エホバの証人組織の同性愛への見解:差別的な姿勢と神の是認の変動

エホバの証人組織の同性愛者に対する見解

エホバの証人と同性愛、結局は差別的

昨日までの記事で、エホバの証人組織の同性愛に対する見解の変遷を振り返った。1970年以来、現在まで。

まとめると

  • エホバの証人組織は、現在でも同性愛的指向を「恥ずべき性欲」で間違っているとしている。これは差別的偏見。
  • 1995年を境に、同性愛行為を行わない同性愛者が、自身の性的指向と戦っているなら存在を容認するようになった。
  • 1995年を境に、同性愛者の性的指向を矯正するのではなく、性的衝動を抑える指導に変わった

1995年以前は、行為を行わない同性愛者が、自身の性的指向を教団に対してカミングアウトすることがなかっただけなのではないか、という気もする。つまり、行為の無い同性愛者の存在が表面化していなかっただけ。

であるなら、エホバの証人組織の同性愛者に対する見解は大きく変わっていない。根本は同じで同性愛者に対して差別的。エホバの証人でありたいなら、性的指向を矯正しろとは言わなくなったが、欲求を押さえ続けろ。それは間違った欲求だからという姿勢。傲慢な態度。

性的マイノリティの人にとって、決してエホバの証人組織は居心地の良い空間であるとは思えない。

1995年以降、信者離れの抑制のためか、時代に迎合したのか、性的指向を治せとは言わなくなったが、本来の性的指向を認めてくれることはない。エホバの証人組織にとって、あくまで性的マイノリティは「間違った」「恥ずべき性欲」の持ち主であるから。

やはり、性的マイノリティの人にとって、一般社会の方が多様性を認めており、生きやすい。

エホバの証人と同性愛、まずは1970年代から調査

エホバの証人と同性愛、その変遷

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エホバの証人の見解と同性愛:我慢させるだけの教義

エホバの証人の抑圧的教理

我慢させるだけさせて、何もくれないエホバ

エホバの証人と同性愛について、昨日までの記事で1970年から21世紀に至るまで、エホバの証人組織の見解の変遷について振り返った。

現在の見解は、1995年に転換して以来、変わっていないと思われるのだが、今少し確認してみる。

聖書Q&A、『聖書は同性愛について何と述べていますか』より引用。これは記事の更新年月が不明なのだが、最新解釈ということでいいかと思われる。ここでは、下記のように指導されている。

異性に引かれる大勢の人も,聖書の規準に従いたいと願いつつ,同じような葛藤を経験しています。例えば,結婚の見込みがほとんどない独身者や,性的能力を失った人の配偶者は,様々な誘惑に直面しても性的な衝動を抑えるように努めています

とりあえず、他の状況に置かれた人と一緒くたにして、同性愛者も性的衝動を抑えろという乱暴論。

エホバの証人の教理の邪悪なところはここ。

我慢させるだけさせて、何もくれない。

結婚の見込みがほとんどない独身者、見込みがあるかないかなんてのは本来誰にも分らないし、これもすげー偏見よね。

話が逸れたが、結婚の見込みがほとんどない独身者のエホバの証人は、教団の指導のまま、性的衝動を抑えて寿命を終えることになる。当然、ハルマゲドンとか復活とか嘘なので、それで人生終わり。性的衝動を抑えたまま人生終了。

性的快楽を封じ込められて、たった一度の人生に幕を下ろすことになる。

『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

同性愛者に対して、偏見に満ちている聖書とエホバの証人

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エホバの証人と同性愛、1995年の転換点以降~21世紀まで

21世紀、エホバの証人と同性愛

同性愛者に対する、エホバの証人組織の態度の軟化

エホバの証人組織の同性愛に対する見解の変遷。昨日までの記事で、1970年~1995年までを振り返った。1995年に転換点があることが分かった。さらに、少し時代を進めて、「目ざめよ!」1997年12月8日号から。

クリスチャンは,必要とされる霊的な支援をいつでも喜んで差し伸べます。同性愛の傾向とまだ闘っている人たちに対してさえそうします

ついに支援が始まった。

そして、21世紀になってからの記事、ここからは教団の主張の主旨はほとんど変わっていないので、順不同。

「目ざめよ!」2016年 No.4より引用。

聖書は同性愛行為を非としているものの,同性愛者に対する偏見,ヘイトクライム(憎悪犯罪),不当な扱いを勧めていません。

同性愛行為を退けることと,同性愛者を退けることとは違う

行為はNGだが、同性愛的指向を持った人はNGとはしないと読める。同性愛者を偏見・ヘイトしないという好ましい態度にも読める。過去に散々、偏見文書を撒き散らしておいて、今さらという気もするが。

ものみの塔は緋色の野獣に股を開く娼婦

エホバの証人組織の、同性愛者に対する根深い偏見

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エホバの証人(JW)と同性愛、転換点となった1995年

1980年代~1990年代、エホバの証人と同性愛

1980年代のエホバの証人の同性愛者に対する見解

エホバの証人と同性愛者の関係。昨日の記事では1970年代のエホバの証人組織の同性愛者に対する見解を調べた。

時を進めて、「目ざめよ!」1984年2月22日号。私が生まれて、雨の日も風の日も、真夏の酷暑の日も大雪の日も、エホバの証人の布教活動に連行されていた頃。

記事のタイトルが『同性愛という流行病』、既に病気扱いしている。

他の汚れた欲情や有害な欲望と同様,同性愛的な傾向は抑えることができます。それは,克服し,古い人格の一部としてぬぎ捨てることができる

病気なので治せるという書き方をしている。

1980年時点のエホバの証人組織の同性愛に対する見解

  • 同性愛者に対して差別的
  • 同性愛者は、異性愛者への転換が可能

基本的には1970年代と変化なし。

エホバの証人(JW)の禁止事項まとめ~過酷なJW2世の子供の学校生活

1990年代のエホバの証人の同性愛者に対する見解、転換点

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エホバの証人と同性愛、まずは1970年代から調査

エホバの証人と同性愛、1970年代から調査

エホバの証人と同性愛について調査

エホバの証人は、一切、同性愛者を認めておらず、同性愛者であることが発覚したら、瞬間排斥というイメージがあったのだが、どうやらこれは私の誤認らしく。

誤認というか、子どもの頃に私は14年間もエホバの証人であることを強要されたので、当時のエホバの証人の認識ということで良いような気もするが。

とりあえず、少し調べてみた。

結果、調べていくうちに、エホバの証人が、移り身早く見解を入れ替えた形跡や、今でも同性愛者に対して差別的偏見を抱いていることが分かった。

イエス・キリストはゲイだった

1970年のエホバの証人、同性愛者に対して差別的

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エホバの証人の性的自衛行動、「お前は大丈夫だろ」

性的欲求を募らせるエホバの証人

エホバの証人の性教育は逆効果

エホバの証人は布教活動を行ない、一般の人を勧誘する。勧誘された人はエホバの証人の研究生となり、エホバの証人の伝道者によってカルト道を導かれる。

この研究生と伝道者が異性だった場合は、同性の伝道者へその後の聖書研究という名のマインドコントロール活動が引き継がれる。聖書研究は、家に上がり込んで長時間2人きりになる。なので、これは当然。

ある意味では、これは教団の自衛行為と言える。

エホバの証人2世の性に対する興味は著しく高く、そして極限まで抑圧されている。そのため、エホバの証人2世は非常に誘惑に弱いから。

エホバの証人2世というのは、親の信仰を押し付けられた宗教2世信者のこと。私は、生まれながらのエホバの証人2世であることを強制された。

エホバの証人組織は、性の欲求を抑えつけると同時に、性的な誘惑の危険性について繰り返し説いている。あえて触れなければ良いものを、毎週の集会や家庭での聖書研究で、性に関する問題に必ず触れる。

エホバの証人の子どもは、物心つくかつかないかの頃から、週に1度は性に関する話題に接することになる。これが余計に性欲を膨らませる原因になる。

エホバの証人組織が、性について高頻度で扱わなければならないのは、それだけ性に関する問題で、脱会する信者が多いから。ところが、性について問題提起し、露骨に話題にし厳格に禁止していくほど、信者の欲望は余計に高まっていく

エホバの証人組織はこの負のループに陥っている。性問題で脱会するだけなら良いのだが、過剰な性教育は、多くの性的モンスターを生み出した。そのため、エホバの証人組織は、児童性虐待の温床となっている。

組織的な児童性虐待を疑われても仕方がないものみの塔協会

エホバの証人の王国会館で児童性虐待が起きる理由

エホバの証人の性的問題、「お前は大丈夫だろ」

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