『エビのしっぽ』エホバの証人2世の論考集~オレにゃ正義感がない

『エビのしっぽ』

エホバの証人2世のブログ本という程度の前提知識で読み始めた本。AmazonのKindle Unlimitedだと無料だったので。

『エビのしっぽ』

タイトル『エビのしっぽ』からして、柔らかい雑記集なものかと思いきや、ゴリゴリの論考集。そして長い。読みごたえは抜群。電子書籍で読んだので、本の厚さは不明なのだが、そこそこの厚さはあるのではないだろうか。

著者は、エホバの証人を「洗脳」とか「マインド・コントロール」と安易にくくることに否定的で、エホバの証人をシステムとして相対的に捉えることが必要だと何度も説いている。

私みたいに、私怨でものみの塔討伐運動をしている人間からすると、ものみの塔を「相対的」に見ることなど出来ない。ものみの塔は私にとって「絶対悪」であり憎むべきモノ。完全悪。この世に存在してはいけないもの。

前半を読み進めている間、著者のものみの塔に対する冷静さが私と相容れないと感じる点が多々。著者がものみの塔=マインド・コントロール否定派である点にも向かい風を感じつつ、なんだかなと読み進める。

著者の他人事感がぬぐえない。私の私怨、恨みのエネルギーに対して違和感多。

ニューヨークまで行っちゃった・・・

後半部分に入って、著者が自分のことを振り返り始めて、印象が裏返る。「エホバの証人をやめるにゃいい日」あたりか。

著者は組織内上層部に抵抗し排斥になるのだが、エホバの証人組織ならではの常で、このパターンは下の立場、追い出された方が客観的に見て正。(通常、一方の意見だけで判断できないが、いずれにせよ、ものみの塔側は無回答を貫くし、ものみの塔=悪であるのは間違いないので、排斥者は私の中で「正」確定)

著者は会衆内の他の信者の立場を守るために行動を開始しており、このように正義感のある人物がエホバの証人組織に馴染むのは難しい。

エホバの証人組織は組織至上主義、個人の幸福など二の次。個は切り捨てられる。個に寄り添おうとすれば、正義が個にあろうとも必ず組織と軋轢を生む。

著者はその正しい立場を立証、弁護してもらうためにエホバの証人の世界本部のあるニューヨークまで行っている。まるで、北海道広島会衆の『事件簿』

ここまでやっておいて、何であんなにも、ものみの塔やエホバの証人を客観視できるのかとも思うのだが、通り過ぎて一周したのか、もともとの著者の性格なのか。著者が脱会後に心理学を学んだことが大きいのか。

若さと同義の正義感

著者は聖書を何周も読むほど熱心に「聖書」研究しており、バプテスマという正式にエホバの証人になる儀式まで受けている。成人後にもエホバの証人を続けており、その割には、若さと同義とも言える正義感から排斥になっている。

私は、夏休みなどに親に聖書を全部読めと言われて「嫌なこった~」と飛ばし読みしていた。読んだふりで、読了した章を可視化する表に色を塗っていた。途中明らかに退屈な部分もあるし、新世界訳の冗長翻訳のせいに違いないということにしておく。

また、私はバプテスマなんて受けるつもりすらなく、成人する前にエホバの証人を辞める決意もしている。この時点で親も捨てるつもりだったし、エホバの証人会衆内の奴らなんぞ大嫌いだった。

私の方は、正義感はなく、自己中心的(自分を守るのに精いっぱいだったということにしておく)。こういった違いが著者と相容れない点なのだろう。

エホバの証人の解放の延長がものみの塔の倒壊

私の目的はものみの塔の崩壊であり、エホバの証人の救済ではない。後者は手段であり、前者が目的。そして、明らかな私怨。義憤とかではないのだな。掲げる看板・結果の延長として「ものみの塔の終焉こそが社会のあるべき姿」とはしているが。

著者の目的は、エホバの証人個々人の本来の救済。その上でものみの塔というシステムが残るも変化するも関係ないという具合だろうか。

助けを求めてきた信者個々人の救済のためには、エホバの証人の精神態度の客観視が欠かせない。マインドコントロールという安易なくくりではそれは叶わない。それが著者のものみの塔=マインドコントロール・洗脳の行使者否定論に至る道筋かと。

とはいえ、エホバの証人個々人の救済・解放が拡大すれば、ものみの塔という組織体の崩壊につながる。信者一人一人の解放とものみの塔崩壊は表裏一体。この本で詳しく勉強させて頂き、実践の段階へと進みたい。


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