都合の悪い事実を見て見ぬふりをするエホバの証人
『マインド・コントロール 増補改訂版』「第二章 マインド・コントロールは、なぜ可能なのか」
カルトに陥った人やマインド・コントロールの被害に遭った人は、さまざまな理不尽さや矛盾を味わう。しかし、それを見て見ぬふりをする。理不尽さや矛盾と向き合い、グルが特別な聖者だという前提を疑ったり、霊的能力をもつと信じる占い師が、手の込んだ詐欺師だと気づいてしまうことは、自分自身の存在の支えを危うくすることだから
エホバの証人にとって、ものみの塔が偽予言者だという事実を認めることや、統治体の存在証明を疑うことは、自分の存在そのものを揺るがすことのように感じられる。エホバの証人の信者たちは、自身を教団組織と一体化させてしまっているから。
だから、教団内でどれだけ理不尽な目に遭っても、どれだけ不合理な指示があろうと、人生が大きく損なわれる事態が発生しても、まるでそれが良いできごとだったかのように、現実をねじ曲げて受けとめる。
どんな危機が待っていようと・・・
都合の良い事実だけを見て、グルや占い師を盲信し続けるしかない状況に陥っている
現役エホバの証人がまさにこれ。都合の悪い真実から目をそらし、ものみの塔を盲信し続けようとする。盲信し続けるしかない状況に陥っている。
いや、エホバの証人なんかやめたほうが生きやすくて、人生が好転するのだが、そんな発想の飛躍ができるほど、脳みそに柔軟さは残していない。
自分が信じたグルが、偽物だということを受け入れることの困難さは、カルトや反社会的集団からの離脱を難しくする要因にもなっているし、そこから脱した後、一時的な危機がやってくる原因でもある
統治体やものみの塔が偽物だということを受け入れると、自分がなんら特別でなく、むしろ愚かで今までの人生すべてムダにしたということになる。だから、反社会的なエホバの証人をやめられない。そして、やめると一時的な危機がやってくる。
哀れなのだが、エホバの証人をやめてもらうしかない。エホバの証人は布教することを存在理由としている。そのため、信者を続ける限り布教して情弱者を騙そうとする。これほど有害なものはない。
だから、彼らがどんなに哀れであっても、どんなに危機を迎えようとエホバの証人をやめて貰うしかない。存在が有害であり、危機そのものなんだから仕方ない。