恐怖によるマインド・コントロール
『エビのしっぽ』より。
人為的に生み出される恐怖には、多くの場合、理由があるということ。たとえば恐怖を経済的に利用する犯罪集団がいます。これは暴力などの脅しによる恐怖で個人をコントロールしようとする意図のもとなされるのです。オカルト宗教の類もそうです。地獄やハルマゲドン、神からの罰などの恐怖のキーワードでコントロールしようとします
このオカルト宗教に、ズバリ「エホバの証人」も当てはまる。
地獄ってのはエホバの証人の教理にはないけれど、「人間がいずれ永遠の命をゲットします」とほざいている時点で、地獄での永遠の責め苦=永遠の命の裏返し。言っていることは同じトンデモ系。
肉食動物でさえ草をはむようになる、いびつなエホバの証人の楽園。人間は殺生しなくて、野菜と果実だけで生きていける完全な体に生まれ変わる。そして、永遠の命。
自然だらけエホバの証人だらけの楽園。オレにとっちゃ、それこそ地獄よ。つまらないエホバの証人たちに囲まれての永遠。許して~。快楽にまみれ、ステーキ喰って生きていたいです。
話がだいぶ逸れたが、エホバの証人も、恐怖で信者をコントロールしているオカルト宗教の類。
これってマインド・コントロールとは違うのか?この本の著者はエホバの証人のマインド・コントロール否定派であるのだが。
ハルマゲドンの恐怖で縛り付け、思考を停止。エホバの証人活動を通常生活の妨げになるほどに行わせる。一般社会との激しい隔絶を余儀なくさせるほどに。
恐怖で縛り付け、思考・行動を本人の本来望まない方向に操作する。これがマインド・コントロールであるのなら、エホバの証人こそマインド・コントロールされていると言える。
エホバの証人、王国会館での集会再開のお知らせ、集会に行くのはなんのため?
エホバの証人の恐怖を克服する方法
恐怖から逃れる方法が、この本には書かれている。
恐怖を感じる人は、恐怖を感じても確認をしません。しかし、本当は逆のことをしないといけない。恐怖を感じた瞬間によく見てみること、もしくは恐怖を感じる対象の情報を正確なものにする行動が必要です。恐ろしい幽霊は、よくよく見ると柳であることも多い
エホバの証人はハルマゲドンと向き合う必要がある。考えてくれ。死ねば無なら、なにも怖くない。死んでゼロならなんの問題も無い。それよりも、人生のすべてをものみの塔に搾取されたまま死んでいく、圧倒的無意味に人生を終わらせることのほうが圧倒的に恐怖。
「ハルマゲドン、サタン、悪霊、怖い~」でなく、その恐怖の理由を調べる、疑う。サタン、サタン、怖がっているけど、目に見えない悪霊と聖霊の違いなんて誰に分かるの?
エホバの証人がありがたがっている聖霊が悪霊でないと、どうして言い切れる?エホバの証人の言いなりになって、世界はサタンに満ちていると毛嫌いするより、エホバの証人が悪霊に汚染させている可能性をなぜ疑わない?
エホバの証人は喜んで王国会館に通っているけれど、あそこは悪霊の巣窟ですよ。心身を害する人が多数いるのがその証拠。
泣き叫ぶ子どもをムチで打ち叩き、児童性虐待の温床になり、輸血拒否で命を捨てさせる場所。それがエホバの証人の王国会館。
サタン、サタンと恐怖する前に、エホバが悪霊である可能性を疑い、恐怖すべき。エホバの証人は、自ら悪霊に憑かれようと王国会館に向かっている。
エホバの証人は前提でつまづき、本質を見失っている。そのつまづきの原因が、「ハルマゲドン~」と、恐怖心を煽られたこと。