エホバの証人をやめることの恐怖
『エビのしっぽ』から。「恐れとの対面(2008/7/5)」より。
被害が大したことではないのに、それですべてを失うかのように過剰に反応する
これが恐れている人の特徴。恐れゆえに一歩を踏み出せない。
「エホバの証人って何かおかしい」、そう違和感を覚えつつもエホバの証人をやめられない人。彼らも恐れている。エホバの証人をやめて
支払った多額の代償を回収できないことを。
行動を変えることを。
今さら「普通」に戻ることを。
「世間」を。
エホバの証人の不良債権
エホバの証人をやめることに被害なんか無い。利益しかない。そのままエホバの証人を続けても、楽園とか永遠の命とかは全部デタラメなので。
エホバの証人として支払ったコストは、回収不能の不良債権。あきらめて放棄するしかない。放棄するもなにも元から存在しない幻想。
エホバの証人を続けて、人生を完璧に損なったあげく、家族に嫌われて死んでいくことを恐怖した方が良い。
どこからでも、いつからでも人生はやり直せる。エホバの証人をやめれば、自分の手に人生を取り戻すことができる。
その人生がどれだけ腐ったものでも、仕方がない。自分が招いたこと。後悔すれば良い。後悔こそが人生。そこからやり直せばいい。
死ぬ直前でも良い。「エホバの証人をやって迷惑をかけた」と家族に詫びろ。死んだ後に「復活して楽園ガ~」とかあり得ませんから。家族に嫌われたまま、無に帰する恐怖に震えろ。
無価値、エホバの証人の友人
実は、エホバの証人をやめて失うものなんて何もない。元々何も得られていないのだから。教団内の友人関係?
エホバの証人の友情は、あなたがエホバの証人であればという条件付きの限定友情。あなたという個人に向けられた友情ではない。無いに等しい。エホバの証人になったふりをすれば誰でも得られる、程度の低いモノ。無価値。
どうしても残したい友人が組織内にいる。ならば試してみればいい。彼、彼女がエホバの証人でなくなった自分にどういう態度を示すか。あなたがエホバの証人でなくなって、終了するようならそのレベル。さようなら。
あなたがエホバの証人でなくなっても、友情を示すのならホンモノ。その友情にこたえ、友の人生を無駄に終わらせないよう、エホバの証人をやめるよう諭すべき。
ここまで激しくエホバの証人をやめなくても、徐々に撤退する手もある。そうすればエホバの証人組織内の(見せかけの)友人関係を一気に失わずに済む。
人に絡めとられて、自分の人生を損なうって、それで良いの?あなたの一生。
一歩踏み出すことの恐怖 < 人生全て無駄の恐怖
行動を変えるには多大なエネルギーが要る。エホバの証人以外の世界を知らなすぎる。それが恐怖になっている。しかし、自分の人生を完全な無駄遣いに終わらせる恐怖。これに勝る恐怖は無い。
物事なんていざやってみれば、たいしたことないことの方が多い。
恐ろしい幽霊は、よくよく見ると柳であることも多い
このままエホバの証人を続けて、すべてが無に帰し、自分の人生すべてが無駄に終わる。現役エホバの証人は、その恐怖に震え、エホバの証人をやめる一歩を今踏み出すべき。
“現役エホバの証人、恐怖に震えろ。人生すべて無駄遣い” への2件の返信