「輸血拒否」による生存権の剥奪
エホバの証人という自称キリスト教系新興宗教。日本では宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」が統括的な運営を行っている。
エホバの証人の教理で、一般的な倫理と大きく乖離しているのが「輸血拒否」。
私は、信者の(特に子どもの)自由意志を奪うことが、最もものみの塔がカルトである理由だと考えている。その自由意志剥奪の一環として、輸血拒否による生存権・生存意志の停止がある。
この輸血拒否は、聖書に書いてあることでもなく、キリストの命令でもエホバの証人の神「エホバ」の言いつけでもない。この点の矛盾はエホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいからで触れた。
今日は、この輸血拒否に対するものみの塔側の姿勢・態度について。エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」より。
愛のない偽善的組織に命かけますか?
川崎事件というエホバの証人の子どもが輸血拒否で亡くなった事件がある。この事件に際して、エホバの証人日本支部の対応。下記のように新聞発表している。
輸血は
戒律として課しているのではなく、あくまでも本人の意思を尊重している
おっとっと。手の平180度返し。殉教者に対して冷たいっすねー。戒律やら意志は放っておいて、殉教者褒め称えて、「永遠の命が得られますー」とか言っているほうがまだ内部信者の理解を得られたのでは?
外部に対して体裁を繕ったのだろうが、意味不明な「輸血拒否」教理で死人が出ている時点で、戒律だろうが、意志だろうが、ヤバさは外から見れば同じ。
ものみの塔がいかに外聞を気にし、信者を愛さない組織かが分かる。さらには、詭弁を用いる、いかに偽善的な組織であるか。
「輸血禁止」の教理を規則化したのは神に対する忠誠を第一に考えているからであると宣伝しておきながら、都合が悪くなると、戒律として課しているのではないなどと責任回避をする
確かにどんな規則も最後には、守るかどうかは本人の意思次第ということになるが、それを持ち出すのは詭弁
輸血すりゃ、組織から追い出します。輸血したり、組織の是認が得られなければ、来たる終末で死にますよ。終末を生き残ったら永遠の命というご利益がありますが、輸血したらそれは貰えませんよと。信者に言い聞かせてマインドコントロールしている。
それを本人の意思だと。「永遠の命ゲット-!」と妄信している段階で信者に自分の意思も正常な判断能力も無い。ものみの塔のマインドコントロール化にある。信者をアメとムチで縛ったあげく、信者の意志を尊重していますと。何たる偽善。
信者の意志を尊重するというのは、「今を生きたい」と願って輸血した信者をも認めること。輸血信者を許せば、かつての殉教者の立場はない。ゆえに、輸血拒否信者を認めることのできないものみの塔は、信者の意思など尊重していない。
エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいからの記事で書いたが、輸血拒否の教理は聖書由来ではない。ものみの塔が決めたコト。人間の作った組織が決めた教理。
その教理に命をかけるにしても、その教理を作った組織が、前述のとおりの詭弁の偽善的組織、さらには世間体を気にして信者を愛さない組織。つまり、カルト宗教ど真ん中。
このカルトに、輸血拒否して命かけますか?
“エホバの証人、愛のない偽善的組織に命かけますか?カルト宗教に命かけますか?” への1件の返信