エホバの証人になるという間違った人生の選択
エホバの証人になるというのは、完全に間違った人生の選択。その邪道に人を引きずり込むなどもってのほか。
なぜならば、人は生まれてから死ぬまでの限られた時間を、自分で決めたことのために使わなければならないから。
この単純な自由が叶わない人々が、人類の歴史の中には多く存在した。我々は幸運にも、自分の生き方を自分で選択することが可能な時代に生まれている。
その貴重な権利を放棄してはいけない。ものみの塔の言いなりになるという人生の無駄遣いをしてはいけない。
ものみの塔に献身するというのが、自分で選んだ生き方だという反論があるかも知れない。本人の自由だと。しかし、エホバの証人として生きるということは、他人をその道に導く活動をしなければならない。それがエホバの証人でしょ。
人々を誤った道に引きずり込むということは、どう考えても人の道に外れた行為。
エホバの証人は、誰もが真理を求め、敬虔な宗教心を抱いて王国会館に通い始めた。そこまで高尚でなくとも、何らかの救いや人との健全なつながりを王国会館に求めた。
それがいつの間にかものみの塔のマインドコントロール下に置かれる。そうなると、自分でものごとの良し悪しを考えることが出来ない思考停止状態に陥り、ものみの塔という偶像を崇拝し始める。そして、同じく誤った道に人々を迷い込ませる。
エホバの証人が偽教・カルトであると言えるのはなぜか
エホバの証人やものみの塔が誤っているかどうか?真理か否か?もしくは、真理に至る途中ゆえの不甲斐ない教義や予言なのか?
そういった議論の余地は一切ない。
一般的な家庭や夫婦を崩壊させ、無垢の子供を厳格過ぎる戒律で追い込む宗教が真実であろうはずがない。自分たちだけが真実、ものみの塔以外のあらゆる団体や思想は間違っているという独善的な決めつけの姿勢、これこそが嘘つきの言動。
間違っていて悪魔サタンの誘惑の手段であるから、他の宗教、政治、情報に触れてはいけない。ものみの塔はそう指導して、自ら供給する過剰な情報以外を信者たちにシャットアウトさせている。
その目的は、信者たちに自分の頭で考えさせることをやめさせるため。マインドコントロールの手段。
正常な判断力を持たせない、考えさせない、自分を見つめさせない、そんな宗教が真理であるはずがない。それゆえ、
エホバは偽神で、ものみの塔は架空の偶像。マインドコントロールの影響で思考停止状態に陥ったエホバの証人は、ものみの塔崇拝という組織崇拝・偶像崇拝の罪を犯している。偶像崇拝を禁じながら、組織=ものみの塔という偶像を崇拝させている。
ものみの塔は19世紀の米国人ラッセルの思いつきで始まった新興宗教に過ぎない。そんなぽっと出の宗教が唯一無二の真実であるはずがない。
エホバの証人は、ラッセルの家庭をはじめとして全世界で数多の家庭を崩壊させた。つまり、エホバの証人は他人を巻き込み、信者の人生を大きく損なわせる危険なカルト。
“エホバの証人(JW)の犯す、ものみの塔崇拝という罪” への2件の返信