誰にも頼れないエホバの証人2世
私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときにエホバの証人を脱会。それ以来、エホバの証人に関する事項の思考・判断・行動はずっと一人。
エホバの証人脱会時も、親との決別を覚悟の上、脱会宣言。その際、誰にも何の相談もしなかった。自分一人で考え、自分一人で決めた。
これは今でも頼もしく、当時中学二年生の自分を誇らしく思うのだが、相談できる親戚の一人や二人はいたような気もする。ただ、誰も信頼できない精神状態だった。誰も信頼できないというのは悲しい。自ら世界を拒絶、閉ざしている。
学校の友人に相談したって何の役にも立たない。生活費出して養ってくれる訳じゃないだろと。しかし、そうじゃない。「お前も辛いんだな」「そんなややこしい家庭環境にいたって、お前とは友達だせ」そう言って貰えるだけで十分助けになった。
しかし、当時の自分はエホバの証人という自身の弱みに注目するあまり、一切の弱みを外に出せない、完璧で強くなければ生きていけないと思い込んでいた。だから、非信者の親戚にも学校の先生にも友達にも、誰に対しても頼るどころかひと言の相談すらできなかった。
親戚や学校の教師から、脱会意志が親に漏れないともいえない。それは避けたかった。でないと親に先回りされて、エホバの証人を完全にやめるかやめないかという白黒選択を曖昧にされた恐れがあった。迅速に完全にエホバの証人をやめるという計画を、曖昧かつ緩やかなものにされるのは避けたかった。
完全にエホバの証人を生活から退けられたのは、一人で極秘裏に単独潜航、いざ宣言したら「急速にエホバの証人全般を切り捨てる」という計画が功を奏したから。
脱会時に下手に周囲に相談しなかったのは、それはそれで良かった可能性もある。
エホバというカルトの毒を癒す場
脱会以降もエホバ関係者を周囲に近づけないように、厳戒態勢を敷いた。そして自分の口からもエホバというワードを決して出さないように。そのまま20年。ただ一人、心中に巣食うカルトの毒と無意識化で戦い続けた。
この間、激しく遠回りした気もするし、長い時間がエホバという傷を癒したとも言える。
20年、エホバの証人を完全遮断することで、ようやくカルトの毒に冒された自分自身とものみの塔というカルト組織を客観視できるようになりつつある。その上で、ものみの塔聖書冊子協会を放置できないという決断に至る。
これら全て、一人で考え、一人で決めたこと。おおむね迷いはなし、後悔もない。ただ、
「あなたはここでは特別ではない」「もう一人じゃない」と言ってくれる同じ体験者が近くにいても良かったのかと思う。回復が早かったのでないかとも考えられる。
いずれにせよ過去には戻れない。未来をどうするか。
自分が得られなかった共感の場、それを用意するのもエホバの証人というカルトの地獄から生還した者に出来ることなのかも知れないと考え始めている。