確信が正され続けてきたエホバの証人、ものみの塔万馬券を妄信

無根拠で突き進み、人生を失うエホバの証人

元エホバの証人2世の骨太論考集『エビのしっぽ』より。Kindle Unlimited会員なら無料で読める。

エホバの証人は、ものみの塔協会の宗教本に

書いてあるからと確信するに足る根拠を得るための手順を省略する

これはエホバの証人に限った話でなく、人間全般にあてはまる。筆者もそれには好ましい面もあると述べている。生活手順の合理化、人間関係の円滑化を図れる。

例えば、子供が親に言われること。「手を洗え」「食器を片付けろ」その根拠をいちいち考えていたら、日が暮れちゃう。

地域のルール、交通ルール、家族のルールなども同じ。初めて渡る交差点を見るたびに「ここは何で二段階右折しないといけないのだろう、制限速度40kmの根拠は?」とやっていたら、どこにもいけない。

親戚の家に泊まって、「車はここに停めて、コートはここにかけて」と言われる都度、その理由を問いただしていれば、二度と家に呼ばれなくなる。

一旦は根拠を考えず、無根拠でも従った方が良いケースが多々。些細なこと、その場限りのこと、そのようなどうでもいいことは年長者、権威者、その道の達人の言いなりになっておけばいい。顔を立てるということ。

しかし、その指示が自分にとって影響が大きな場合。その場合は根拠を精査する必要がある。多額の出費がある、長時間を要する、仕事の調整が必要、家族を巻き込むなど人生に関わる課題の場合。

他には些細なことだけど、毎日することも要注意。習慣になってしまうと疑いもしないが、実は不合理だった非効率だったり。その動作そのものが不要だったり。

ものみの塔発行の「日々の聖句」を毎日読むなんてのは、積もり積もった膨大な時間を無駄にするだけでなく、習慣になるとその行為に疑いがなくなる。さらには中身に対しても。聖句にまつわるものみの塔仕様の独自解釈を毎日読むことで、念入りに思考がものみの塔化される。

現役エホバの証人、恐怖に震えろ~人生すべて無駄遣い

確信していたはずの内容が、適時正されるものみの塔の宗教本

人生に多大な影響を及ぼすことなのに、根拠の精査をおざなりにして、「ものみの塔協会の出版物に書いてあることは絶対に正しいと確信を持てます」と言っちゃうのがエホバの証人。

しかも根拠薄弱なのに「確信すべき根拠がある」と自分や他人に言い訳をする。根拠不明の合理化。

妄信。ものみの塔を妄信しているだけでなく、自身のものみの塔に対するフルベットをも妄信。万馬券狙いで全財産を大穴に突っ込んじゃうのと同じ。冷静な周囲は何やってんだろ?状態なのに、本人だけはその馬が来ると信じて疑わない。

しかも、確信できます!って言っちゃってるのが、この世で一番信頼しちゃいけないカルト本。

ものみの塔は預言を一度も当てていないので、過去の内容はひっそりと改訂、過去の宗教本は役立たずになる。下線引きまくって、大事大事と勉強したのが全て水の泡。

それに対してエホバの証人の反論は、「神は人間の組織を用いているので間違いはある。しかし、その都度正されて正しい方向へ・・・・」

ん?ものみの塔の出版物に書いてあることは「絶対に正しいと確信」してたんじゃなかったっけ?


Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.