エホバの証人と同性愛、1995年の転換点以降~21世紀まで

同性愛者に対する、エホバの証人組織の態度の軟化

エホバの証人組織の同性愛に対する見解の変遷。昨日までの記事で、1970年~1995年までを振り返った。1995年に転換点があることが分かった。さらに、少し時代を進めて、「目ざめよ!」1997年12月8日号から。

クリスチャンは,必要とされる霊的な支援をいつでも喜んで差し伸べます。同性愛の傾向とまだ闘っている人たちに対してさえそうします

ついに支援が始まった。

そして、21世紀になってからの記事、ここからは教団の主張の主旨はほとんど変わっていないので、順不同。

「目ざめよ!」2016年 No.4より引用。

聖書は同性愛行為を非としているものの,同性愛者に対する偏見,ヘイトクライム(憎悪犯罪),不当な扱いを勧めていません。

同性愛行為を退けることと,同性愛者を退けることとは違う

行為はNGだが、同性愛的指向を持った人はNGとはしないと読める。同性愛者を偏見・ヘイトしないという好ましい態度にも読める。過去に散々、偏見文書を撒き散らしておいて、今さらという気もするが。

ものみの塔は緋色の野獣に股を開く娼婦

エホバの証人組織の、同性愛者に対する根深い偏見

「目ざめよ!」2007年2月号より。

聖書が同性愛行為を非としていることを理解するのは重要です。同性愛的な欲望と闘っている人には,達成可能な目標があります。そうした欲望のままに行動しないということ
同性愛的な欲望はとても根深いものかもしれません。しかし,間違った根深い欲望であっても,克服できないことはありません。

ここも行為は非だが、欲望と闘えばいいし、克服しろと。しかし、「間違った根深い欲望」と書いている。これは偏見だろう。間違っているのは個人の性的指向を間違っていると断じるものみの塔側だろう。

さらに、日本支部に電話で聞いてみた。

「現役エホバの証人でゲイだと言っている人がいるが、この人がホンモノのエホバの証人である可能性はあるのか」と。回答は、どうやらホンモノでもおかしくないらしい。自分のもつ同性愛的指向と戦い続ける現役信者が、正式な信者であってもおかしくないらしい。

やっぱこれ、屁理屈だよね。

同性愛者に対する偏見を持たないと言いつつ、行為は許さない、持って生まれた性的指向と戦い続けろってのは、偏見そのものではないか。ありのままで良いんだよ、というのが偏見しないということ。

1997年以降のエホバの証人組織の同性愛に対する見解

  • 同性愛者に対して、一部差別的
    (直接的な差別発言はないが、性的指向を間違っているとしている)
  • 同性愛者は、行為を避ければ神の是認あり

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