絶対当たらないのが予言、結構当たるのが予測
元エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』。Kindle Unlimitedなら無料。
我々は確かに預言などを信じやすいんですけど、修正能力も持っている
この我々というのは人類全般。程度の差こそあれ、人間は太古から予言などを信じやすいようにプログラミングされている。なぜなら、先を予測しないと危険を回避できないから。
天気予報がなければ、傘が無くてずぶ濡れになる。草やぶのような暗がりには危険な生物が潜んでいるのを想像して、原始時代から人間は闇を恐れてきた。年長者の伝承や助言に従うのも、先人の知恵に学び、行く末を案じて生き延びるため。
そんな未来予測全般を無視して、行き当たりばったり好き放題に生きていれば、人類は早晩全滅していただろう。
しかし、たった一度の成功体験から原因と結果の因果関係を決めつけて、当たりもしない験を担いだり、それを他人に押しつけたりというのも人間の性。
そして、この予測という人間の習性に付け込んで悪さをするのが数多の偽予言者。予測の謙虚さや不確実性を排除し、絶対当たりますと言い切るのが予言。
絶対当たるなんてことはあり得ない。先のことは誰にも分からないし、不確実な要素が多すぎる。
ズバリ言うと、不確実性を全部排除して当たると言い切る以上、当たらないのが予言。当たるはずがない。当たるか当たらないかは分からない前提を認めた上で、当たる可能性が高いのが予測。
ハズれた結果を鑑みて修正、さらに当たりやすくなっていくのが予測。初めっから絶対当たるの一点張りで、結果を一切顧みない、ハズれたときにはすべてを失い、時すでに遅しというのが予言。
つまり、絶対当たらないのが予言、結構当たるのが予測。
「予言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔
エホバの証人の全幅の妄信
当たらない
預言とかに対抗できる我々の態度
として
多様な価値観を許容し、それを比較できるかどうか。
預言とかスピリチュアルとか一時的にいかがわしいものにはまっても、それを修正できるか。
自分は騙されないなんて思わないで、騙される可能性は常にある。でも騙されてもそれを訂正したり捨て去ったりすることはいつでもしたい
自分の見方をいつも根底から見直す、あるいは見直すきっかけを作ってくれる多様な価値観と絶えず接触しようとする
これをできないのがエホバの証人。自分の賭けたものみの塔という万馬券に全幅の信頼を置いているから。全幅の妄信。自分は騙されていないと思い込んでいる。騙されているとは思いたくない。完全に騙されているんだけど。
ハルマゲドンとか、この世の終わりを「予言」しちゃっている時点でアウト。当たらないのが「予言」だから。つまり、ものみの塔は偽予言者。
“絶対当たらないのが予言、ときどき当たるのが予測~予言するものみの塔はニセモノ” への1件の返信