ハルマゲドンは怖くない~滅びを覚悟すれば恐れる必要はない

エホバの証人が抱えるハルマゲドンという幻想

エホバの証人として生きるというのは、決定的に間違った人生の選択。百万歩譲って、ものみの塔がつく最大の嘘であるハルマゲドンが来たとする。エホバの証人でない我々は滅ぼされる。それで良い。

自身の生涯を、自分で決めたとおりに生きれば良い。ハルマゲドン後に得られる設定の永遠の命など、無用の長物。煩わしく長過ぎる永遠の命など、生命の輝きを損なわせるだけ。

あなたは永遠に生きて何をするつもりなのか?ものみの塔の堅苦しい戒律を守り続けなければならない永遠には、何の魅力もない。あらゆる快楽を得られないまま、エホバの証人だらけの世界で生きていくなど、気が狂いそうだ。

神は心の隅にいればいい。魅惑の果実は手に取って、今この瞬間に食べるべき。明日になれば、熟し切って地に落ちて腐っているかも知れないし、鳥がついばんでいるかも知れない。

今、この瞬間を重視して、後悔の無い生き方をすればいい。そうすればハルマゲドンは怖くない。死ねば終わり、無になるだけ。地獄に落とされることは無い。エホバの証人の設定ではそうなっている。

しかも、ハルマゲドンは起こらない。誰もが突然、不条理に神に殺されることはない。楽園で復活することもない。これらはものみの塔のウソだから。人類は、現在の生に集中し、今を全力で生きるべき。

今すぐエホバの証人をやめるべき理由~永遠の命というものみの塔協会の嘘

ハルマゲドンでの滅びを覚悟したエホバの証人2世

私は14才でエホバの証人をやめたあと、サッカーに熱中した。そして、サッカーに飽きると、ものみの塔に禁止されたあらゆる快楽を手に入れようと試みた。厳しい戒律に縛られた14年間の反動。

この頃の私は、いまだ深い洗脳状態にあった。ハルマゲドンは近いうちに起こると信じ込んでいた。世界の終わりを信じて疑わない私には、時間がなかった。ハルマゲドンで憤死するのは覚悟の上だったので、残された生はとても短いと感じていた。

幼少期に手に入れてしかるべき、今となっては下らない子供だましのもの、しかしその頃に体験しておくべきだった経験、私はそういったものを強く追い求めた。

平凡な学校生活や時間の浪費としか思えないテレビゲームも、その年頃には体験しておくべきものだった。本人にとっては、

誰もがもち得る一般的なモノを手に入れられなかったことの意味は大きい。それは、私自身が特殊で異端、恵まれない存在だった悲しみを象徴しているから

私は、そういったモノを追体験しつつ、さらにエホバ的でないモノを追い求めていった。喫煙、飲酒、異性との交際、ギャンブル、非ものみの塔的なモノを求め続けた。

最後の最後で、殺人や窃盗といった重罪に手を染めなかったのは、幸運だったとしか良いようが無い。露見する可能性や、犯罪に対する報いと得られる成果とを天秤にかけただけの打算的な判断。

重大な罪を犯さなかったのは、偶然でしかなかった。ハルマゲドンで滅ぼされれば、どうせ全てチャラ。人生の終わりが不条理に訪れると思い込んでいたエホバの証人2世に、罪悪感など無かった。


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