エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいから

輸血拒否にも使われるエホバの証人の論理トリック「すり替え」

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」

自称キリスト教系の新興宗教であるエホバの証人。日本ではものみの塔聖書冊子協会が中心となり活動している。

エホバの証人の教理の中で、世間と最も軋轢を生むのが「輸血拒否」。輸血を拒否したばかりに、実際に死んだ信者も存在する。親の信仰を押し付けられ、輸血できずに死んだ子どもがいるのは有名な話。

本資料でも軽く触れられているのだが、以下の主張をするエホバの証人、または同調者が存在する。輸血の議論になると、以下3つの「輸血しない方が良い理由」が都合よく持ち出される。

「輸血は安全ではない」

「輸血しない方が予後がいい」

「輸血しない方が医療行為が軽く、医療資源を無駄にしない」

上記のエホバの証人の主張は、問題のすり替えで独善的なもの。その理由を指摘しておく。前提として、

輸血が危険だから、輸血しない方が回復が早いから、医療資源を有効活用するために、エホバの証人は輸血しないわけではない。

こんなことを言い出すエホバの証人がいたら、「問題をすり替えるな」と指摘しよう。エホバの証人が輸血しないのは、上記の理由云々でなく、単に教理上の理由。

エホバの証人の論理テクニック「すり替え」で話をごまかされないようにしたい。この3つの「輸血しない方が良い理由」が無根拠であることは、明日の記事で指摘する。

ものみの塔論理テクニック「ひけらかし」

輸血を禁止しているのは、エホバの証人の人間さま

教理上の理由で輸血しない。教理上の理由で命を粗末にする。これだけでも信じられない。まさにカルト。それだけでなく、実はその教理上の理由もツッコミどころが満載。

聖書に「輸血するな」とは書いていない。エホバの証人の人間さま、指導層である「統治体」が聖書を解釈して、「輸血は禁止ぜよ」と決めたのがその発端。人間サマが決めた教理に命をかけているのがエホバの証人。

輸血禁止の

教義は1945年ころに導入されたようであるが、ちょうどこれは「統治体」の教義が確立された時期と重なっている。おそらく、この教義も純粋に聖書的な理由というよりは、組織のポリシー優先で制定されたもの

唯一の神の組織の証のため、殉教の記録を打ち立てるため、諸教会との対比を鮮明にするため、流血の罪を他宗教に負わせるため・・・デメリットよりもメリットの方が大きいと判断した

エホバの証人の独自性を出したい!目立って信者を増やしたい!現代における殉教者を出したい!それがエホバの証人が輸血禁止に命をかけている理由。

むごい。むごすぎる。


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