団。単純に魅力的でない恵まれない人々が集まって傷を舐め合っているだけ。

しかし、そういった人々こそを救うのが愛にあふれ弱者に優しいキリスト。それでも私は、王国会館で伝えられることの全てが真実という訳でない気がしていた。

出来損ないの講演者によって伝わり方が変化したり、思い込みの注解がされたりすることで真理が捻じ曲げられていると感じることがあったから。(※注解とはものみの塔協会の出版物討議の設問に対して挙手の上、回答すること)

ものみの塔協会そのものが間違ったメッセージを発信していると感じることもあった。出版物にあからさまに矛盾があったり、突っ込み所があったりする。

預言を外したときのものみの塔協会の保険

ものみの塔協会は、故意なのか苦し紛れの偶然なのか、教義の不備については保険をかけている。昔から、ものみの塔協会は預言をハズし続けている。本来は1914年にハルマゲドンが起こり、この世の事物の体制が終わるとされていた。はたまた1975年が終末予定だったこともある。

しかし、周知の通りハルマゲドンなど起こっていない。終末の預言をハズす度にものみの塔協会は、エホバ神からの”新しい光”が降りましたと、預言を訂正する。神からのメッセージを不完全な人間が伝え間違えてしまったと、謝罪もなく前言撤回。

神からのメッセンジャーの役割を果たす統治体も完璧ではない。この逃げ道が用意されているせいで、ものみの塔協会の言っていることの大筋は正しいと私は思い込んでいた。(※統治体とはエホバの証人の最上層部に位置する集団)

大原則に付帯した細かな教義には疑問の余地は充分にある。しかし私は、エホバとキリストがいて敵対するサタングループも存在する、ハルマゲドンは絶対に起こるというものみの塔協会の教義の本流部分は信じ切っていた。

ハルマゲドン後の楽園で永遠の命を享受するためには、ものみの塔協会の言うことを聞くしかないと私はマインドコントロールされていたのである。

 

エホバの証人2世の14才の脱会

エホバの証人を辞めたい14才

私は生まれながらのエホバの証人2世、わが家は両親がエホバの証人という神権家族。ものみの塔協会の戒律に沿って、厳しく育てられていた私が14歳になったときの話。14年もの過酷なエホバの証人生活で、私の精神状態はズタズタだった。

私は今すぐにでもエホバの証人をやめ、親元を離れ一人で自由な生活をしたいと考えていた。私に残された時間は少なかった。それは間もなく、この世界の終わりが訪れると信じていたから。

その終わりの日(今となっては、お笑いの日)に、ものみの塔協会に帰依していない私は、天から降り注ぐ業火で焼かれて死ぬと洗脳されていた。14年間の洗脳教育の反復による蓄積。小さな子供の脳みそでは、一方的に放り込まれる情報を取捨選択することは出来なかった。

私は、ハルマゲドンというこの世の終わりや、天にエホバという全知全能の神が存在するという、ものみの塔協会のトンデモ教義を疑うことなく信じ切っていた。

ハルマゲドンまでの残された時間で自由を謳歌するために、今すぐにでもエホバの証人をやめなければならないと、14才の私は考えていた。

エホバの証人を辞めると言い出せない理由

14才の私は、心の中では完全に背教しエホバの証人をやめていた。であるのに、中学校の生活ではそれを表に出せないことが尋常でなく辛かった。

学校やクラスには、同じエホバの証人2世が何人か在籍していた。エホバの証人2世はお互いのスパイ。互いにものみの塔協会の教義に反していないか監視しあっている。

私がものみの塔協会の教義に反して、国歌や校歌を歌ったり、給食の前に合掌したりすれば、すぐに私の両親に報告される。報告されるとどうなるのか?この頃には体罰は終了していたので、厳しい叱責や追求が親からされるだけだろう。

エホバの証人の体罰は、お尻を叩かれる痛みに耐えきれる頃になれば、終了する。もはや母親よりも力が強いので、虐待が意味をなさない。親にすれば、思春期の子どもに報復・反撃されれば親の権威も失墜する。子供の私からの報復の恐れが出てきた頃には、体罰はやんでいた。

体罰がなければ、親に私の不信心が報告されるのが怖くないという訳ではない。こんな毒親でも、やはり親であり、親の期待に応えられない自分が悲しい。それが理由で、エホバの証人をやめると両親になかなか言い出せなかった。

自分で言えないことを、横やりのエホバの証人2世スパイに密告されるのも同じことで、そこに踏み出す勇気がでなかった。

哀しいエホバの証人の親子

子が親の期待に応えないと思うのは当然。私も同じだった。ただ私にかけられた期待は、完全なる親の押し付け。しかも親本来の願いではなく、ものみの塔協会の思想の垂れ流し。私の親は、もはや親ではなく、思考を停止した洗脳下の親のような者たちだった。

それでも親は親。ものみの塔協会は、親は子を愛せと強く言うし、もともと愛情深い両親で、私は一人息子。親の愛情は感じていた。ハルマゲドンを通過し、楽園で家族三人、永遠の命を享受したいという親の願いが痛いほど、私に突き刺さっていた。

だが、親は子に自分の考えや願いを押し付けてはならない。強制しても重しになり、足かせになるだけ。子どもを傷つけ、私のようにねじ曲がった大人になる。そんな親は、育った子に捨てられることになる。私が両親を見捨てたように。

だから私が自分の子どもに期待することは、子どもが自分らしく生きること。健康で元気でいてくれればなおさら良い。自分の考えを押し付けても、いつか拒絶を生むし、それが他人の受け売り(私の両親の場合はものみの塔の押し付け)であれば、親には後悔が残る。

笑うことの出来ないエホバの証人2世

私は幼い頃からハルマゲドンという裁きの日に滅ぼされる恐怖に支配されていた。しかし、ものみの塔協会が定めた厳格な教義を守り続けられるほど、私は単純で純朴ではなかった。

生命の一瞬の輝きと刹那的な快楽を求め、エホバの証人と両親を捨てようと決意したのが14才の時。私がエホバの証人の組織を辞めたあとで、両親も順を追ってこの宗教を辞めるのだが、その過程で両親は離婚し、現在は一家離散。

私は小学生の終わりにはエホバの証人をやめたいと思い始め、中学1年生のときにエホバの証人をやめることを決断する。1990年代前半のこと。この頃の私はサッカーに熱中していて、エホバの証人の活動に充てる時間を自分の好きなサッカーに充てるべきだと思い始めていた。

幼い頃からの洗脳で、私は本当にハルマゲドンという世界の終わりが来ると信じていた。しかし、私はものみの塔協会によって禁じられているマスターベーションをやめることが出来なかった。そのため、ハルマゲドンでこの身を焼き尽くされることを覚悟していた。

残り短い生であれば好きなサッカーを思いっきりやりたかった。エホバの証人をやめるという決意をしてから実行に移すまで1年近く時間を要した。この時期が私の人生の中で一番辛い時期だった

この15年後、私は無茶苦茶な生活をしていて、借金だらけの上、飲酒運転で自動車免許取り消しになって路頭に迷う。頭に円形脱毛症が出来るほど、一時的に強烈なストレスを感じた(エホバの証人風に言うと全部自分で蒔いた種ではあるが・・・)。

しかしながら、このエホバの証人をやめるという決断を実行できずにいた14歳の頃に比べれば、無茶苦茶ではあったが格段に楽しかった。何かちょっとでも面白いことがあれば、笑うことが出来た。

14才の私は一瞬たりとも笑うことが出来ない闇の中にいた

両親の限定的愛情に縛られるエホバの証人2世

なぜすぐにでもエホバの証人をやめることが出来なかったか?すべては両親が理由。両親には幼いころから厳しいものみの塔協会の教義を徹底的に遵守させられ、逆らおうものなら激しい体罰を受けた。

それでも私は両親に愛されているという自覚があった。この愛情は無条件ではなく、私が従順なエホバの証人2世であればという限定的なものとは思えたが。それでもエホバの証人をやめるということは両親を裏切ることだと私は考えていた。

私は一人っ子で両親との三人家族だったし、私がエホバの証人をやめると言えば両親が絶望することは明らか。

深いものみの塔協会の洗脳下にあった私は、こうしている間にも終わりの日は迫り残された時間は少なくなるという焦りを感じていた。サッカーができる時間は短くなるし、生きている間に女性とセックスして童貞を脱出できる可能性も低くなる。

こうして14歳の私はエホバの証人をやめるという決意を両親に告げられず悶々とした日々を過ごす。エホバの証人の集会に行く時間になっても「今日から集会には行かない」と言うつもりだったのだが、今晩こそ、今日こそと思いながらどうしても両親に言い出すことが出来なかった。

両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人の会衆内の人間関係や学校にいるエホバの証人2世との友人関係などはどうでも良かった。私は、くそ真面目なエホバの証人信者たちには魅力を一切感じていなかった。彼らとの関係が切れるのは大歓迎。

ただ両親に対しては、度重なる虐待を受けていたとしても、愛情を持たざるを得なかった。その両親の期待を裏切り、傷つけることが怖かったこれが「エホバの証人を辞める宣言」がなかなか出来なかった理由。エホバの証人をやめたいのに、両親にそれを告げられない。この頃が一番辛かった。

当時、良く見た夢がある。私の好きな「三国志」の夢だ。三国志に出てくる登場人物の劉備・関羽・張飛の三兄弟。彼らは血のつながった兄弟ではなく、契りを結んだ義兄弟。

三人は、生まれた日は違えど、死ぬ日は同じという義兄弟の誓いを立てる。結局、彼らは乱世の最中で同時に死ぬことなどできず、順々に死に別れる。

しかし彼ら三人は、乱世において互いを裏切ることなく、人生を全うする。財産や爵位をどれだけ積まれても、義兄弟を裏切ることはなかった忠義の人たち。

そんな中の誰か一人に夢の中の私はなっている。そして、あとの二人に呼びかけられるのだ。「出陣するぞ」と。しかし私は、それに応えない。無視する。裏切るから。私は思う。共に攻めるのではく、今からお前らに攻め込むのだと。

辛い決断だったが生き残るための苦肉の策。夢の中の私は迷いに迷い、裏切りを選択する。事前に袂を分かつ訳ではなく、ギリギリのタイミングでの決断。時が来る。裏切るべき時。寝返るその時。

これは当時の私の立場を表したものだった。両親を裏切る時。その時が目前に迫っていた。「集会に行くよ」と両親に言われ、「もう集会には行かない」と言うその時。

この一言が言い出せないこの頃が、私の人生で一番、苦しい時期だった。だが、遂に時は来た。

エホバの証人脱退宣言をした清々しい夜

迷いに迷い、焦れに焦れ、その時が来た。親に対して「エホバの証人をやめる」という宣告する瞬間。決別のとき。14才の秋、とある晩。いつも通りにエホバの証人の集会に行く時間になる。

通常ならば、家族三人で車に乗り込み、エホバの証人の王国会館へ向かう。しかし、私は2階の自室にこもったまま動かなかった。階下の両親は「集会に行くよ」と呼びかけるが、私は答えない。

母親が2階に上がり、私の部屋の扉を開けて「早くしなさい」とせかす。そこで私はベッドに倒れこみ、顔をうずめたまま答えた。

「行かない。・・・もう集会には行かない」

ある程度の予感はあったのだろう。母親はとくに何も言わず、階下へ降り父親に状況を告げる。階下のやり取りは聞こえなかったが、しばらくすると両親が二人だけで出かけた気配を感じた。

成功である。1階へ降りて、テレビをつけて、ロードワークに出て、筋トレをしてと、普段では出来ないことをやってみる。集会に行かなくて良いという喜び、自由な時間を得たという実感が少しずつ湧いてくる。

これからは自分の時間を自分の思うように使うことが出来る。禁止されている学校の行事に参加出来ず、恥ずかしく嫌な思いをすることもない。女の子と付き合ったり、友達の家で誕生日パーティーに参加したりすることも出来る。

この晩の両親が集会に行っている間の気分のなんと晴れやかだったことか。やっと両親にエホバの証人をやめるという話を切り出すことが出来た。これを言い出せずに長い間悩んでいたので、ほっとした思いもあった。この後は頑としてエホバの証人としての活動を拒むだけ。

何と清々しく清らかな夜だっただろう。ロードワーク中に夜空を眺めれば、月星が輝いていたはず。エホバの証人2世としてうつむいて生きていた私は、空を眺めることなど無かったのだが。

楽園には入りたくないエホバの証人2世

エホバの証人をやめたくて仕方がなかった14歳の秋。生まれながらにしてエホバの証人2世だった私は、「エホバの証人をやめる」と両親に告げることがなかなかできなかった。その悶々とした日々が私の人生で一番辛い時期だった。

行くべき道は決まっているのに前進できない。この頃はとても苦しかった。エホバの証人の親たちは、果たして子どもたちにこんな思いをさせる必要があるのだろうか?

苦心の末やっとエホバの証人をやめるという決意を両親に告げた。しかし集会のために王国会館へ行く時間になったとき、両親に対して

「もう集会に行かない」と言うのがやっとだった。

両親は早々にその日の集会から帰って来た。そして何事も無かったかのようにさりげなく私への事情聴取を始めた。内心穏やかでは無かっただろう。エホバの証人組織を離れた一人息子は来たるハルマゲドンを通過することは出来ない。家族3人揃って楽園で永遠の命を享受することが出来ない。

良い大人が本気でこんなことを考えていたのかと思うと苦笑しかない。しかし、ものみの塔協会の強烈な洗脳下にあった両親は真剣そのもの。今となってはマインドコントロールから本人たちも解放されているので、何であんな考え方しか出来なかったのか首をかしげるばかりだろう。

また、会衆の長老と正規開拓者の夫婦だった両親にとって、一人息子がエホバの証人組織を辞めたということは体面が非常に悪い。会衆内で模範的でなければならないという思い込みのあった両親はそういった心配もしていたはず。

その日の集会から帰ってきた両親によって私の事情聴取が始まった。いったいどういうつもりでもう集会に行かないというのか?ということ。この頃の私は常にエホバの証人をやめるということを考えていて理論武装を固めていた。

私の人生の意味はエホバの証人が求めるものとは違う。ハルマゲドンまでの限られた命で構わないから、二度と繰り返されることのない現在、今を思い通りに生きたいと両親に話した。両親と一緒に楽園で永遠の命を享受したいとは思わないとはっきり告げた。

この頃の私は、ものみの塔協会の教義の矛盾にも気付いていた。この事情聴取で背教じみたことも両親に対して口にしていた。批判的にエホバの証人の集会の公開講演を聞いたり、ものみの塔協会の出版物を読んだりすると突っ込み所はどれだけでも出てくる。

まさしく完全、完璧な真理では無いということが見えてくる。

ものみの塔協会と統治体のもたらす不完全な真理

そんな話になると人間は不完全だからその都度、神からの調整が教義に入るのだと反論される。ということは不完全な人間の組織であるエホバの証人組織はどう考えても不完全。これに異論の余地はない。エホバの証人も認めているところ。

さらに、教義を造っている統治体の成員も人間であり不完全。それならば彼らが神に導かれて語るという真理も不完全ということ。不完全な真理、それはもはや真理ではない

こんな話になると、両親も含めたエホバの証人たちは、私とものみの塔協会の教義について話をしたがらなくなった。まさか長老兄弟の一人息子が背教に走るなんて、ということを誰も口に出来ないからである。

背教はエホバの証人組織では最大の罪である。組織から追い出される排斥処分になる可能性が激高。両親にしてみればまさか自分の息子が背教者になるなんて、という驚きと悲しみが最高潮の状態。

これ以上両親とものみの塔協会の教義について話すことは無かった。私の若気の至りだったのだが、そうやって人を言い負かすことに喜びを感じていた。背教上等、排斥上等という思いだった。

この頃の私は、人生の全ての成果は今この瞬間だけにあると思っていた。ハルマゲドンまで太く短く生きるつもりだった。

脱塔(エホバの証人やめます)宣言翌日の爽快な青空

エホバの証人をやめた翌日。やめると宣言した翌日、ではなくやめた翌日だ。エホバの証人はやめるとさえ宣言すればやめられる。ものみの塔協会は、危険なカルト集団に間違いないのだが、やめるときに命の危険にさらされたり、多額の金銭を要求されたりすることはない。この点は安全な組織。

繰り返すと、エホバの証人は、やめると宣言さえすればやめられる。全世界の信者の人々に言おう。今すぐエホバの証人をやめるべきだ。そこにリスクはない。メリットしかない。

物心ついた時からエホバの証人2世だった私が、エホバの証人をやめたのは14歳の秋。エホバの証人の毒親だった両親に、ついに脱塔宣言をした翌日は何とも清々しい朝だった。

この日の万能感、全能感がそのまま継続すれば良かったのだが、そうは行かなかった。エホバの証人は、からだ中にエホバの証人らしさが染みついている。私のように生まれながらのエホバの証人2世は特にその傾向が強い。

エホバの証人には禁止事項が多い。子どもの信者の場合は親に縛り付けられるのでなおさら。生まれてから一度もテレビゲームをしたことがない、一度もデートしたことがない。などという人も多くいる。

この反動で何もかもやりたくなる。もしくは本当に何をしていいのか分からなくて途方に暮れる。どちらか。

反動で禁止されていたことを自由にやるのは良いのだが、実はそれでは何も成り立たない。私のように、あらゆる禁止事項をひとつずつ潰していこうとすると時間もないし、体もやられてしまう。

タバコ、酒、異性交際、ギャンブル、法律違反、あらゆる宗教行事・・・結局、体を壊してタバコや酒などはやめざるを得なくなった。ギャンブルやいちいち法律に反することも時間の無駄なのでやめてしまった。

反対に何をして良いのか分からず焦るという人もいるだろう。それでエホバの証人の友人に電話をしてしまうとか、エホバの証人の友人とつるんでしまうとか、これだけは絶対NG。ものみの塔にすがるという逆戻りはやめよう。

何をして良いか分からないパターンの人も、やり過ぎてしまう人も対処法は同じ。一番大事なことに絞るべき。何か大事なことがあって、やりたいことがあってエホバの証人をやめたはず。それに集中しよう

そんなものが何もなく、ただ自由になりたくてエホバの証人をやめたという人は、その自由が目的。自由を満喫しながら、人生の目的を探そう。ハルマゲドンで人生が終わるということはないから、老後は長い

人生に目的がないと、つまらない一生を送ることになる。そんなことで迷って、違うカルトのお世話になるということの無いように。金持ちになりたいとか、都心の一等地に住みたいとか、まずはそんなものからでも良い。人様のお役に立ちたいという立派なものならなお良い。

私は飽きっぽく、何をしてもすぐに諦めがちだった。人生で唯一継続してきたものは14年間のエホバの証人活動。それもきっぱりやめてしまったのである。何かに熱意を持っても継続することが出来なかった。

エホバの証人は小さい頃にスポーツクラブなどへ参加することが許されず、継続して努力する我慢強が養われにくい。反面、強制されたものを粛々とやり続けることは得意である。

理由は、ものみの塔協会組織から圧倒的に摂生した生き方を強制されたため。強制されたことに従い続けるのには慣れているのだ。このため、仕事などは黙々とこなすことができる。

ただ積極的に自分が見つけたことを、やり続けるという能力は欠如している。

私もそうだった。何かに熱中していると、すぐに両親の邪魔が入る。サッカーに熱中していても、「サッカーなんてやって意味がない。プロにでもなるつもりか(笑い)」。小説を書きたいと言っても、「そんな奴はごまんといるから無理」。

親に否定されると本人も心のどこかで無理だと思ってしまう。深層心理で自分が疑っていることを継続して続けられる訳はない。

すべての現役エホバの証人2世の人たちへ

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14歳のときに、自分の意志でエホバの証人をやめる。両親は熱心なエホバの証人で、その両親にもう集会には行かないと、初めて告げたときのことをよく覚えている。心を引き裂かれる思い。両親の期待と愛情を裏切る気持ち。

同じようにエホバの証人をやめたいと願っているが行動に移すことが出来ない人たち、その人たちの覚醒に少しでも役立つことが出来ればという思いで、私はこのブログを書いている。

エホバの証人の親を持つ人たちへ。あなたが本当にエホバの証人の親から愛されているかどうかは、あなたがエホバの証人をやめた後で明らかになる

エホバの証人たちは”親ゆえ”に子供たちが信仰を守っているとよく言う。同じようにあなたの親は、あなたが”エホバの証人であるがゆえに”愛しているのではないだろうか

あなたの親は、エホバの証人をやめたあなたに今まで通りに愛情を注いでくれるだろうか。結果はどちらでも良い。

エホバの証人をやめたことが原因で親からの承認が得られなくなれば、それで晴れてものみの塔協会からも親からも自由になることが出来る。

別に親がいなくとも生きていける。親の洗脳がいつか解けることを祈るしかない。下手に干渉してもあなたのことをサタン扱いして意固地になるだけ。

あなたがエホバの証人をやめた後でも、あなたの親の愛情がものみの塔協会が定める最低限の生活の保障に留まらないのなら、あなたの親は素晴らしい親

ものみの塔協会よりも子供であるあなたを優先することが出来る正常な感覚の親。あなたも同様に親に対して愛を注ぎ、王国会館からの脱出の手助けをするべき。普通の親子に戻るまたとないチャンス。

急ぎ過ぎてはいけないし強硬にことに及んではいけない。ゆっくりとノーマルな親子関係へと歩んでいけばいい。その過程であなたの親はマインドコントロールからの解放に向かう。

エホバの証人組織よりも愛すべき子供であるあなたを優先したという段階で洗脳が解ける兆しがある。ものみの塔協会より、我が子を優先してしまったという罪の意識に苛まれている親をいたわろう。

愛すべき我が子を優先するのは利己的ではなく当然のことである。家族を平気で引き裂こうとするカルト団体の感覚の方が異常。

 

エホバの証人をやめた中学生の暴走と高校デビュー

エホバの証人の定義する上位の権威とは

私は生まれながらのエホバの証人で、両親は完全にものみの塔教会の洗脳下にあった。私は14才のときに自分の意志でエホバの証人を辞めた。いわゆる脱塔。脱ものみの塔。エホバの証人をやめた後の中学校生活は自由そのもの。気ままに送った。縛られるものが何もなかった。

エホバの証人はものみの塔協会の戒律が第一。そして、その次には上位の権威に従えとされている。上位の権威とは、親、学校の先生、政治権力、そういったもの。上位の権威は神エホバが認めた一定の秩序とされている。ものみの塔協会は、現行の権力者は神エホバが認めたから存在できるのだと主張している。

であれば、戦争をおっぱじめたり、汚職に手を染めたり、独裁で人種差別をするような権力も神が一旦は認めたということになる。これは明らかな矛盾で、この教義はものみの塔協会のこじつけ。現存の権力に洗脳信者たちが真っ向から逆らうと都合が悪いから。

この上位の権威の教義のため、エホバの証人は法律や校則を守る優良市民でなければならない。エホバの証人の教義に反しない限りは、社会的模範となる必要がある。

このため、学校でもエホバの証人の評判は意外と良いと、エホバの証人本人たちは言う。先生に喰ってかかるような不良と比べれば、宗教上出来ない儀式はあるが、掃除、当番などの学校の活動は真面目だし、生活態度もとても良好だからと。

エホバの証人をやめて実感する生の実感

エホバの証人として校則を守らなければなりません、エホバの証人の教義は絶対厳守です。とされていた私にとって、エホバの証人をやめた後は自由そのもの。たがが外れたように、奔放な生活を送り始めた。エホバの証人の戒律も教義も、校則も関係なし。

やりたいこと、やりたくないことを自分で選び始めた。学校の掃除の時間などはさぼって、屋上や校舎の裏側へ消える。今さらクラブ活動に精を出しても、大会への出場は困難だったので、放課後はクラブ活動をさぼり、一人でサッカーの練習をする。

給食の直前の合掌も、いきなりやり始めるのはちょっと気恥ずかしい。というか、生まれてこのかた一度も合掌をしたことがない。寺社に参拝したことも一度もない。手を合わせるのは、なんだかしっくりこないし、抵抗もある。

そういう訳で、給食の合掌はそのまましないことにした。エホバの証人スタイルの目を閉じた祈りのポーズを、給食前にしなくて良くなったのは最高だった。エホバの証人から解放された喜びを、給食の前のこの瞬間に特に感じた。

小学校の頃から、給食の時間が嫌だったのだが、逆に待ち遠しくなった。給食ってこんなに旨かったのか、腹ってちゃんと空くんだなと、そんな実感を得た。

ようやく、人間らしく生きていけるようになったのだが、いきなり国家や校歌を歌い出したり、クラブ活動の応援を始めたりというのも、なんだか決まりが悪かった。

そのため、やりたくないことがある日は学校をさぼったり、応援練習の時間になると図書室だったり、プールの裏だったりへとフェードアウトしていた。

明確な規範で縛られていたものが、急に自由になるとこうなる。自分の曖昧な感覚でやりたい、やりたくないを選択して決めなければならない。一瞬にして、私は問題生徒になった。もともとエホバの証人問題児だったのが、超問題児になった

時間のかかるエホバの証人2世のマインドコントロールからの解放

私はエホバの証人をやめたとは言え、ものみの塔教会の洗脳下にはあった。天には絶対神エホバが君臨し、人間の罪をこと細かに観察している。その結果、終わりの日に罪深い人間には裁きが下ると信じ切っていた。裁きとは、ハルマゲドンでの死。

今考えると、相当に暇な絶対神なのだが、閻魔帳のようなものにあげつらわなくても、人間ごときの罪はすべて把握できるという設定なのだろう。なにしろ全知全能の神という設定なので。

生まれてからのマインドコントロールの蓄積で、私は自分の命の残数が少ないと覚悟していた。中学校で問題児扱いされようが、気にもならなかった。今日にでも終わりの日が来るかも知れない。そうなれば、すべて無に喫する。死ぬだけ。私は限りある人生を謳歌することに熱中していた。

私が中学2年生から3年生に進級する時には、担任の先生が変わらなかった。しかし、私は中学2年生の秋頃に信仰を捨てていたので、これは逆にやりにくかった。

今年から何でもやりますという訳にもいかない。急にクラブ活動に真面目に参加しだすというのも今更という感じ。仕方が無いので、都合の良いところだけ未だにエホバの証人であるような顔をすることにした。

中学3年生の修学旅行で、寺で座禅を組みますという企画があった。エホバの証人の2世にとって寺で座禅を組むという行為は絶対的な禁止事項。もろに異教の宗教活動なので。

私は既にものみの塔協会への信仰を捨てていたので、事前に担任の先生に座禅は組めないなどと証言はしていなかった。しかし別のクラスにいたエホバの証人2世たちが、我々は座禅が出来ないと私のことも含めて証言していた。

座禅の時間が来ると、担任の先生がわざわざ私に別の部屋で待っているようにと指示をしてきた。その頃の私は、何となく座禅だとか寺社仏閣というものに違和感というか居心地の悪さを感じていたので、これはありがたく退避することにした。

物心ついたときから、神社や寺は異教の宗教施設で忌避すべきものだと教え込まれていた。神社や寺に違和感なく普通に参拝出来るようになったのはつい最近のこと

最近まで、私は全ての神々を否定する無神論者で通していた。付き合っている彼女と初詣に行ったりしても、手を合わせず怪訝な顔をされた。エホバの証人の2世が一般社会に馴染んでいくにはとても時間がかかる

物心つく前から、ものみの塔協会の教義を叩き込まれた元エホバの証人2世にとって、ものみの塔協会のマインドコントロールから抜けるのは至難の業だった。

絶望的なエホバの証人の王国会館

私は、エホバの証人の知識を生まれて以来深く深く植え付けられていた。14歳の私はエホバの証人を辞めたばかりで、その教義を批判的に見ていた。そのため、少し考えるだけでものみの塔協会の教義の矛盾を指摘できる状態だった。

ただ、ものみの塔協会の言うことの大筋は真理であり、エホバは存在する、そしてハルマゲドンはいつか起こるという認識を持っていた。幼い頃からの洗脳の蓄積で、ものみの塔協会の根本を疑うという発想が私には全く無かった。

私は未だに深い洗脳状態にあったのだが、ものみの塔協会が発行する出版物の幼稚さや会衆内の人々の知能レベルの低さには気付き始めていた。エホバの証人の知能指数が低いのは、1990年代後半までは、エホバの証人には高等教育が不要とはっきり決められていたことがその一因。

また、所詮エホバの証人は、何らかの弱みにつけ込まれて勧誘され、洗脳されてしまった集団。精神的に不安定だったり、体に障害があったり病弱であったりという人々の集まり。エホバの証人の王国会館には、魅力的に見える大人の信者や話して楽しい同年代のエホバの証人2世がいなかった。

それゆえに、14才の私は、周囲のエホバの証人が自分より馬鹿に見えて仕方が無かった。現世に絶望するしかない弱者の集まった王国会館には、若さという宝石を持て余した私の居場所は無かった

エホバの証人だらけで何の快楽も都会的な洗練もない楽園での永遠の命。そんなしょーもないモノのために、今を犠牲にするということに私は到底納得出来なかった。

人生の実りや輝きは、今という一瞬に熱を注ぐことであると強く思っていた。永遠よりも刹那の方が重要だと私は知っていた。こうしてようやくエホバの証人をやめる決断が出来た。

死ぬ気になればエホバも怖くない

エホバの証人を辞めたいと、四六時中考え出したのは小学校高学年の頃。14歳の私はそれから3年が経ち、ようやく脱塔が実現したばかり。ものみの塔批判の理論武装は完璧で、タイミングがあると両親に対しエホバの証人の教義の矛盾を指摘し、自己満足に浸っていた。

エホバの証人にとって一年で一番のイベントが主の記念式。キリストの死んだ日を祝うという悪趣味なイベント。この主の記念式にどうしてもと両親に連れて行かれたことがあった。私の脱塔後、初の主の記念式。

このときも私は、この主の記念式の教義の矛盾を指摘していた。これは会衆内の他の信者に対しても得意げに語っていたので、エホバの証人的には背教とみなされる状態。

もしも私がバプテスマを受けて献身した信者だったら排斥確定。バプテスマとはエホバの証人の洗礼のこと。排斥とはエホバの証人的重罪を犯した信者を組織から追い出すことで、エホバの証人は家族であっても排斥者とは最低限の接触しか許されない。

どうせハルマゲドンで滅ぼされるまで僅かな命。私は神をも恐れない状態だった。死ぬ気になれば何でも出来るとはこういうこと。下らない組織から追い出される排斥処分も、両親を深く失望させることも怖くなかった。

バプテスマを受けることでものみの塔崇拝という罪を犯すエホバの証人

バプテスマを受けることは献身とも呼ばれる。献身したエホバの証人は、身も心も全財産も何もかもを、ものみの塔協会に捧げるという誓いを立てたということになる。

表面上は神エホバに対して献身なのだが、実質はものみの塔協会という組織に対しての献身。エホバの証人たちはものみの塔協会組織に対して献身し、知らず知らずに組織崇拝という罪を犯している

ものみの塔協会は偶像崇拝など神以外の崇拝を禁じているのだが、自身がものみの塔という偶像に成り果てているという何とも皮肉な話。

私は中学2年生のときにエホバの証人の組織を辞めた。熱心な信者だった両親にもう集会にも行かず伝道もしないと告げるのはとても大変だった。心が引き裂かれるような思い。

小学校の高学年頃から悩み続けて、ようやく脱ものみの塔という願望が叶った。ものみの塔協会の教義から自由になり、一般女性と付き合いまくるという明るい将来を思い描き続けて、私はこの暗黒時代を乗り切った。

エホバへの信仰を捨てた私は高校に進学する。私の高校生活は初めからエホバの証人であることを誰にも証言しなくて良かった。地元から離れた高校を選んだので、完全なる高校デビューだった。

そんな私に対して、未だにエホバの証人だった両親はそれまでと同じ様に接してくれた。私が成人して家を出るまで経済的にも充分に養って貰った。エホバの証人には必要ないとされている短大卒となる高等教育まで受けさせてくれた。私の希望通りの進路を選ばせてくれたのである。

これは私が一人っ子で、両親から深く愛されていたことが要因。しかし、最も大きな理由は私がバプテスマを受けてものみの塔協会に献身した正式なエホバの証人になっていなかったこと。

排斥というエホバの証人の村八分

献身してバプテスマを受けた正式なエホバの証人になると、背教めいたことを口走ったり、喫煙や不道徳な行為を目撃されたりすると、エホバの証人組織から排斥処分を受ける。この排斥処分とはエホバの証人的村八分。

エホバの証人は排斥された信者とは街で偶然会っても挨拶することすら許されない。排斥処分になった家族とは家庭内では最低限の接触しか許されない。同居していない家族であれば親交を断つことが求められている。

子供が排斥処分になると、私の両親のように普通の親として振舞うことが出来なくなる。エホバの証人は排斥処分になった家族に対して最低限の扶養を行うことは許されているが、それ以上のことはしないように求められている

子供がエホバの証人をやめ排斥されることで、親子の絆そのものが消滅してしまう頭の固い信者の親も存在する。

ものみの塔協会は信者に対してほぼ全ての金や時間を差し出すことを要求し、信者の子供にもそれを求め、普通に成長させることを抑制する。さらには平和な家庭を完全に崩壊させてしまう完全なカルト団体。

私はものみの塔協会に献身していなかったので排斥にはならなかった。そのため、両親の態度は変わらなかった。万が一、私が排斥になっていた場合は、両親はエホバの証人の掟を守り、私を無視せざるを得なかった可能性もある。

私が排斥になっていた場合、両親の愛情がどちらに転んだのか。一人息子か、ものみの塔組織か。今となると定かではない。

エホバの証人家族の限定的愛情

私は、エホバの証人をやめて、まっさらな新環境での高校生活を満喫していた。エホバの証人だった両親と徹底的に対立して、家を出ることまで覚悟していたのだが、両親はエホバの証人を辞めた私を見放すことはなかった。

生まれついたときから、私はエホバの証人2世として育てられたので、親の愛情は、私がエホバの証人であるなら”という限定付きだと思っていた。意外とそうではなく、両親はエホバの証人でない私に対しても、親としての愛情を注ぎ続けた。

この辺りは、親次第。親の知能指数やエホバの証人としての経験年数、体験による。エホバの証人3世のような人間だと、エホバの証人以外のことは全く知らない。

そんな環境で育つと洗脳状態が深く、エホバの証人以外は人間でないという考え方になる。こうなると、例え自分の子供であっても、エホバの証人でないならば、愛する対象ではなくなる。

また、ものみの塔への依存が強すぎるため、子供・家族よりもエホバの証人組織への信仰を優先させる信者も存在する。本人は、キリストのように肉の家族よりも、神を優先させるという尊い考え方をしているつもり。

しかし、これはただのお馬鹿さんで、自分の家族すら愛せない人間がそんな聖人になれる訳がない。思考停止状態になって、ものみの塔という偶像を崇拝し、エホバという偽神に行動を制限されている。

家族を愛することを許さないものみの塔協会

ものみの塔協会は、排斥された家族は愛するなと言っているも同じ。家族を幸せにすることすら出来ない宗教がエホバの証人。ものみの塔至上主義の偶像崇拝集団。

あなたがエホバの証人でなくなった際に、エホバの証人家族の愛情がどう転ぶかは分からない。あなたへの愛情が残るか、切れるか。エホバの証人をやめたいという人は、ある程度の覚悟を決め、組織を去るべき。ただ、勢い余って排斥になると家族の絆は完全に打ち切られる可能性が高い。

しかし、私は家族のことはどうでも良いと思う。まずは自分の生き方を優先させるべき。自分の自由意志が無い生き方はすべきではない。死ぬときに後悔することになる。まずは自分の健全な状態を確保し、その上でエホバの証人家族と向き合うべき。

ハルマゲドンのカウントダウンが延長された1995年

私がエホバの証人をやめた年が1994年で、翌1995年にものみの塔協会は自身の教義を大きく変更した。簡単に言うとハルマゲドンまでのカウントダウンが延長された

ハルマゲドンというのは最終戦争とも言われる、この世の終わりのこと。この世の事物の体制に対して神エホバの怒りの鉄槌が下り、世界が一掃されエホバの証人だけが生き残る。その後、地上の楽園での永遠の命という果実をエホバの証人だけが享受するというストーリー。

エホバの証人は、地上の楽園で完全な体に生まれ変わり、永遠の命を授かるというとんでもファンタジーである。

神に心から献身し、感謝し、畏敬の念を抱き、全てを捧げている純粋なクリスチャンはエホバの証人には存在しない。単純にハルマゲドンへの恐怖と、その後の楽園での永遠の命という人参をぶら下げられて、あの不毛な勧誘活動に打ち込んでいる。

その人参が与えられるのは、もうあと何年かのうちだとされてきた。明日にでもその最終戦争が勃発するとエホバの証人信者たちはものみの塔協会によって教えられてきた。しかし、ものみの塔協会が定めた終末の刻限が来てしまいそうになったのが1995年。

さすがに終わりの日の教義の信憑性を保つ限界が来たと、ものみの塔協会のトップである統治体が苦渋の決断を下す。そしてハルマゲドンの起こる期限が緩やかに延長された

明日にでもこの世が終わると信じて、エホバの証人たちは仕事を捨て高等教育を受けることも諦め、ものみの塔協会の不毛な活動に従事していた。それがそんなすぐにハルマゲドンは来ないぜと言われたのだ。冗談も程々にしろと言いたい。

私は1995年にはエホバの証人をやめて、逆にものみの塔情報を完全シャットアウトしていたのでこの話を一切知らなかった。

エホバの証人をやめてサッカーを熱心にやっていたのだが、それも高校在学中に辞めてしまった。単純に飽きっぽいのとサッカーを生涯続けることで得られるメリットよりも、限られた今を遊び尽くすことの方に価値があると感じたから。

10代後半の私は、来たるハルマゲドンに充分に備えていた。やっとの思いでものみの塔協会の教義から自由になった。自堕落な学生生活を満喫していた。

この頃の私はエホバの証人のことなど全く思い出したくなかった。現役のエホバの証人信者だった両親とものみの塔協会の教義について話すことなど全く無かった。

父親は、この頃には会衆の長老職を降りていたようである。私がエホバの証人組織から去って、やりたい放題していることが主な原因であったことは考えるに容易い。

ただ、父は長老という立場ゆえに会衆内の人間関係のもつれなどを裁定することに疲れ果てていた。それも長老を辞した一因。それら一切を含めて、両親との間にエホバの証人に関する会話は無かった。

そのため、1995年のものみの塔協会の禁断の教義変更、ハルマゲドン延長宣言について私は知る由も無かった。

エホバの証人両親が急に放任主義になった理由

私は中学2年生の秋にエホバの証人をやめた。そして高校へ進学し、気ままな生活を送る。高校2年の頃から、喫煙、飲酒を始め、家にも帰らないような生活を始めた。

その頃、両親はまだエホバの証人だったが、特に厳しく言われるようなことは無くなっていた。両親にしてみれば、私がエホバの証人をやめてしまえば、それ以降どこまで道を踏み外しても同じこと。どうせハルマゲドンというこの世の終わりで死に別れるのなら、息子の生活態度がどうであろうと関係ないということ。完全な放任だった。

私が10代後半だったこの頃には、両親とエホバの証人に関する話は全くしなくなった。しかし、それ以外は、ようやく普通の親子関係になっていたような気はする。

ただ、両親は未だ現役のエホバの証人で私は深くエホバの証人を否定し忌み嫌い恨む立場の人間だった。この親子関係は擬似的なものだったのかも知れない。

両親はこの頃になって一人息子だった私を甘やかし始めた節もある。小さな頃にものみの塔協会の教義にがんじがらめにしてしまった罪悪感からだろうか。

タバコを持っているのを見られても、「家の中で吸うな」くらいしか父には言われなかった。この頃は未成年の飲酒喫煙に関してまだ日本全体が緩い時代だった。

元エホバの証人2世の高校デビュー

私は中学2年生のときにエホバの証人をやめる。いわゆる脱塔。そして高校へ進学する。この頃は、村民全員が知り合いのような地方の超田舎に住んでおり、私がエホバの証人というカルトの子供であるというのは地域の周知の事実だった。

この状態から脱するために、高校は出来るだけ離れた学校を選択した。専門性の高い学校であったために、学区外へ通うことができた。こうして身の回りに、かつてエホバの証人だった自分を知る人がいない環境へ進学

私は、ついにエホバの証人でない自分として高校デビューすることができた。田舎暮らしが嫌で仕方がなかったので、都会(といっても地方の郊外都市)の学校へ通うことも楽しみだった。

そうして進学した私は、いまだエホバの証人だった両親から聞きたくもないことを聞かされる。進学した先のクラスになんとエホバの証人2世が2人もいた。片方は献身しバプテスマまで受けているという。

せっかく、心機一転エホバの証人と関係ない高校生活を送ろうと思ったのだが、同じクラスに2人もエホバの証人2世がいる。どうやら、そのクラスメイト2人も私が元エホバの証人2世だと知っているようである。

エホバの証人の情報網はすさまじい。どこどこのクラスにエホバの証人がいると親から言われる。クラス内でバラされると、私の高校デビューという目論見が無に喫してしまう。

打つ手もなく、私は新クラスメイトのエホバの証人2世二人の動向を探っていた。エホバの証人同士で絡んでいるようだったが、私に対しては積極的に接触してこない。

しかもクラス内に対して自分がエホバの証人だと表明もしない。確かに高校になって、給食の前に合掌があったり、毎朝校歌を歌ったりといったことは無くなり、エホバの証人として過ごしやすい環境には思えた。

それにしても、こんなに信仰を周囲に表明しないことが、エホバの証人として許されるのか?私以外のクラスメイトは、彼らがカルトの子だとは気付きもしないままに卒業を迎えた。ちょっと内向きで、他とはつるまない奴らという印象だけ。

都会のエホバの証人は、隠れエホバの証人として生きていくことが許されるのかと、私は驚いたのだった。これはこれで私にとっては都合がよく、彼らが積極的にエホバの証人であることを明かさないのであれば、完全に人畜無害な存在だった。

放っておけばいい。こちらはこちらで高校生活を謳歌するだけ。このようにして、私はかつて自分がエホバの証人2世だったことをトップシークレットとして生きていく

元エホバの証人2世にできた友達

私には、エホバの証人をやめる以前の中学生までの友達は一切存在しない。エホバの証人2世だったという暗く辛い過去を思い出すので、その頃のクラスメイトの顔など今でも見たくない。

中学生までのクラスメイトには私が変わり者のエホバの証人2世であるということが十二分に知れ渡っている。給食の合掌のときには手を合わせないし、クリスマス会にも参加しない。週末になると妙にかしこまった格好をしてボランティア活動と称して家にやって来る。

私は随分と危険な奴だと認識されていた。自ずと中学校以前の同級生との交流は廃れていった。私にとって幸運だったのは、30歳を超えた今でも交流がある友人たちとこの高校時代に出会えたこと。

不自然な友人関係の構築しかしてこなかったエホバの証人二世は友達を作りにくい。エホバの証人の親からは、エホバの証人組織の中だけに友達を作るように強制される。これが不自然な友人関係。

趣味も性格も合わないのに、「エホバの証人2世である不運」という共通項だけで友達をあてがわれる。学校の友達には変な奴だという目で見られ、本音でぶつかることが出来ない。そもそもエホバの証人の集会や布教活動のために存分に遊ぶことが難しいし、禁止事項の多いものみの塔協会の教義のために出来る遊びも限られてくる。

お互いにエホバの証人をやめた後で、父から言われたことがある。

「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」ことを後悔していると。はっきり言えば「エホバの証人2世として育ててしまったことを後悔している」ということ。エホバの証人をやめた人間にとって、エホバのエすら聞きたくない発したくない言葉なのでこんな言い方になる。

父の考えは、エホバの証人2世として私を育てたために発生した最大の被害が、友達を作りにくかったということだったのだろう。または、エホバの証人として二十年を活動したために、父自身がすべての友人を失ったことを嘆いているともいえる。

その私にとって、ようやくの普通の高校生活で出会えた友人たちとの関係は非常に価値のあるものだった。多感な高校時代をエホバの証人であるというレッテルを貼られて、ただ一人過ごしていたとすると、今の私はこの世に存在しない。その辛さに絶望して私は自ら命を絶っていたから。

結局は自分で選択できないエホバの証人2世

私がエホバの証人をやめたのは14才の中学生のとき。やめた翌朝のこと。空がとても青く感じたのを覚えている。秋晴れの青空。あんなに穏やかで希望に満ちた気持ちになったのは、生まれて初めてだった。

空を見上げることは、エホバの証人であることを強制されている間には無かった。いつもうつむいて、こそこそと歩いていた。エホバの証人信者であり、変り者であることを意識して、他者の視線が痛かったから。

自転車に乗り、中学校に向かう。体が軽く感じられる。体にまとわりついていた重しが取れたかのよう。14年間もの間、体にはりついていたエホバの証人というレッテルがはがれたから。

「オレはもうエホバの証人じゃない」

そう思うと、圧倒的な自由さと、これからは何でもできるという活力がわいてきた。現役のエホバの証人の人にはこの感覚をいち早く味わって欲しい。

しかし、その後の人生が何もかも上手くいくかというと、そんなこともない。急に自由になっても何をしていいのかわからないし、何でもできる活力があっても、自分の意思で粘り強く何かをやるというのは、エホバの証人として過ごした時間が長いほど苦手。

私がエホバの証人をやめるきっかけとなったのはサッカーだった。そのサッカーに対する情熱も、20世紀末の高校生になった頃には冷めていた。

尋常でなくサッカーに集中し、熱中したために、親と決別してでもエホバの証人をやめるという決断を下すことが出来た。それほどの情熱だったのに驚くほど簡単に冷めてしまった。

私は、子供の頃から集中的に何かをやるということを、エホバの証人の活動以外では続けてこなかった。そのため、基本的に飽きっぽい。逆にエホバの証人活動を両親によって強制されていたので、ある程度の忍耐力は培われている。

この忍耐力のおかげで、仕事など対価が発生することに対しては、ひたむきに取り組むことが出来る。しかし、自分でやると決めたことに対する集中力と継続のための忍耐力が、私には欠如している。

これは幼い頃から自分で何をするか決断することが許されなかった結果。私の行動に当てはめられる基準は、全てものみの塔協会の教義。

自分では何も選んで来なかったので、エホバの証人をやめた後の私は来るものを拒まず受け止めた。異性でもタバコでもギャンブルでも酒でも仕事でも。しかし自分で選んだことを、根気強く粘り強く続けるということが出来なかった。

エホバの証人の親は、子供が自ら選んだ選択肢について無条件で同意することは絶対にない。子供の意思よりもまずはエホバの目からみてかなっているか、正しくはものみの塔協会の教義に沿っているか否かということを第一優先にする。

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられたため、幼児期から少年期の私の希望が叶うことは全くなかった。エホバの証人をやめた私にその反動が来る。私はあらゆるものに興味を示し、試していく。

主にものみの塔の教義で禁止されているようなこと。自分のやりたいことや行うべきことの取捨選択が、エホバの証人を辞めたばかりの私には出来なかった。今まで何も得られなかった分、全てが必要なことだと思えた。

私は、ものみの塔の洗脳が解けた訳ではなかったのでハルマゲドンはいつか勃発すると信じ込まされていた。その終わりの日に滅ぼされるので、私は寿命を全うすることが出来ない。限られた生の中で全てのことをやってみる必要があった。

酒、タバコ、ギャンブル、セックス、車、あらゆる快楽に手を出した。そういう日常の快楽に忙しくしているために、未だエホバの証人組織と微妙な関係を保っていた両親のことを顧みる余裕が私にはなかった。

本当に自分の望むことをおろそかにしていたのが、私の10代後半から20代。これではエホバの証人2世としてものみの塔協会の支配下にあった幼少期と同じだった。

 元エホバの証人2世に残された時間

私は、エホバの証人をやめたものの、未だものみの塔協会のマインドコントロール下にあった。私にとってハルマゲドンは恐ろしく、今この瞬間にでも自分の体が天から降る業火で焼かれるという恐怖下にあった。

エホバの証人の脳裏にはこのハルマゲドンが常に焼き付いている。神が下す裁きの火によるこの世の終わりがハルマゲドン。この最終戦争を生き残れるのは熱心なエホバの証人だけという設定。

ハルマゲドンという恐怖に支配され、エホバの証人たちは精力的にエホバの証人活動を行っている。エホバの証人として不信心であれば、ハルマゲドンで滅ぼされるから。

ハルマゲドンまでの私に残された時間は少ない。その間にやれることはやり尽くしたい、という気持で私は高校生活を過ごしていた。エホバの証人をやめるきっかけになったサッカーへの熱だが、いつの間にか冷めていた。

その代わりにやるべきことはたくさんあり、喫煙、飲酒、ギャンブル、子どもの頃から禁止されていたテレビゲーム、暴力的なテレビ番組、性描写のあるテレビドラマ、映画、まだ女性を知らなかったし、車にも乗りたい。

エホバの証人として禁止されていたことや、それ以外のこと、何もかもやらなければならない。そういう強迫観念に囚われていた。そうしてあらゆることに忙しく過ごしている間に、私の高校生活は過ぎ去っていった。

高校2年生の頃には女の子とつき合い始め、自動車免許取得と同時に親の車を入手。高校入学の頃には上位だった成績は、順調に低下し、勉強にほとんどついていけなくなり、高校生活は終了。

私が通っていた学校は、高校とその上の過程がセットになっていたので、そのまま繰り上がり短大過程へ進む。高校過程の卒業と同時に、順調に童貞も卒業。いつハルマゲドンが来ても良い心残りのない日常を送っていた。

しかし、ハルマゲドンはなかなか来なかった。そうこうしている間に21世紀が近づいてきた。世間は世紀末とミレニアムで浮かれている頃。2000年問題がどうのこうのと言われていたが、その2000年が来る前にハルマゲドンが起こるものだと私は信じ切っていた。

ハルマゲドンが勃発しないことに私は少々面食らいつつも、来たる新世紀を浮かれた気持ちで待っていた。

 

元エホバの証人二世の20年目の洗脳解除

エホバの証人の最終戦争ハルマゲドンに怯える

私が生まれ育った家は、家族全員がエホバの証人という神権家族だった。私は、14才までをエホバの証人2世として過ごしたが、中学2年生の秋に自分の意志でエホバの証人をやめた。

そして、自由気ままな高校・短大生活を送る。いつハルマゲドンが来てもいいように、やるべきことをすべてやり尽くす毎日を過ごしていた。

ものみの塔協会の1995年の冗談じみた預言の修正を知らぬ間に、ノストラダムスの預言の年も、ミレニアムと言われた2000年も過ぎ越した。当然、エホバの証人の唱える終わりの日、ハルマゲドンは勃発しなかった。

私は新世紀の人になっていたが、洗脳は解けないままだった。明日にでもハルマゲドンが来るという恐怖心を抱えたままだった。

ハルマゲドンとはものみの塔協会の教義のひとつ。絶対神エホバが邪悪なサタン一派を一掃し、地球もエホバの証人以外の人類はすべて滅ぼされクリアにされる。その後、地上は千年王国と呼ばれる楽園になり、エホバの証人はそこで永遠の命を享受するというファンタジー教義。

ハルマゲドンのため、私は新世紀を迎えることなく死ぬだろうと思っていたのだが、無事に21世紀がやってきた。私は短大を卒業し、就職しなければならない時期になる。

無為に青春を浪費し破滅的な生き方をする元エホバの証人二世

就職先は適当に選んだ。立地が街中で休みが多くてといったそんな安易な理由。就職しても、どうせ定年まで勤めるということもなく、ハルマゲドンが起こる。この世界もろとも滅ぼされると思っていたので、就職先などどこでもよかった。

私は、14才の段階でエホバの証人をやめており、短大過程まで進学していて就職先には困らなかった。時代は就職氷河期真っただ中だったのだが、簡単に就職できたのはラッキーだった。当時熱中していたパチンコにそのまま精を出すことが出来たから。

この頃は、こんな安易な生き方をしていた。明日にでもハルマゲドンで死ぬかも知れない。日々、勉強して、将来有望かつ安泰な会社に就職する。そんな営々と積み重ねる日常を、神エホバがむごたらしくも破壊してくる。こう信じていたのだから仕方がない。

私は、目の前の楽しみ、欲望だけに忠実に生きていた。健康に気を使う必要もない。タバコも酒も好きなだけ、異性との交際も適当で不特定多数相手、風俗店にも出入りしていた。車に乗ればメーターが振り切れるまでスピードを出して走らせていた。

エイズになろうが、肺がんになろうが、交通事故で即死しようが大差ない。いずれハルマゲドンがくれば、すべて無に帰するのだ。無茶な生活を行いながらも、いつ死んでもいい覚悟が出来ていた21世紀の初め。

まさにこの瞬間にも、天から怒りの業火が降り注ぎ、この身を焼き尽くされる恐怖に襲われていた。罪の意識を抱きハルマゲドンへの恐怖に怯えながら私は生きていた。

エホバの証人をやめた後でもつきまとう罪悪感

天には全知全能、天地を創造した神エホバがいて、地上の堕落に憤りを覚え、ハルマゲドンという終末を予定している。その終わりの日を生き残るのは真面目なエホバの証人だけ。これがものみの塔協会の唱える冗談みたいな教理。

しかし、私はこのトンデモ教義に洗脳されていた。物心つく前から繰り返し、繰り返し教え込まれると、体中に染みつくよう妄信してしまう。これがマインドコントロール。20歳を過ぎても私の洗脳は解けず、いつか来るハルマゲドンで滅ぼされる覚悟をしていた。

この頃の私は、いかにエホバの証人的生き方をしないかということを第一にしていた。不特定多数の異性と交際し、ギャンブルに明け暮れ、ヘビースモーカーだった。過度の飲酒で内蔵ごと吐き出しそうになったことも一度ではない。

しかし、自分の行動にはいつも罪悪感がつきまとっていた。私は、出来るだけ非ものみの塔的な行動をしようとしていたので、故意に罪を犯していたことになる。罪と言ってもものみの塔協会の決めた教義に背いているだけで大したことはない。

それでも未だマインドコントロール状態にあった私は、常に罪の意識を抱えていた。天にいるエホバという神に監視されていて、来たる裁きの日での処分材料を揃えられている。

そんな私のものみの塔協会の洗脳が解ける瞬間がやってきた。私は、熱心なエホバの証人だった両親の下に生まれ、ものみの塔協会にマインドコントロールされてきた。天にエホバ、キリストが君臨し、サタンをやっつけるハルマゲドンは必ず起こると信じ切っていた。

22歳から23歳頃のこと。ふとインターネットでエホバの証人について調べた。14万4000人の残りの者ってどうなっているんだっけ?この疑問が洗脳解除のきっかけとなる。

エホバの証人の14万4000人の教義

ものみの塔協会には14万4000人の教義がある。その14万4000人のエホバの証人たちは、死後、天に昇りキリストの横で支配層として君臨することになっている。この昇天予定組は、地上で生きている間は14万4000人の「残りの者」と呼ばれる。

14万4千人の神にも近い集団には、統治体というものみの塔協会最上層のメンバーが含まれている。また一般信者の中にも、14万4000人のメンバーは存在する。自分がその昇天組に選ばれたどうかは神からの啓示で分かり、幻のように天啓を受けることになっている。

統治体のメンバーの中には、確信犯的に自身が天から選ばれたことにしている者が多い。死後昇天する選ばれた者であるなら、エホバの証人組織内で権力を得られる。権力をかさに着て、下層の一般信者を働かせ贅沢三昧できるから。

逆に、一般信者の中で、自分が14万4000人のメンバーだと言っている人は、かなり頭がやられちゃっている人。幻覚か何かを見て、自分が選ばれた昇天組だと勘違いしている。

エホバの証人の主の記念式

エホバの証人は誕生日などの祝い事を一切しないのだが、年に1度だけキリストが死んだ日を祝う「主の記念式」というイベントがある。この日だけは信者たちは着飾って王国会館というエホバの証人の集会所に集合する。女性の信者はドレスを着たり、振袖を着たり。

この主の記念式では、キリストの血と肉の表象物とされる無添加ワイン、無酵母パンが参加者の間で回される。エホバの証人には珍しい、いかにもカルトなイベント。

この記念式では、一般信者はキリストの血と肉を表す薄焼きパンと赤ワインを飲食することはできない。ただ回すだけ。しかし14万4000人に選ばれた者だけは、その表象物にあずかることが許されている。

固焼きパンを食べ、赤ワインを飲むことで、自分は14万4000人の昇天前の地上の『残りの者』であると表明する。彼らは、『14万4000人の残りの者』とか『油注がれた残りの者』と呼ばれ、エホバの証人組織の中では一目置かれる存在。

記念式が終わると無酵母パンや赤ワインの効力はなくなり、パンを家に持って帰って食べることが許された。これが子どもたちにはちょっとした楽しみだったりする。

相当に痛い信者である14万4000人の残りの者

私が子どもの頃、まだこの記念式に連れて行かれていたときのこと。同じ会衆にいた、おばあちゃん姉妹が、この主の記念式でいきなり固焼きのパンを喰い始めた。

会衆というのはエホバの証人の地域毎の集団のこと。信者たちはお互いを何々兄弟、何々姉妹と名前に兄弟姉妹をつけて呼びあう。

この信者は尋常でなく熱心で、他人の子供である私も行儀が悪いと定規などで叩かれた。この老婆は見境なくエホバの証人活動を行ったため、家族を失い、老後になるまでの長い時間を費やしてしまった。そして、最後の最後で遂に幻覚を見てしまったのだった。自分が昇天する選ばれた者だと!

周りはあの姉妹ならと納得したのだが、私に言わせれば完全に頭がいかれてしまっただけ。牛糞の匂いのするド田舎に住んでいる老婆が、天に昇って支配者として君臨できるはずがない。勘弁してくれ。

この老婆は、ものみの塔協会の教義を繰り返し唱える以外の能力は皆無。自分の家族関係すら管理できなかった愚か者。自分が見たい幻想を夢に見て、勘違いが始まった。かなり痛い話。

私がエホバの証人を辞めた理由

私は14歳でエホバの証人をやめた。熱心なエホバの証人だった両親に、生まれつきのエホバの証人二世として育てられたので、この脱ものみの塔宣言は、両親との決別を意味していた。

ものみの塔協会の教義に従って生きるよりは、私は14才らしく、自分の夢に生きたかった。自分の夢に生きることで、神エホバに滅ぼされても一向に構わなかった。一瞬の輝き、刹那こそが人生のすべて、14才の私はそう決断し、両親とエホバの証人の教義を捨てた

神エホバに滅ぼされるというのは、ものみの塔協会の預言であるハルマゲドンのこと。忠実なエホバの証人以外は、この世の事物の体制と共に、神エホバの裁きの業火で焼き尽くされることになっている。

その後で地上は自然だらけのパラダイスになり、ハルマゲドンを生き残った真面目なエホバの証人たちは、そこで永遠の命を享受する。書いていても、失笑を禁じ得ない、とんでも教義。

しかし、生まれながらのエホバの証人2世だった私は、子どもの頃からそう教えられて育った。14才になってもこのマインドコントロールからは抜けられず、いつかハルマゲドンは来ると信じていた。

だから、今をこの瞬間をやり尽くして生きる。そうして走り続けた。明日、ハルマゲドンで死んでも後悔のないように。全力疾走している間に私は22歳~23歳になった。時も移り変わり21世紀になっていた。

『油そそがれた14万4000人』の『残りの者』の人数は?

ハルマゲドンってどうなっているんだろう?ふと私は思ったのだった。エホバの証人をやめる決断の背中を、直接的に押してくれたのがサッカーだった。そのサッカーへの熱も冷め、2002年の日韓合同開催のワールドカップも終わった。その頃の話。

エホバの証人をやめた14才の頃は童貞だったが、女性を知り、何人かと性行為に至る。酒も浴びるほど飲んで、胃袋がひっくりかえるような嘔吐を何度も経験し、ウイスキーは飲めなくなった。タバコも毎日2箱くらいは吸っていたし、ギャンブルも十分に味わった。この頃はパチンコで年間に百万円を超えるプラス収支を収めていた。

サラリーマンとして就職し、徹夜で仕事をする日もあった。エホバの証人をやめて、やるべきことはやり尽くした。あとは完全に法に触れるような薬物とか、そんなものに手を出すくらいだったのだが、そこは最後の一線として越えなかった。

一般的なサラリーマンだったというのもあるし、麻薬とかそういったものに人生の輝きがあるとは思えなかったから。結婚して、家族を作る。頑張って働いて出世する。そういった積み重ね系以外の人生の成果は得尽くした。この世で今、出来ること、刹那に輝くこと。それはほぼ全てやり尽くしていた。

あとはハルマゲドンで潔く死ぬだけだと思っていた。だから、自動車で200km近いスピードを出していても全く怖くなかった。どうせ明日にでも、今この瞬間にでも不条理に天から降る火で焼け死ぬのだ。死の覚悟はできている。

それにしてもハルマゲドンってどうなっているんだろう?いつ来るのか?と私は思い至る。そこであるエホバの証人の教義を思い出した。『14万4000人の残りの者』である。

『残りの者』が全員死んで、その最後の者が七つの鐘の音を聞き終わる前にハルマゲドンが起こると、父に教わったことを思い出す。『残りの者』が全員亡くなるとハルマゲドンは来るのだと。七つの鐘というのは生者としての最期の瞬間に聞こえる走馬灯のようなイメージ。

そうだ、『残りの者』の人数ってどうなっているんだろう?私はこの疑問に思い至る。『残りの者』は、エホバの証人の年に一度の祭典である記念式で、自らが『残りの者』であると表明する。しかも『残りの者』はジジイババアの老人集団。いつ全員死んでもおかしくない。

エホバの証人という呪いのワードを避け続けた先に

『残りの者』の人数は、ものみの塔協会が毎年正確にカウントして発表している。インターネットで調べればすぐに分かるはず。私はインターネットでエホバの証人について検索した。これは14才でエホバの証人をやめて以来初めてのこと。

エホバの証人の子供としてクラスメイトから蔑まれ(ていると思い込んで)、生きてきた私にとって、エホバの証人である過去はトップシークレット。それゆえ14才以来、エホバとか王国会館といった呪いの言葉をシャットアウトして生きてきた。

まさか、自分からパソコンに向かって『エホバの証人 残りの者』などと打ち込む日が来ようとは。私はこのとき、エホバの証人をやめて以来初めて、とんでもない真実を知ることになる。

21世紀初めのこと。私はエホバの証人について、インターネットで調べようとしていた。『14万4000人の残りの者』の人数を調べれば、ハルマゲドンの到来時期がわかるだろうと考えたのだった。

生まれながらのエホバの証人2世だった私が脱会したのが14才のとき。1994年のこと。それからは意識的にエホバの証人を避けて生きてきた。自分の人生の恥部だから。小学校の節分で私だけ鬼のお面をつけられず、豆まきを教室の端から見ていた。

そんな屈辱的な過去と決別すべく、全力でエホバの証人らしくない生き方をしてきた。いつハルマゲドンで死んでも良いように。そのハルマゲドンがいつ来るのか?ノストラダムスの大予言もはずれ、時代は21世紀になっている。

インターネットで「エホバの証人 残りの者」と検索したのは2002年か2003年のこと。『残りの者』の人数がわかれば、ハルマゲドンがいつくるのか予測できると考えた。

地上にいるエホバの証人の天的級、死後に昇天する『油そそがれた者』が死に尽くした時にハルマゲドンが起こるとされている。

インターネットで残りの者の人数を調べたこの時、残りの者の人数は順調に増えていた。私はちょっと混乱し始めた。増えるとはどういうことだ?順調に減り続け、最後の奴が死んだらハルマゲドンだろ。おかしいじゃないか。

ものみの塔協会のハルマゲドン延長します!宣言

エホバの証人という呪いのワードがパソコンの画面に飛び交うことに、おぞましさを感じながらもさらに調べ続けた。エホバの証人、そして自分がエホバの証人だった過去を意識的に避けてきた、いや逃げ続けてきたのだが、こうなると止まらない。

吐き気すら覚えながら、検索を進める。すると、とんでも教義がさらにとんでもないことになっている事実に至る。

ものみの塔協会の教理変更:ハルマゲドンってもうちょっと先なんじゃね転換である。今この瞬間にでもこの世の終わりが来るんじゃなかったのかよと。私は思う。先っていったいいつだ?

この教義変更があったのが、私がエホバの証人をやめてすぐ、1995年のことである。私が知らなかったはずだ。意識的に、半ば強迫観念に囚われるかのようにエホバの証人を避けていた時期だから。

これはどういうことだ?ハルマゲドンはまだ来ないのか?両親がエホバの証人をやめたのはこれが理由か?ちょっと目の前がくらくらし始める。

ラッセルの墓はピラミッド~♬

検索する指は震えるが、さらに情報を集める。ここで一撃、強烈なネット情報に遭遇。

ラッセルの墓があり、しかもピラミッドになって残っている

これを見た瞬間に、私のマインドコントロールは解けた。

ラッセルとは、チャールズ・テイズ・ラッセル、ものみの塔協会の初代会長、エホバの証人の開祖のような存在。エホバの証人は墓に埋葬されることは禁止されているし、ましてや個人をピラミッドに祀り上げるなんてことはもっての他。

そのはずが、裏では初代会長が崇め奉られている。しかもこの事実が隠されている。私の洗脳が解けるには、これだけで充分だった。

エホバの証人たちは、この世の情報に極力触れないようにものみの塔協会に指導されている。それは全てこういった都合の悪い情報を隠蔽するため。反対者の言葉には一切耳を貸すな。そう強制されるのも、こういう不都合な事実を覆い隠すため。

信者からフレッシュな情報を締め出し、純粋培養の洗脳状態を保つため。こう合点がいくと何もかもつながり出す。

エホバの証人のマインドコントロールが解ける瞬間

あいつらものみの塔協会は、完全な嘘つき集団だったのか。家族3人で20年もの長い間、ものみの塔協会を信じ切っていたが、それはものみの塔協会によるマインドコントロールの成果だった。

ものみの塔協会だけが真理の組織だと思っていたが、実情は、オウム真理教とか統一教会となんら変わらないカルトだった。

エホバの証人をやめようと考え始めた小学校の6年生以来、薄ら薄ら感じていた違和感の正体。点でしかなかったものみの塔協会の教義に対する疑問点、不信が全てつながった。

ものみの塔協会=偽善の組織という図式が成り立つと、全て納得がいく。つじつまがあう。人間組織は不完全なので、その都度、神の補正が入り、真理の光は増していく。ものみの塔協会ですら間違いを犯す。そう言われればそんなものなのかと思っていた。

でも、隠蔽はしないよね。ものみの塔協会がカルトで、不都合な点は全て隠し、ごまかしてきている。そう私の中で結論が出た。カルトの預言が当たるはずがない。その都度、人間は不完全だなんたらとごまかしてきたのだ。

私が『残りの者』ですとか尊敬を集めている奴らも、全員が嘘つきか、頭がおかしいだけ。そいつらが死に絶えてもハルマゲドンなんか起きやしないし、次から次へと頭のおかしい奴が『残りの者』の地位を継承していくのだが、どうせハルマゲドンは来ないのだから、それはそれでものみの塔協会にとっては都合が良い。

輸血が解禁されている国がある、かつて国連NGOに加盟していた、初代会長ラッセルの墓があり、ピラミッドの形をしている、そのどれ1つでも充分だった。真理、真理と言い続けている組織が、1度でも事実を隠蔽しようとした。これだけで私は合点がいった。

何となく感じていた疑惑が確信に変わった。ハルマゲドンは起こらないということ。そして、私の家族を始め世界中のエホバの証人は完全に騙されていて、ものみの塔協会の洗脳下にあったのだと気付いた。

元エホバの証人2世の人生の規範が崩壊すると

私がものみの塔協会がついている大きな嘘に気付き、マインドコントロールが解けたのが20歳を過ぎた頃。インターネットでものみの塔協会の欺瞞的体質を知り、全てが嘘だと悟った。

ハルマゲドンは来ないし神エホバも存在しないという結論に一瞬で至った。私たち三人家族がものみの塔協会に費やした20年もの歳月と莫大な経済的損失、何よりも家族の崩壊、全ては返ってこない。あとの祭り。すべては水の泡。

オレの人生はこのあとどうするべきなんだろう?ハルマゲドンは来ないとなると寿命はまだまだ長い。私はこのとき22歳~23歳。自分の基準・規範となっていた、”人生は限りなく刹那、短く一瞬で、それが過ぎ去れば無、何も残らないゆえに神も怖くない”。この思想が崩れ去った。

神はいないし、人生は意外と長い。死ねば無に帰するだろうが、それもものみの塔協会が言っていることだから怪しい。ものみの塔協会の洗脳が解けたのは良かったのだが、私は20代前半にして、生まれたての赤子のように、一から自分の価値観を構築する必要に迫られた。

二面性のあるエホバの証人とものみの塔協会

私の洗脳が解けたのは、ものみの塔協会は都合の悪いことを全て隠していると知ったとき。頭の中のものみの塔的思考回路が一瞬で瓦解した。今まで感じていたものみの塔協会に対する疑問、不信が全てつながる。ものみの塔協会は欺瞞の組織、裏表のある組織だと。

ものみの塔協会は都合の悪いことを隠すために嘘をつき続けている。そもそも神エホバの存在そのものが嘘。インターネットでものみの塔協会の不義を知ったときに、私の中で全てがつながった。洗脳の糸が一気に解けた瞬間。

きっかけはたった一つで充分だった。初代ものみ塔協会会長チャールズ・テイズ・ラッセルの墓がピラミッドになっている。その事実が信者には隠されている。これだけで私の洗脳が解けるのに充分だった。

エホバはいないし、ハルマゲドンはこない。ものみの塔協会は最初から今に至るまで嘘つき、その嘘を隠すために、信者に情報統制をしいている。これはオレと一緒じゃないか、そう思った。

かつて、エホバの証人2世として厳格に育てられていた頃のこと。親に隠れて数々の罪を重ねていた。親に隠れて、ものみの塔協会に禁止されていることをする都度、嘘を重ねていた。

王国会館や両親の前での振る舞いと、学校や”この世”の友人の間で見せる自分に違いがあった。私には裏表のある二面性があった。この二面性はものみの塔協会にもそのまま当てはまると私は気付いた。

ものみの塔協会の二面性は、皮肉にも信者にそのまま受け継がれている。さらに皮肉なことに、そのものみの塔協会の二面性は、組織内のエホバの証人に対してことさら示されている。

これはものみの塔協会の頂点に君臨する統治体に著しい。さも自分たちは神に導かれた者であると振舞っているのだが、裏では隠蔽工作を画策し、贅沢三昧の金欲主義者の集団。

ものみの塔協会の不都合な真実

私のものみの塔協会の洗脳が解けたのはネットの記事が要因だった。ものみの塔協会初代会長チャールズ・テイズ・ラッセルの墓がピラミッドになっているという記事。ものみの塔協会の不義。あやまちではなく隠匿、これを知ることで一気にマインドコントロールから解放された。

元々、疑問に感じていたものみの塔協会の姿勢や教理に対する不信が全てつながる。ものみの塔協会は欺瞞に満ちたカルトであると。

ラッセルの墓はピラミッド情報を見たあと、ちょっとネットで調べると、出てくる出てくる。ものみの塔協会の不都合な真実。

  • ものみの塔協会は国際連合のNGOに加盟していた
    自身が緋色の野獣と蔑んでいた組織にしっぽを振っていた。しかも、こっそりと。ばれた瞬間に退会するというのは不倫夫と変わらない。誰が娼婦だか。
    ものみの塔協会の教義ではこの世の宗教団体全てが娼婦とされ、国連を代表とする国家組織に迎合していると批判していたのだが。まさか自分が一番の売春婦だったとは。しかもどこまでもそれを隠し通そうとする隠蔽体質。
  • ブルガリアでは輸血解禁されている
    日本では、無輸血にこだわった親のせいで、死んでいった子供がいるのに、かたや地域によっては”輸血OK!でっせ”となっている。このご都合主義で死んだ人間は浮ばれない。

現役信者の方もネットで調べてみると良い。エホバの証人組織はネットの情報は全てデマで、サタンの誘惑、攻撃であるというだろう。中には疑問点のある記事もある。

ラッセルの墓はピラミッドという件も、別の記事ではピラミッドは”たまたま”近くにあるだけとなっていた。しかし、エホバの証人は墓に埋葬はされないし、ピラミッドには「JW WatchTower」と刻んであり、言い逃れは出来ない。のだが、それすらも嫌がらせだというような、ものみの塔協会養護派の記事。それも決めつけで信ぴょう性はないのだが。

ネットの情報が全ては正しいとは決して言えないだろう。鵜呑みにするのも問題。だが逆に全て嘘だと言い切ることは出来るだろうか?中には良心に満ちた記事も存在する。

自分だけが正しくて、他はすべて誤りだという姿勢。ものみの塔協会の独善的態度。それが怪しさ満点。都合の悪い真実が信者の耳に届かないように情報統制しているのだ。

 

エホバという猛毒が抜けない二十代

マインドコントロールが解けて惰性で生きる元エホバの証人2世

西暦2003年頃、私は20代前半だった。私は生まれながらのエホバの証人2世で、二十年もの間、ものみの塔協会の深い洗脳下にあったのだが、遂にそのマインドコントロール状態から解放。

天にエホバという神がいて、ハルマゲドンというこの世の終わりは近い、ずっとそう信じ込んでいた。しかし洗脳が解けて、それらは全部、ものみの塔協会の虚偽だと気付く。

私は、二十歳を過ぎて、自分の根幹を失ってしまった。どうやって生きていったら良いのか、何をファーストプライオリティとすべきなのか全く不明。生まれたての赤ん坊状態になってしまった。

この後、私は惰性で生き始める。吸っていたタバコを、そのまま吸い続けたのが、その象徴。なぜタバコを吸い始め、なぜ吸い続けるのか?そのメリット、デメリット、辞めた場合のメリット、デメリットは?

自身の根幹を失ったのだから、一から全部考えるべきだったのに、私はそれをせず、惰性的な生活を続けた。

心の底から、ものみの塔協会が憎かったし、ものみの塔協会のせいで失った家族のことは悲しかった。とはいえ、ハルマゲドンで明日にでも即死という恐れはなくなった。これは喜びだったし、洗脳が解けたという興奮状態にあった。

そのため、何かをじっくり考えるというよりは、そのまま目先の楽しさを享受する安易な選択をしてしまった。翌日から会社に行き、終業後はパチンコ屋に行き、勝てば飲みに行くという享楽的な生活。

新しい人生の指針が何とも”しょぼい”反エホバ思想

そういった生活を続けていくうちに、自分の中にまた根っこと呼べるものが生え始めた。反エホバである。反ものみの塔協会という思想。嘘つき集団を否定し、奴らの考え方と正反対の生き方をしなければならない。という考え。

私は、この考えが根ざすと同時に、その生き方を実行し始めた。これが安易でいけなかった。よく考えるべきだった。反エホバ!反エホバ!と強く意識している時点で、洗脳されていた時と何ら変わらない。エホバに振り回され、本来の自分を見失っている。結局、エホバという猛毒が心中深く蝕んでいる。

元エホバの証人としての傷が深いあいだは、ものみの塔協会なんて無視しておけばいい。積極的な姿勢で無視して、新しいメンターを探そう。それに騙されても良い。騙されたと気付ける考え方、思考法を養えたと思えばそれば良い。

まずはエホバから離れることが大事。そして、新しい指針は宗教ではない方が健全。会社で出世している人だったり、世の中の成功者だったり、歴史上の偉人だったり。

基本、宗教は見えないものを崇めるので、一見怪しげ。それを補うために深い自己批判・自省、もしくは欺瞞、まやかし、ごまかし・偽善が必要になる。前者はまともな宗教で、後者はエホバの証人を代表とするカルト。

エホバの証人をやめて、心が定まらない間は自身を見つめることは叶わない。そんな余裕はないから。そして、エホバの証人らしい決めつけ思想が抜けきっていない間に、新興宗教系のカルトに触れるのは非常に危険。またすぐにハマってしまう。

よって、宗教からは距離を置き、目に見える成果を上げている人・団体を指針として人生を再構築すべき。私はこれをやらずに、自分の心の声に従い、指針を定めた。自分の心の声に従う。これは何の問題もないのだが、私の心の声は「反エホバ、反ものみの塔」、これは本当の自分の心の声ではなかった。

強く否定することは、否定対象に縛られ、心揺さぶられているということ。すなわち、「反エホバ」は「エホバ」そのもの。まだまた深い洗脳状態にいるのと何ら変わらなかった。

不真面目であろうとする生真面目な元エホバの証人2世

エホバの証人=真面目。私のイメージはこれ。お堅くて面白くない奴ら。子どもの頃から、そんなエホバの証人たちに囲まれて生きてきた。

ものみの塔協会は自身の戒律に従うことを強制するが、その戒律に反しない限りは上位の権威に服するようにと教えている。上位の権威とは、親、年長者から始まり、学校の先生、校則、法律、政治権力と続く。既存の権力構造すべて。

既存の権力は神エホバが一旦は認めているものであり、上位の権威に服することはエホバの主権に従うことである。というロジック。

このため、エホバの証人は法律をはじめ、世の中の決まりを遵守する。エホバの証人の教理に背かない限りはという条件つきになるが。兵役であるとか国旗掲揚、選挙などには参加しないのだが、普通に生活している限りは良市民に見える。

さらにものみの塔協会は模範的な市民であれとも教えており、エホバの証人とは変わってはいるけれども、生活態度は至って真面目。

この真面目なエホバの証人に対して、私は不真面目にならなければならない、反エホバという生き方をするためには、真面目であってはいけないという考えに至る。私は二十歳を過ぎて、非ものみの塔を掲げ、不良になってしまった。

何とも浅はかな思考回路なのだが、しょせん寸前まで生まれてこの方マインドコントロール下に会った人間の考えること。これが限界。吸っていたタバコも継続し、ギャンブル、過度の飲酒、乱れた性生活、エホバの証人が嫌うものを好んで周囲に引き寄せた。

洗脳状態にあったときは、死ぬことが怖くなかった。どうせハルマゲドンで明日にでもやられると思っていたから。それまでは事故って死ぬのが怖くなくて、猛スピードで車を走らせていたのだが、この頃はあえて法に反するため、スピード違反を繰り返した。払った罰金よ。返って来いと今では思う。

この頃の話で滑稽なのが、私は不真面目であるということに、きわめて真面目に几帳面に取り組んでいたこと。何をするにも如何にすれば不真面目か?エホバの証人らしくないか?と考えていた。この生真面目さこそがエホバの証人的思考。

エホバの証人をやめたらひたすら考え続けろ

エホバの証人をやめたら、まずすべきこと。自由を満喫するのも良い。だけど、そうしながらひたすら考えるべき。でないと、気付かない間にどうしても心中に蝕むエホバという毒が体を巡る。また思考が停止する。

タバコを吸い続けるなら、なぜ吸い続けるのか考えろ。まず吸い始めた理由は?吸い始めた理由は興味。エホバの証人に禁止されているものへの関心。タバコは金はかかるしどう考えても健康に悪い。

だが健康は損なっても、どうせハルマゲドンで死ぬのなら同じこと。それなら吸い続けよう。金がなくなるが、貯金したって仕方ない。ハルマゲドンまでに使いきれない金は必要ない。それならばタバコを吸い続ければ良い。

だが、ハルマゲドンは来ないとマインドコントロールから解放された。価値観ががらっと変わってしまった。タバコを吸い続けるのなら、吸い続ける理由を考えなければならなかった。

明日にでも死なないのなら、金も健康も貴重ではないか。タバコを吸っていればエホバの証人っぽくないからと、そんなつまらない理由で私はタバコを吸い続けた。

脱ものみの塔というせっかくの人生の転換点を迎えたのだ。組織を脱けるのに相当なエネルギーを使っただろうが、エホバの証人を辞めた瞬間から、しっかりと物事を考える癖をつけるべき。でないと、ものみの塔的思考回路にやられて、人生の岐路でまたもや誤った方向へ進むことになる。

何々でなければならないというエホバの証人的思考停止状態

20代前半の頃、私は普通の会社員だった。就職氷河期で、なおかつ私は短大卒に過ぎなかったのだが、難なく安定した会社に就職していた。だが、これではいかんと私は考えた。普通であったり、安定であったり、こんな生き方ではいけないと私は思い込む。

なぜなら、真面目な会社員というのは、エホバの証人っぽいから。エホバの証人は会社員にはあまりならないので、真面目な○○というのは、エホバの証人っぽいから。というのが正しい。

エホバの証人のような、真面目な生き方をしてはいけないという強迫観念に私は囚われていた。反エホバ思想者として不真面目であらねばならない!私はこう思い込んでいた。

もはやこれでは、ものみの塔協会の洗脳下にあったときと何ら変わらない。何々でなければならない、何々しなければならないというのは、考えるのを止め、楽な方へ楽な方へとただ邁進しているだけ。思考停止のマインドコントロール状態の延長にある。

私はものみの塔協会のマインドコントロール下にあった。これは20年間に渡る。20代前半にして、ようやくマインドコントロールから自由になった矢先、私はものみの塔協会の逆マインドコントロール状態に陥ってしまった。

パチプロになったエホバの証人

私はスパッと会社を辞め、パチスロで生計を立てていくという大博打に出る。ギャンブルはエホバの証人が嫌うものだし、パチプロなんて不真面目さの極み。私の非ものみの塔活動は極限に達した。

とはいえ、毎日パチスロをするというのも楽ではない。勝てる店、出る台を奪取するために遠方に行ったり、朝早くから並んだりしなければならないので、パチプロの朝は早い。夜も遅くまでパチンコ屋にいなければならない。翌日、打つ台を決めなければならないから。

意外にも、私はパチプロとして規則正しい生活を送るはめになってしまう。真面目であってはいけないと、反エホバの証人的生き方としてパチプロになったはずなのに。

そもそも、パチプロのなかにも、真面目な奴から相当にイカれた奴までいる。エホバの証人の中にも、生真面目な奴から、ちょっとふざけた奴、私のように堕ちる所まで堕ちた人間まで存在する。一概に何々ならエホバの証人らしくないなどと言えるものではない

ものみの塔協会に対する正しい復讐の方法

20代前半の私は、いかにエホバに証人らしくない生き方をするかということだけに集中していた。非エホバ、否ものみの塔。これは私にとって、ものみの塔協会への復讐だった。

15年もの歳月を、エホバの証人2世の子どもとして過ごした人生の恥部、失った家族。私は、反ものみの塔的生き方をすることで、その復讐をしているつもりだった。

こんなことを考えたのは、つい最近、パチプロだった頃から15年以上経った現在の話。そして、今の私はものみの塔協会に対する正しい復讐の方法についても考え始めている。ものみの塔協会への復讐の方法は3つある。

まず一つ目はものみの塔協会に縛られないこと。プラス方向、マイナス方向どちらにも。当然、プラス方向、ものみの塔協会の思い通りに洗脳されるのは論外。かつての私のように、マイナス方向、反エホバ思想に染まって、暴走して道を踏み外すのもNG。

これこそ、ものみの塔協会の思うつぼ。エホバの証人を辞めると、あんなサタン的な未来が待っていると言われる。それでは何の復讐にもならない。

復讐として出来ること二つ目は楽しく生き続けること。自分の本当にやりたいこと、心躍ることが出来れば、楽しい。その笑顔がものみの塔協会に対する復讐になる。エホバの証人をやめて良かった。今が楽しいし、寿命までの将来を存分に生きる。そう思えることが、ものみの塔協会に対する何よりの復讐。

そういう生き方をしていれば、現役の信者もこちら側に寄って来る。脱塔に近づく。そうしてエホバの証人信者を限りなくゼロに近づける。その時にものみの塔協会に対する復讐が完了する。これが最後の復讐の方法、ものみの塔を崩壊させること。

強く否定することで逆にエホバに縛られる

私は20代前半でものみの塔協会のマインドコントロールが解け、エホバの証人の信じるエホバという神は幻想だし、彼らの唱える形でのハルマゲドンは勃発しないし、楽園で永遠の命を享受するというのもエホバの証人の作り話だと気付いた。

しかし、こう理屈では解っていても、この頃の私の頭の中は未だにものみの塔協会の影響を深く受けていた。エホバの証人の行動指針やものの考え方は、自分でも気付かないほどに深く染み付いていた。私の20代はこうしてものみの塔協会から完全に自由になることなく消化されていった。

私の20代は、非エホバ的な生き方をしなければならないという強迫観念にとらわれ無法、無頼として過ごすことになった。この生活態度に伴い、私は多大な犠牲を支払うことになる

エホバの証人を嫌い、あの穏やかさや親切、愛、喜びと言った彼らが一応は重視している美徳とも言える概念をも私は否定していた。喫煙、過度の飲酒、ギャンブル、上位の権威や目上の人々に対する反発、そういった反ものみの塔的な思想や行動を追い求めた。

それは本来の私の望みや考えではなく、単純にエホバの証人の2世であったという過去を否定することから派生したもの。

エホバの証人的生き方をしないでおこうと思えば思うほど、その教義や彼らの生き方に注目して、それとは逆をいかなければいけない。私の20代は、反発するほど逆にエホバに縛られるという状況に陥っていた。

私は交通事故で車を3台も廃車にしている。ハルマゲドンで死ぬと14歳でエホバの証人を辞めてから20歳を過ぎるまで思っていた。どうせいつか不条理に死ぬのだから、事故って死んでも構わないと考え、ありえないスピードで車を走らせていた。

エホバの証人は輸血拒否という信条で生命を冒涜しているが、形式上は神から頂いた命や身体を大事にするように教えている。その教義を否定する暴走行為は反エホバ的なものを追い求めていた私にとってうってつけだった。

ものみの塔協会は、教義に反しない限りはという条件付きで一応は上位の権威に服することを信者に要求している。スピード違反の暴走行為もこの頃の反ものみの塔という私の生き方にマッチしていた。

夜明けの気付きと3度目の交通事故

一晩中、片側2車線の国道をメーターが振り切れるほどの速度で走り回っていたことがある。翌朝、朝日を浴びながら、ふと考えた。あのスピードで何かに激突すれば死は免れないだろうと。

まだ死にたくないと私はそのとき切実に思った。いつか来るハルマゲドンで私は確実に滅ぼされるのだが、それでもまだ生きていたいと思った。命を粗末にすることで、現在の生は短いゆえに貴重であるとようやく気付いた。

この時より前に私は2度、交通事故で車を大破させている。その2回とも車の前方部分が完全に潰れるような事故で、私自身が無傷で負傷者が誰もいなかったのは驚きとも言える。

3度目に車を全損させたのは、夜明けに生きていたいと実感したこの時から10年後だった。

朝の光を浴びながら、せめてハルマゲドンで滅ぼされるまで生きていたいと実感したときから10年後、私は3度目の交通事故を起こす。その10年の間に、エホバの証人の教義は全部がデタラメだったと私は気付く。

これはインターネットのおかげ。ハルマゲドンは絶対に来ないと、ものみの塔協会の嘘に気付いた。とにかく突然、青天の霹靂とも言える神の裁きにより死ぬことはないと私は確信したのだが、だからと言って何をして良いのか、何を始めれば良いのか全く解らなかった。

そして、生きていたいと実感したあの夜明けの感覚を忘れ始めていた。急に命が寿命まで実質上の無期限に延長されたから。

私が起こした3回目の事故は凄まじかった。結構なスピードが出ていた状態から縁石を飛び越えて民家の外壁をえぐり、それから40mほど車が進んだ所でやっと停まった。事故車を引き上げに来てくれたJAFの人が

「こんなひどい事故、久しぶりに見ました」と、無傷の私を見て

「鉄人ですか?」と驚いていたのである。

私はこの時、飲酒運転で無謀とも言えるスピードを出していた。木端微塵になった車を見て、こんなことを続けていたら本当にオレは死んでしまうなと思った。

そして、自分が死ぬだけならまだしも、そこら辺を歩いているまるで無関係な人の命まで奪いかねないと、事故を起こしてようやく気付いた。その無関係な人々の生命を、私は心の何処かでハルマゲドンで奪われると信じて疑わなかった命と同じくらいに軽んじていた。

 

元エホバの証人が最後に見つける人生の真理

エホバの証人をやめたパチスロ好きな親子

かつて私の父はエホバの証人の長老だった。長老とは、100人程度のエホバの証人の会衆の責任者という立場。父は、エホバの証人をやめた後、母と離婚し家を出る。その後、父はあてもなく放浪する。西へ向かい九州にまで流れ着く。

所持金はほぼ無くなり、何も食べられず泊まる場所も無く、もう死ぬしかないというところまで至る。そして、最後の金でパチンコ屋へ入る。この金が無くなったら死のうと決めて。

最後の最後にパチンコ屋にたどり着く辺りが親子なのかも知れない。私も、この父親との再開の数年前、新卒で入社した会社で5年働いた後、退職し本気でパチプロになろうとしていた。

エホバの証人という無謀な生き方をしている人を何千人も見てきて、人は何とかして喰っていくくらいなら出来ると分かっていた。エホバの証人は学歴も職歴も欲せず、定職にもつかないが、飢えて死んだ信者は見たことがない。

エホバの証人2世として生まれてしまった私の生は、どうせろくなモノではない。今さら世間的な地位や名声などを必死に追い求める気にもなれなかった。

私は、ハルマゲドンで死ぬまでサッカーをやり尽くしたいという激烈な意思でエホバの証人をやめた。しかし、それも諦め、洗脳が解けてハルマゲドンは来ないと知ったエホバの証人2世の適当な生き方。

ハルマゲドンが来ないのなら意外と人生は長い。生き方を見定めないといけないと私は思い、パチプロへ転向したのである。パチプロという世間に依存しないアウトローな生き方は、いかに反エホバであるかという私が追い求めていた生き方にマッチしていた

しかし、父は洗脳が解けて、何もかもが取り返しのつかない状態であることを悟り、死ぬ気で命がけのパチンコを打っていた。

これは私がフラフラとサラリーマン兼業のセミプロからパチプロに転身しようとしていた頃。私の適当さ加減ではセミプロ時代のように勝ち続けることは出来ず、半年ほどでまた仕事を再開せざるを得なくなった。

時を同じくした父の話。こちらは最後の金を握り締めたカツカツの勝負。これで負けたら死ぬと決めた鉄火場。父は最後のパチンコで大勝する。しばらく生き延びられるほどの金が天から降ってくる

そうしてまた所持金が無くなり、やはり死のうと考える。ここでまた最後のなけなしの金でパチンコ屋へ行く。これが何故か負けない。パチスロ台の奇跡とも思える1/8000とか1/30000という確率のレアな大当たりを引き当て、また生き延びる。こんなことが数回あったと父は言う。

永遠の命は輝かず人生の真理は絶望の淵にある

目の前で元気そうな顔でこんな話をしているから、パチンコ好きな親子としては笑い話で済んでいるのだが、本当は、父親は死に場所を探していた。ものみの塔というカルトに全てを奪われた絶望から死に至ろうとしていた。

しかし父親は死ななかった。死ねなかった。とにかく何かに押し留められるように、あと一歩のところで現世に踏み留まった。未だ死ぬべき時ではなかったということ。本当に生きていてくれて良かった。7~8年ぶりに再開したこのときに私はそう思った。

絶望の淵に立たされた元エホバの証人は自殺衝動に駆られる。しかし人生の真理はその絶望の淵にある。若さや時間という絶対に取り戻せないものを含めて、何もかもを失っても、人生は生きていくだけの価値がある

何故ならものみの塔協会の洗脳下に無い生き方こそが、本当の人生であり真実だから。人生は儚く短い。永遠の命などありえない。それがものみの塔協会が語らない人生の真理。

吹けば飛ぶような微かな命の灯し火だからこそ、時には大きく輝く。また、人生は残酷で良いことや救いなど何もない。時にそう思えるのも人生の真理。それでも生きる価値の無い生命などこの世に存在しない

この世に生を受けたからには、もはや神にもその命を滅ぼす権利は無い

全ての羊たちへ

死の淵に何度か迫った私の父親だったが、その状態から奇跡的に生還する。これだけしか話さないとエホバの証人たちだと、まさにエホバ神の救いなどと言い出しかねない。

本当に神がいるのなら、父は神に救われたのかも知れない。奇跡としか言えない。ここ一番のパチンコで何度も連続して勝ち続けるというのはまさに奇跡。冗談のような話だが事実。博打好きな神様にしか出来ないこと。父親を生かしてくれたのはやはり神なのかも知れない。

ただ、その神はものみの塔協会が存在を主張するエホバという神でないことは明らか。ものみの塔協会はギャンブルを認めていないし、離婚、喫煙と戒律に反し続けた父がエホバに救われる所以はないからである。

父は、放浪し死にかけるというひどい目にあった。これをエホバの証人に言わせれば、真理から離れた結果ということになる。しかし元々はエホバの証人や王国会館にさえ近づかなければこんなことにはならなかった。

家から家を周り、さらなる犠牲者を増やし続けるエホバの証人が危険な厄病神に思えてくる。ただ彼らも無知で騙され、搾取されている被害者。まさに取って喰われるだけの羊を責めてもどうしようない。

エホバの証人の上層部で権力を掌握し、羊たちの寄付金や労働力を吸い上げている組織そのものが悪の権化。その筆頭が統治体という老人集団。羊たちを騙すために二枚舌を使い分けることも厭わない偽善者たち。

この搾取と欺瞞がシステム化されたものみの塔協会にこそ鉄槌が加えられるべき。この思いで私はこれを書いている。さらに

  • 1人でも多くの無垢の羊たちが洗脳から開放されること
  • 彼らが人生の本当の意味を知ること
  • これから地獄の日々に足を引きずり込まれそうな人々へ警鐘を鳴らすこと
  • エホバの証人をやめたものの未だ深く傷付いている人々への何らかの助けになればと、

私の経験を拙い文章で書いている。

ものみの塔協会は信者に隣人愛を抱くことを要求しているのに、王国会館に溢れているのは愛でなく嫉妬と上辺だけの社交辞令。排斥され会衆から追い出された人々への仕打ちは無残。目が合っても挨拶すら許されないという幼稚さ。それは愛を抱くべきキリスト教組織の態度ではない。

全てのエホバの証人よ。目ざめよ!自分の意思でモノを考え、王国会館から脱け出そう。あなたが崇拝しているのは神エホバではなくものみの塔協会という組織、ものみの塔という偶像

遅すぎることなどないカルトからの脱出

エホバの証人をやめる過程で私の家族は崩壊した。私の戻る家は無くなり、父は、国内を彷徨う日々の中で無一文になって死を選びかけた。

私の父は、そんなぎりぎりの生活がたたって高熱を出して倒れ、本当に死にそうになった。生きたいという人間本来の無意識の欲求と死んでしまいたい絶望とが父の中で交錯していた。

現在の父は、その病気の時に知り合い介抱してくれた女性と一緒に暮らしている。その女性は当時すでに夫と死別。その女性の子供の一人は、警察沙汰になるような悪い友人と付き合いがあり、それを断ち切るために父は奔走したという。

エホバの証人の長老は、会衆内の信者の個人的な問題を解決することは出来ない。私の父もそうだった。エホバの証人組織に殉ずる長老のような”特権”階級は、上からの”内密”文書の指示に従順に従うだけ。会衆内の信者一人一人に対して生身の人間として接することが出来ない。

エホバの証人のときには出来なかった一人の人間として誰かに生身で接するということ、さらにはその人々の助けとなること、父はエホバの証人組織を去ったあとでこれを成し遂げた。宗教家とはとても言えない、人間的には未熟なエホバの証人の長老には決して出来ないこと。

これがこの後の父の生きる糧となった。ものみの塔協会のマインドコントロールから解放され、自分の意思でモノを考え、自身の行動を自ら決定するということが出来るようになっていた。

父は弱い部分もあったが、一人息子の私から見ると男として立派で強い部分を多く持っていた。とても頼りになるかけがえのない存在だった。ものみの塔協会に一家まるごと侵食されたせいで、私の家族は崩壊したが、それでも父に対する一人息子としての信頼は揺らいでいない。父が母を捨てて家を飛び出した今でも同じ。

人はいつでもやり直せる。ましてや真面目で強い私の父のようなタイプの人間ならば当然。その生真面目さがものみの塔協会に付け込まれる一因ではあったのだが、人は失敗しつつ学び前進していくしかない。

ものみの塔崇拝という罪を悔い改めるのに遅すぎることなどない。死の間際でも良い。一瞬でも楽園での永遠の命という幼稚な希望に疑いが生じたのなら、すぐにこの宗教が原因で仲違いしている家族に詫びるべき。

あなたの命はこれ一度限り、死ぬまでにやるべきことやるしかない。

エホバの証人の中ではまともな方だった私の両親

父は会衆内の個人の問題を解決するということをエホバの証人の長老としては果たせなかった。しかしエホバの証人をやめた後ではこれを実現することが出来た。

父が母と離婚し別の女性と一緒に暮らしていたときのこと。その女性の子供は友人関係に大きな問題を抱えていた。未成年の初犯ながら実刑を受けるほどの重犯罪に手を染めることになった友人がいた。

これが本来の友人であれば問題にもならなかったのだが、実際には脅されて付き合わされていた。私の父親はその悪友との交際関係を断ち切るべく交渉にあたった。

父親は私にとって勇気と責任感を持った強く格好良い人だった。ものみの塔協会にさえ関わらなければそれを体現し続けることが出来た

私が自動車事故を起こしたときに相手が運悪く暴力団関係者だったことがある。父はその事務所へ一緒に謝りに行ってくれた。傷がついた高級車を買えと言われ、私の父は誠心誠意謝るとともにしっかりと断ってくれた。

この頃の私は両親よりも先にエホバの証人をやめていて、エホバの証人組織第一という両親の価値観とは圧倒的に相違があった。それにも関わらず父は1人の親として私の問題を解決してくれた。母も父と同じだった。私がエホバの証人をやめたあとでも普通の母親として家を出るまで接してくれた。

ものみの塔協会の洗脳に陥り家族が崩壊するという不運には見舞われたが、私は恵まれた両親のもとに生まれてきた。歴史にもしもはないのだが、エホバの証人にさえ出会わなければこんな運命をたどらなかった。

しかし、エホバの証人は必ずあなたの元にやってくる。家から家を誰一人として漏らさないようにして巡っているから。エホバの証人は住宅地図を一軒一軒消し込みながら巡回している。エホバの証人に出会う不運は必然。誰もが一度はエホバの証人に出会ってしまうのだ。

洗脳されたエホバの証人は間違いのない善行のつもりで熱心に勧誘活動を行う。その布教活動はおせっかいで無意味で何も生み出さない。新たな信者の発掘は、ものみの塔協会という組織を潤すだけで何も生産しない。彼らのボランティア活動は平和な家庭の破壊活動。

もうすぐ40歳という今でも、私はエホバの証人2世だった頃の夢を見る。両親に王国会館に連れて行かれるのを拒否しようとしているのだが、なかなかそれを言い出せないというシビアなシチュエーション。

夢の中の私は、再び家から家へと周る伝道奉仕活動に出かけている。見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす恐怖を、私は未だに夢の中で味わっている。

私のエホバの証人2世としての過去は、今でも完全に清算できたとは言えない。むしろどこかで折り合いをつけて行くべきことなのかも知れないと考えている。

三度の奇跡的生還と生かされるということ

私が三回の自動車全損事故で奇跡的に生き残ったことには、何らかの意味があると思っている。私は三度ともまだ死ぬべきでは無かったということ。こんなスピリチュアルな考え方をするのが、ものごとを信じ込みやすいエホバの証人チックな性格だとも言える。ただ、私の父にも同じような経験がある。

私に続いて父はエホバの証人を辞めた。そして未だエホバの証人信者だった母との関係がこじれて、私の家族は崩壊。一家離散した後、父は国内を放浪する。その放浪中に何度か一文無しになって、死のうとした。最後のなけなしの金でパチンコ屋へ入る。すると必ずフィーバーし、命を救われる。

父の死期もその時では無かったということ。そうしてそれぞれ生き残ったことによって、私と父は数年ぶりに再会することが出来た。

人は誰しも何らかの役目を持って生まれて来ている。私が何度も生き残った理由、それも何らかの使命を担っているからだと私は思っている。それはエホバの証人を辞めて以来、私が目を背け続けてきたことに関係している。

私はエホバの証人を辞めてからは、かつてエホバの証人だったことを周囲に隠し、自分でも忘れようとしてきた。自分の人生の恥部であると思ってきた。しかし、エホバの証人の2世だったということを見つめ直さなければならない時期が来たと考えている。

エホバの証人の2世信者だったこと、そしてそこから自分の意思で離脱したこと、未だにものみの塔協会の洗脳下にある被害者たちに何かを伝えること、それが私の使命。瀕死の洗脳状態から生還した私の役割

3度も大きな交通事故を起こして、それでも私が生き残ったのは、このためだったと考えている。

 

宿命

恋人に発覚した元エホバの証人2世という過去

私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときに自分の意志でエホバの証人を辞める。そして、とっくにエホバの証人をやめていた20代前半の頃の話。当時の交際相手に、私が元エホバの証人二世だと知られてしまった。

特に隠していた訳ではない。自分からわざわざ話すことでもないので黙っていたのだが、「秘密にしていたのでは?」と問い詰められるような状況になる。彼女の親が興信所を使って調べたのだった。

彼女は、多少エホバの証人について知っているようだった。本人いわく、子供の頃に仲の良いエホバの証人の友達がいたという。遊びに行くとか、何かするとか、そういった時々に、そのエホバの証人の友達には「集会がある」だとか「泊りがけで遊びに行くのは無理」と断られたそう。

彼女は「エホバはやばい」と言う。そんなことは今さら言われなくても、当時の私は充分解っていたし、もう既にエホバの証人を辞めていることは、その彼女には話した。

当時の私は遊びたい盛りで、すぐにでも結婚するという気持ちは全く無かった。その彼女が、私の元エホバの証人2世という過去を理由に離れていくなら、それはそれで構わないという思いだった。

ただ付き合うだけの相手ならば、過去にエホバの証人だったということは、そんなに問題にはならないのかも知れない。まあ避けたいという気持ちは解らないではないが。しかし結婚相手となると大問題になる。

私とその彼女とは結果的には自然消滅的に別れることになった。私としては、エホバの証人のことを指摘されたのは全く理由ではなく、もっと別の異性とまだまだ遊びたいという思いの方が強かった。

ただ相手としては、結婚を意識し始めると私の元エホバの証人という過去は大問題だった。家族・親族で付き合うことを考えると大きい。私の両親は元エホバの証人で、それが理由で離婚している。そんなカルト一家と、永続的に付き合いたいと思う人間の方が珍しい。

私はこの頃、結婚など全く考えていなかったので、この一件について問題は無かった。しかし、エホバの証人2世だったという過去は、私にとって大きな重荷になるのは間違いないと再認識することになった。

私は、まともに結婚して家庭を築くことなどできやしないのではないかと思い始める。そして、元エホバの証人であることを恋愛相手に知られるのは、やはり屈辱的だった。自分の恥部であり、格好のいい点ではないから。

そして、エホバの証人2世だったという過去を隠し続ける限り、私は結婚など出来っこないと気付く。結婚相手にまで隠し通すのは困難だし、大きな秘密を抱えた関係性で家庭が継続される訳がない。

元エホバの証人二世の人たちは、過去の傷と向き合い、抱え込めるようにならなければ、結婚や恋愛ができない。私がこれを出来るようになったのは、この時から10年以上後のこと。時の経過が傷を中和し終えたとき。

エホバの証人であった過去はトップシークレット

私が元エホバの証人2世であるということは、40才になった今でも誰にも話したくない事実である。私にとって最も触れられたくない最低な話題。

罪の意識があったり、後ろめたいところがある訳ではない。私がカルトにだまされたのではなく、生まれながらに親ゆえにエホバの証人2世として育てられただけ。被害者。

14才のときに、自分の意志できっぱりと足を洗っている。親に洗脳し続けられた少年期を自分の考えで否定した。この宗教のせいで一家は離散しているけど、そんな家庭は何処にでもある。

それでも、エホバの証人2世だったという過去には触れられたくない。自ら進んで誰かにこの秘密を話すなんてこともまずない。

子どもの頃、季節毎の行事や武道の授業に参加出来なかった。教室の端でクリスマス会や節分、柔道の授業を眺めていたときの私を誰にも知られたくない。そのときの気持ちに戻りたくない。

消滅した親子3人の時間と空間、それを失ったときの傷、子供の頃に奇異の視線を浴び続けた記憶、見知らぬ家の呼び鈴をボランティアと称して鳴らすときの恐怖心、存在すらしない神に対する無数の罪悪感。

神エホバはいないというものみの塔協会の嘘に気付いたときの脱力感、ずっと洗脳されていたのかという無力感、こんな簡単な嘘に今まで気付けなかったのかという無能さ、人生の全てを真剣に捧げてきた両親へ哀れみ。

そんなものを私の心から掘り起こされたくない。極めて個人的で私のデリケートな部分。鍵をかけて生涯閉まっておきたいこと。

今でも数日に一度はエホバの証人だった頃の夢を見る。目が覚めて、エホバの証人でない自分であることに気付き、ほっとする。エホバの証人だった過去は、心の中の薄い膜1枚に覆われた部分に隠してある。

隠しても隠し切れずに表出してくるほど大きな過去の傷。消化不良で忘れきっていないものを、今さら引っ張り出されたくない。40歳になった今でも同じ。エホバの証人を辞めて25年経った今でも癒えないほど、エホバという傷は深い。

元エホバの証人2世の宿命的ミッション

それでも、こうして自ら過去の傷を掘り起こしているのは、前に進むため。やるべきことをやるため。この世からエホバの証人を消滅させるため。エホバの証人として、人生を無為にする人々を救うため。

子供の頃の辛い季節は、私のものみの塔協会を消滅させるという任務のためにあったのだと今では考えている。

エホバの証人の人間関係が無ければ生きていけないという人が多くいる。だから辞められないと。しかし、そのエホバの証人の人間関係は偽善だ。あなたがエホバの証人であるならば愛されるという限定的なもの。

そんな条件付き愛情は必要ない。捨て去って孤独を感じろ。その孤独は自由で自分らしく素晴らしいし、かつ寂しく悲惨で自らの過去の代償でもある。その孤独を嚙み締めるべき。それが人生。生きるだけの価値は十分ある。

あなたがエホバの証人として活動することで、統治体というエホバの証人上層部の財布が潤う。そしてさらにエホバの証人被害者が増す。これを私は見逃せない。許すことができない。放っておくことができない。

エホバの証人を限りなく少なくし、ものみの塔協会を消滅させることが私の宿命。このために私は幼年期・少年期をものみの塔協会に捧げることになった。

元エホバの証人の生き方とは

私は、20代半ばで会社員を辞めてパチプロになるという決断をした。真面目な会社員であるということは、私の主義に反すると考えたから。私の主義とは反ものみの塔協会、非エホバ的生き方。

ものみの塔協会のせいで、私はお気楽で一般的な子供時代を送ることが出来なかった。さらに家族をも失った。ものみの塔協会に対する復讐として、エホバの証人を全否定した生き方をしなければならないと考えていた。

真面目なエホバの証人のようであってはならない。不真面目で自堕落な生き方をすることが、ものみの塔協会に対する逆襲であると勘違いしていた。

私のパチプロ生活だが、全く成り立たなかった。サラリーマンと並行してパチンコ屋に通っていたときの収益力・安定性が全くなくなり、すぐに生活に不安が生じた。原因は全て私自身にあった。

私には、パチプロを続けるだけの我慢強さ、忍耐力がなかった。パチプロとしては、勝つ見込みの無い日は打たないことも大事な決断。しかし、私はこれが出来なかった。負けが込んで焦り出すと、どうしても無謀な勝負に出てしまう。

無謀な勝負に出たのなら、最後まで戦い抜くべき。これも私には出来なかった。中途半端なところで引き返して、無駄に金を失う。無謀だった間違ったと思う心があるから途中でやめてしまう。悪循環。こうなると、正しい決断をしても自分の意志と心中できなくなってしまう。

エホバの証人に求められる九つの特質というのがあって、子どもの頃、何度も唱えさせられた。

愛、喜び、辛抱強さ・・・

云々かんぬんと続くのだが、後は忘れた・・・。この辛抱強さとか忍耐とか、そういったものが私には一切なかった。

この世を彷徨うエホバの証人たちへ

私は幼い頃からエホバの証人として育てられ、自分の意志で何かをすることが許されたことは一度もなかった。何をするにも、ものみの塔協会の教義に沿っているか否かで、両親に判断された。

そもそも、エホバの証人の活動以外は全て余分なこと、そんなことに時間をとられるなというのが家庭の方針だった。

自分で決めたことを最後までやり抜く。こういう体験を、私は子どもの頃から一切積んでこなかった。嫌々やらされているエホバの証人活動だけ。しかも、それは全て無駄な嘘っぱち活動で、私は14才のときにそれを放り出した。

エホバの証人の活動が全て無駄で、嘘だと気付いたのは20才を過ぎてから。洗脳が解けたとき。かつて苦しい辛い思いをして14年も取り組んだ全てのことが無駄だった。そう知ったときの絶望たるや計り知れない。放心状態になる。

親の強制ではあったが、長期間、唯一継続してきたエホバの証人活動。その全てがただの人生の浪費だった。これが原因で、続けるということへの熱意が失われてしまった。私が、何ごとも粘り強く続けられないのは、エホバの証人2世だったから。

しかし、最近私が思うことは、人間はどこからでも変われるということ。小さな成功体験をすることがその一歩。自分で考えて、選んだことをやってみる。途中で諦めずにゴールまで、もしくは成果が出るまで続ける。

これは本当に些細なことで良い。子どもの頃に出来なかった継続して成功する、やり遂げるという経験をするため。さらに、その小さな成功体験を繰り返し、徐々に目標を拡大していく。

ありふれた表現だが、小さなことからコツコツとが、元エホバの証人として人生を迷う人に似合う言葉だ。人生はいつでも今この瞬間からやり直せる。

平成の終わりを生きる元エホバの証人2世

私は生まれながらのエホバの証人被害者だった。両親がものみの塔協会によって念入りに洗脳された、いわゆる2世信者。

14才の秋に自分の意志でエホバの証人を辞めるも、洗脳が解けるのは20歳を過ぎてから。それまではハルマゲドンという、ものみの塔協会の終末の預言を怖れる日々。

洗脳から解放された後は、反ものみの塔的生き方をしなければならないという思いに囚われる。これは、逆説的にものみの塔協会にマインドコントロールされているようなもの。

パチンコで喰っていくんだと、私は二十代半ばで会社を辞めた。これには、エホバの証人らしくない生き方をしなければならないという強迫観念が強く影響している。私が生まれつきのエホバの証人二世だった反動。

エホバの証人をやめたからには反エホバ的生き方が必須だと私は思い込んでいた。エホバの証人らしい=真面目、真面目=会社員、パチプロのプータローなら、最もエホバの証人らしくないという短絡的発想。

結局、このパチプロ生活は長く続かず、破綻する。喰うに困る前に、私は非正規雇用で働き始める。これだと、まさにエホバの証人っぽくなってしまう。エホバの証人はだいたい非正規雇用で働き、残りの時間をものみの塔協会の活動時間に充てる。

とはいえ、喰っていくためには仕方がなかった。今さら正規雇用の働き口が簡単に見つかるはずがない。私は就職氷河期真っただ中に、短大卒ながら割と安定した会社に就職していた。しかし、反ものみの塔的生き方を実践するために、安定や普通、真面目というイメージのある会社員を辞める決断をした。

私は、組織に対する忠実さ、妄信から来る組織崇拝こそがエホバの証人の根幹であると無意識に感じていた。これが自分の中にあることを否定するために、組織、会社を辞め、一匹狼としてパチプロになるという選択をしたのだった。

これが完全に裏目に出て、傍目にはいかにもエホバの証人っぽい非正規雇用という立場に転落。フルタイムの正社員として働き、出世競争するだけで十二分にエホバの証人らしくなかったのだが。皮肉な話。

組織人の中にも、個を貫く生き方をする人はいるし、パチプロのプータローの中にも病的なレベルで群れる性質を持つ人々がいる。ステータスで人間をラベリングすることなど本来は出来ない。

非エホバ的生き方の象徴として、私はあえて正社員雇用を辞めパチプロの道へ転向。そして挫折、非正規雇用の立場へ転落。そして、そのまま非正規雇用を10年程度続ける。

非正規で働くなんてエホバの証人らしさ、そのものなのだが、この頃は長引く平成不況の出口頃で、非正規雇用労働者が増加中。3人に1人が非正規という時代だった。非正規雇用で働くということは、もはや特にエホバの証人に限った話ではなく、私の変に高いプライドが損なわれることも、さほど無かった。

そして、ただ時が過ぎていく。貧乏暇なしとはよく言ったもので、ただただ忙しく日々を過ごしている間に、私は30才を超える。

30年目のエホバというトラウマからの解放

私はこのパチプロ挑戦という失敗を後悔していない。逆に、あの時にチャレンジしていなかったら、後悔が残った。やってみなければ分からない。失敗してもいい。これがエホバの証人にはない考え方。

堅苦しい教義に縛られ、あれもダメ、これもダメ、これもやってはいけない。というのがエホバの証人。何でもやってみて、試してみて、失敗してもそれを教訓にして次に活かす。馬鹿みたいなパチプロ挑戦は、授業料は高くついたのだが、これはこれで良かった。

結果的に、私はようやくエホバの証人っぽくない生き方を始められたのだった。生まれながらのエホバの証人として、過酷な幼少期を過ごし、ものみの塔協会の深い洗脳に侵され、30年目のことだった。

組織崇拝、ものみの塔崇拝はエホバの証人の罪であり、根幹なのだが、その原因は洗脳にある。その洗脳は信者たちの思考停止状態から始まる。私の問題もここにあった。

私のトラウマとなっていた、エホバの証人的思考状態。かくあらねばならない。ものごとは筋書き通りに進めなければならない。こういった思考状態からの解放。

誰かに言われたことや定石ではなく、自分で考えに考え抜いて、動き出す。そして失敗しても諦めずに試行錯誤を繰り返す。私はこうして新たな道を歩き始めた。

周囲からエホバの証人が消えることで健全な思考状態へ

30才代前半の頃。私は、自分がかつてエホバの証人2世だったという過去を隠していた。ひた隠しにするというよりは、積極的に話して周る趣旨のものではないので、ただ黙っていただけ。

元エホバの証人という過去は隠したいし、人生の汚点であることは間違いなかった。ものみの塔協会は憎いし、根絶すべきものだとは考えていた。しかし、この頃には、どうでも良くなっていた。

ものみの塔協会のせいで家族は崩壊したのだが、その過程で両親ともに無事にエホバの証人をやめた。これで、「エホバ、エホバ」と馬鹿の一つ覚えのようにつぶやく奴が周囲から消滅。これも、ものみの塔協会のことを考えなくて済むようになった原因の一つ。

エホバの証人のことを考えてイライラするタイミングが無くなった。学生時代の友人や職場の同僚と酒を飲んだり、休みには一人で旅行に行ったり、そういったことに時間を費やすことを優先していた。

元エホバの証人家族の回復

家族を置いて出奔していた父と再会したのもこの頃。父は、かつてエホバの証人の会衆の長老という立場にあった。長老とは、ものみの塔協会の中間管理職的立場にあり、100人程度の信者を束ねる立場。新たに信者を増やし、カルト被害者を増やした罪は大きい。

また、親子三人家族の父親という家族の中心の立場にありながら、エホバの証人という間違った方向へ家族三人邁進してしまったこと。こんな事柄に罪悪感を抱きながら、父は日々を送っていた。

それでも父は、また新しい家族を築き人生をやり直している最中だった。父にとっては、時の経過が贖罪となっていた。時効とは法的に適用されるだけでなく、精神にも適用されるべきものなのだ

一方、母親の方はエホバの証人を辞めることで、一人息子の私にすり寄ってきた。何かに依存するのなら、カルトよりは息子の方が何千倍もマシ。私が結婚するまで、母とは同居を続けた。

私が、エホバの証人をやめて20年、洗脳が解けて10年と少し。この頃には、長い時の経過が、私と私の家族の抱える元エホバの証人という傷を癒しつつあった。

元エホバの証人の人生の迂回

私は生まれながらのエホバの証人2世で、中学2年14才の秋に自分の意志でエホバの証人をやめた。2世とはカルト被害者2世代目のこと。わが家の場合は、両親ともにエホバの証人だったために、私も当然のごとくエホバの証人として育てられた。

ものみの塔協会は信者の恐怖心を煽り洗脳する。ハルマゲドンというこの世の終わりを神エホバがもたらす。その最終戦争を生き残れるのは、ものみの塔協会の教理に忠実で善良なエホバの証人だけ。

私も漏れなくこの恐怖心に支配されていた。物心つく前から、両親やエホバの証人組織に繰り返し、繰り返し、この教義を教え込まれる。この状態で洗脳されない方法があるというのだろうか?

このマインドコントロールが解けたのは20才を過ぎてから。インターネットで、ものみの塔協会の不義を知り、それまでの疑問点や不信点が全てつながる。ものみの塔協会は嘘つきのカルトであると。

その後は、前半生を取り戻すべく、反エホバ的生き方にいそしむ。無軌道、無鉄砲な生活。だが、それはエホバの証人否定を自分に強制するという、逆マインドコントロールだった。私の自由意志ではなかった。

私は30代後半になり、元エホバの証人2世という傷がだいぶ癒えてくる。どうでも良くなってきたということ。それまでは、駅前など街頭に立っているエホバの証人を見て不快感を覚えていたのだが、今では憐れむ心がほとんど。時の経過は大きい。

私は30代半ばで結婚し、妻子を持つ。結果、反エホバ的な無茶苦茶な生活は辞めざるを得なかった。そして今に至る。

私は非ものみの塔的生き方をしなければならないと思い込み、あえて無軌道な生活をしていた。しかし、これも結局はものみの塔的な決めつけ形の二者択一思考がもたらしたものだということに気付く。

エホバという傷を癒す

現在の私は、ものみの塔協会の洗脳から自由になった。王国会館や街頭に立つエホバの証人を見て、ゾッとしたり吐き気を覚えたりしなくなった。そして、もう一度このカルトに戦いを挑もうと決意できたのがその証拠。

この進展は、現在の妻と出会ったことも原因の一つ。14才でエホバの証人をやめて以来、自分がエホバの証人だったことを他人に打ち明けたことは一度もなかった。妻が初めてだった。

妻と結婚する前、付き合い始めの段階で、正直に自身の抱える過去について話した。他人と傷を共有することで、自分の傷が癒える。この時に自分の傷の治癒を体験をした。

私はこんなにも傷ついていると、さらけ出す必要もないのだが、いつまでも内向きに独りで傷を隠していても仕方がない。

私は、エホバの証人を辞めて以来、徹底的にものみの塔関連のものを避けた。元エホバの証人2世という事実は、人生の恥部そのものだった。この方法だと、ものみの塔協会のことを気にしなくなるまでに相当の時間がかかる。20年もの歳月。

早い段階で元エホバの証人のコミュニティに参加し、他人の傷を知ることが自分の癒しになった可能性がある。元エホバの証人のコミュニティはネット上にあふれている。

元エホバの証人被害者の体験を聞く。読む。共感できることがあれば、自分だけが深い傷を負っている訳ではないと気付ける。前向きに生き直せる可能性が高まる。

市販で流通している元エホバの証人の書いた本を読むのも良い。信者時代の過酷さが自分とは異なるし、その対応と脱退の仕方も異なる。それでも、大いに共感する部分はある。

しかし、注意しなければならないのは、外へ目を向けることも必要だということ。ものみの塔関係の外部へ目を向けること。我々が生きているのは、エホバの証人なんてほんの一粒しかいない広い世界。かつてエホバの証人だったことなど、小さなことと思えるほど、広くて多様な世界。

エホバの証人の子供が思い描く未来

私はエホバの証人の子供だったゆえに、節分の豆まきに参加できず、恥ずかしい思いをした。教室の隅でポツンと一人、楽しそうに豆を投げ合うクラスメイトを眺めている。バレンタインデーに、好きな女の子からチョコレートを貰っても、返却に行かないといけない。(エホバの証人は異教の行事として節分、バレンタイン、その他全て禁止)

そんな子供の頃に思い描いていた未来。「普通」になりたいということ。

私は、30代半ばで結婚し、子供が生まれ家庭を築く。そして、何とか正規雇用として復職する。子どもの頃に思い描いていた、ささやかな未来。エホバの証人ではない普通の人になりたいということ。大きく遠回り、回り道したのだが、ようやく実現した。

そして、現在の私はものみの塔協会を消滅させ、エホバの証人を根絶すべく、このブログを書いている。

王国会館をぶっ壊したり、エホバの証人に罵詈雑言を浴びせて迫害したりという、まるでものみの塔協会のような独善的な活動ではない。あくまで平和裏な活動として。

これがほぼ生まれながらにエホバの証人2世として生まれた私の宿命。暖かだった家族を失ったのは、ものみの塔協会を崩壊させるという宿命のため。同じ被害者を増やさぬために、この世からエホバの証人を根絶する。


“自己紹介” への3件の返信

  1. 友人が50年近く信者です。
    それでも友人関係は保ってきました。 高校時代からですから、エホバより長い交友期間ですが、貴女の信仰はそれで良いとして、私達には無関係と。
    彼女も大概そうしてくれてましたが、最近エホバの聖書を送られ、討議、ディスカッションしようとと。
    入信していた二世も2人、うちひとりは信者ではない人と結婚、上手くいかなくて離婚、排斥されてました。
    心も病み、挙句は飛び降り自殺。。。
    もうひとりは信者同士の結婚でしたが、離婚。
    アルコールの事もあり、現在は排斥。
    ご主人は入信していませんでしたが、縊死。。。
    彼らにとって不思議なのは、自殺は認められていないのに新世界では一緒だと。。。
    彼女も双極性やら統合失調やら色々あって、入院繰り返し、電気療法まで、です。
    本当に我が事のように悔しいのに、関わるなと言われます。
    討議という言葉が好きみたいですね。違う意見は聞く耳持たないくせに、ディスカッション?それは互いに言葉を戦わせるんだよ!と強い言葉で言ってしまいました。
    私を助けたいそうです、、、ついでに私には謙遜の気持ちが無いと。
    ハハ、そりゃあ、そっくりそのまま言葉を返すと言いました。
    許し、中立、悪口を言わない?  
    ごめんなさい。長文になりました。何か策が有ったらご教示ください。今更抜けなくても仕方ないけれど、少しは広く世の中を見てほしいから!

    1. ご友人の失った50年という時の長さと壮絶な人生に唖然としております。
      私のような若輩者に意見できることなどあるのかと途方に暮れています。

      ご友人のエホバの証人ゆえの理不尽さに対して、友情を絶やさないあなた様の姿勢に感銘を受けました。
      ご友人には、少しでも真実に気づいて欲しいものです。

      最近変わって、討議を持ちかけてきたというのが解決の糸口になるかも知れません。
      おかしな話ですが、「助けたい」とご友人が思っているのは本心です。
      こちらこそ「助けたい」と心底思っているのに、本当に悔しいです。

      エホバの証人を50年も続けているのであれば、組織内の黒い人間関係を十分に味わっていて、
      家族も失っているので、ご友人には爽やかな関係を保てる人が
      あなたしかもう残っていないのでしょう。

      そこで、出来ることってなんでしょうか?
      ありきたりですが、エホバの証人以上に彼女に愛を示す。
      既に今されていることとは思いますが。
      エホバの証人の教えはきっぱり拒否するけれど、友人として強く愛する。
      エホバの証人でなくても立派に楽しく生きている姿を見せる。
      これで気づいてくれれば良いのですが、ことはそう簡単ではないですよね・・・。

      あとは強行策になると思うのですが、ご友人の精神状態が不安定なことと、
      友人関係が決定的に損なわれるリスクを考えると現実的ではないです。

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