エホバの証人(JW)と同性愛、転換点となった1995年

1980年代のエホバの証人の同性愛者に対する見解

エホバの証人と同性愛者の関係。昨日の記事では1970年代のエホバの証人組織の同性愛者に対する見解を調べた。

時を進めて、「目ざめよ!」1984年2月22日号。私が生まれて、雨の日も風の日も、真夏の酷暑の日も大雪の日も、エホバの証人の布教活動に連行されていた頃。

記事のタイトルが『同性愛という流行病』、既に病気扱いしている。

他の汚れた欲情や有害な欲望と同様,同性愛的な傾向は抑えることができます。それは,克服し,古い人格の一部としてぬぎ捨てることができる

病気なので治せるという書き方をしている。

1980年時点のエホバの証人組織の同性愛に対する見解

  • 同性愛者に対して差別的
  • 同性愛者は、異性愛者への転換が可能

基本的には1970年代と変化なし。

エホバの証人(JW)の禁止事項まとめ~過酷なJW2世の子供の学校生活

1990年代のエホバの証人の同性愛者に対する見解、転換点

さらに時を進めて「目ざめよ!」1995年2月22日号。私がエホバの証人を脱会した頃の記事。

一方,同性愛は,身体的,感情的,霊的な健康に害となる
同性愛者の性関係は多くの場合,陰惨で,暴力的で,紛れもなくサディスト的です

これまたひどい偏見に満ちている。

同性愛者は,自分たちが「精神的な暗闇にあり,神に属する命から疎外されてい(る)」ことに気づきます

同性愛行為の有無は関係なく、「同性愛者は」となっている。同性愛者はその性的指向を変えない限り、救われない設定であるという書き方。

1995年2月時点のエホバの証人組織の同性愛に対する見解

  • 同性愛者に対して差別的
  • 同性愛者は神の是認なし

ここまでは1970年代から基本的に変化していないように見える。

この1カ月後の記事
「目ざめよ!」1995年3月22日号から。

同性愛行為を避けることはできても,同性愛的な欲望をすっかり取り除くのは難しいと気づく若者もいるかもしれません

わざわさ下線を引いてまで、行為と欲望を分け始めている。この辺りから方針が変わりはじめる。

聖書原理主義者が時代に迎合しはじめる。信者を囲うのに必死だったのだろうか。

間違った感情がなかなか消えないとしても,あまりがっかりしないでください。神は,あなたの気持ちを理解してくださり,神に仕えるために奮闘する人たちに同情心を抱いておられる

間違った感情というのは同性愛的指向のこと。間違ったと決めつけているのが、既に間違っているのだが、なぜか急に、神が同情し始めて、すり寄ってきた。

1995年3月時点のエホバの証人組織の同性愛に対する見解

  • 同性愛者に対して、一部差別的
    (直接的な差別発言はないが、性的指向を間違っているとしている)
  • 同性愛者は、異性愛者への転換は不可能
  • 同性愛者は、行為を避ければ神の是認あり

2 Replies to “エホバの証人(JW)と同性愛、転換点となった1995年”

Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.