エホバの証人からの脱会ステップ、認知的離脱と組織的離脱

インターネットに触れ、まずはエホバの証人からの認知的離脱を

エホバの証人の認知的離脱と組織的離脱

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

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昨日の記事で、エホバの証人を辞めるステップについて、自分の意思で考えて辞める方が回復が早いと書いた。その点、本書は的確に言語化している。

まずは、エホバの証人を「辞める」の定義。

「脱会」を「一度は教団の教理を受け入れた人が、教団の教理を認知的に拒否し(認知的離脱)、組織的活動への参加を辞めること(組織的離脱)」と定義

私は教団の教理を受け入れたというか、ほぼ生まれながらに親や大人の信者から、世界とはそういうものだと、エホバの証人の言っていることが真理だと洗脳された。

脱会後の予後については

組織的離脱よりも、認知的離脱が先に生じた場合のほうが脱会後の「社会的リアリティの再定義」がスムーズ

であるとされている。

私の場合は認知的にエホバの証人の教理を拒否するより先に、組織的な活動を辞めた。エホバの証人の求める永遠の命より、刹那の輝きの方が価値が高いと考えてエホバの証人を辞めた。

エホバの証人の教理を疑う余地はなく、価値観の違いにより教理を拒否。認知的拒否ではなく、直観的な拒否。本書の書く通り、先に組織的離脱を果たした私の予後は悪く「社会的リアリティの再定義」がされるまで、組織的離脱から20年近い時を要した。

そもそも組織的離脱と認知的離脱の双方を持って「脱会」と言うのなら、私の脱会が完了したのは組織的離脱の10年近く後のこと。

その間、いつか来るハルマゲトンに備え、刹那的欲求を叶えることに執心していた。いつ死んでもいいと覚悟を決め、刹那を生きる若者に「社会的リアリティ」などが備わるはずがない。

まずはエホバの証人教義からの認知的離脱を

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エホバの証人の脱会を阻む、脱会防止の3つの呪いとは?

エホバの証人にかけられた3つの呪い

エホバの証人はなぜこんなに頑なになるのか

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

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本書に出てくるエホバの証人脱会経験者のB氏。脱会時の心境を以下のように語っている。

「脱会カウンセリングだけは受けるまい」と思っていた

「カウンセラーの説得によって、つまり他人の意志によって辞めることを促される、それでは今までの生き方と変わらないと思った」

ここでいう

「今までの生き方」とは、教団が提示する「真の宗教」やその判断基準に囚われていた生き方

のこと。「真の宗教」論争については昨日の記事で触れた。

これを読んでいて感じたのは、エホバの証人になると、人はなぜこんなに頑なになるのか?ということ。エホバの証人をやめるというのは、最良にして自由な人間として生きる唯一無二の選択なのに、なぜそこに時間をかけるのか?

脱会カウンセラーでも何でも良いので利用できるモノは利用してスパッと辞めればいいのでは?というのが私の意見。「今までの生き方」で人生をさんざんに弄ばれ、搾取され騙されてきたのだから。それより悪化することはない。

であるのに、脱会という最善の決断をするときに限って「今までの生き方」とは違う何者にも囚われない生き方をしたい。自分の頭で考えるんだ、となる。

今まで、他人の意思でコントロールされてきたのだから、辞めるときも誰かの意見を聞いたっていいものを。なぜそこだけは自分の意思で辞める決断をしなければならないのか?

その理由、エホバの証人には、脱会防止の呪いがかけられている。3つの脱会防止のための呪い。

エホバの証人がかけられた脱会防止の3つの呪い

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エホバの証人の「永遠の命、それは象徴的な意味でした」って「新しい光」

エホバの証人、タイプ別の脱会アプローチ

昨日の記事で考えた動機別のエホバの証人の4タイプ。今日はそのタイプ別にいかに脱会させるかを考える。

ご利益主義の①特権と②永遠の命型。このタイプはご利益が無くなれば、もしくはご利益などないと認識すれば、または今まで追い求めていたご利益が無意味と気付けば、脱会せざるを得ない。

マインドコントロール強固型の②永遠の命と④神の主権型はマインドコントロールが解ければ時間の問題。

ご利益主義者でもなく、マインドコントロールも浅い③人間関係型。このタイプは本人でなく周りを落とす。周囲が脱会すれば、安心して脱会できるし、周囲に脱会の流れが起きれば脱会派の筆頭となるはず。もとからマインドコントロール下に無いので。

どこから攻めるか。③の人間関係型は自分の人生を損ねてさえも家族を失いたくないという自己犠牲型。この逆の人々が狙い目。①②タイプにその傾向が強い。ご利益が無くなれば、エホバの証人をやめると。自己の利益を優先するタイプ。

エホバの証人の「新しい光」を逆に利用する

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エホバの証人的腐臭を放つ人間関係を整理する、腐り組織からの脱会のススメ

腐り人間関係を断絶する

エホバの証人組織の本質とは

『良心の危機』、付録部分から。

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著者がエホバの証人組織を排斥された後、それに抗して書いた手紙より。

エホバの証人に求められる態度は

人の良心は「統治体が却下することができる」

統治体の言うことなら何でも「オウム返しに繰り返している」人間

がエホバの証人的な優秀基準。

統治体を崇めることが要求されるエホバの証人は

多くの教会関係者が、自分たちが「母なる」教会と呼ぶ教会の指示することをすべて鵜呑みにして受け入れていた過去何世紀もの歴史

をなぞっていると言える。

エホバの証人とは、

単に人間が造り上げた基準、つまり本当は霊感を受けておらず、神の言葉の裏付けもないのに神の基準だといわれている基準に従っている

組織。

ここまで理解すると、エホバの証人に関わることが無意味で時間の無駄、人生の汚点となることは明らか。救いの経路などではあり得ない。

ここまで理解していた著者が、エホバの証人組織からの排斥処分に対して再審を上訴していたのはなぜか?

エホバの証人は背教者への挨拶禁止、忌避制度継続。

エホバの証人的腐臭を放つ人間関係を整理する

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ものみの塔の編集委員が作り出す真理、なぜ信じちゃう?

当たらないどころが百害あるものみの塔馬券

3人の編集委員が作る真理

『良心の危機』、付録部分から。

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ものみの塔協会の初代会長チャールズ・テイズ・ラッセルの遺言状が掲載されている。機関紙の『ものみの塔』各号に下記のように記載するよう指示されている。

本誌は、編集委員会の監督のもとに刊行されています。掲載されている記事はすべて、少なくとも三人の編集委員が検討の上、真理であると認めたものです

編集委員は単なる人の集まりで、そいつらがどれだけ検討しようが真理が出てくるはずがない。

真理って間違いようのない真実のことで、古今東西の宗教的思想が真理になることなどない。「私はこう信じています。あなたも信じた方が良いですよ」のレベル。まぁ当然お断りさせて頂くのだが。

単なる編集委員が「真理であると認める」というのが、そもそもおこがましい。編集委員がどれだけ真理だと認めようが、そんなモノは勝手な言い分に過ぎない。世迷言のたぐい。

真理とまでいかなくても、事実は実験に基づいたり、推定は統計的に確からしいと導き出されるモノ。それを真理とか大仰な言葉を使うから、ぼやけちゃう。何の根拠もなく「これが真理ですー!」って言っている奴は、間違いなく嘘つきカルトだから。

ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

エホバの証人をやめるのに一番いいときは「今」

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エホバの証人をやめた後に得られる安寧、そして特別ボーナス

真理にたどり着くと・・・

真理を追い求めるエホバの証人が至るべき真理

『良心の危機』、第13章「展望」から。

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エホバの証人をやめることについて、著者は以下のように友人の言葉を紹介している。

無駄な望みをきっぱりと捨てた者には、その代償として穏やかさが与えられる

無駄な望みとは、永遠の命とか復活から始まり、エホバの証人組織の不義、教理や予言解釈の矛盾が正されること。

そんな無駄な望みは、今現在の自分自身とは一切関係ない。

宇宙の主権とか神の存在とかそんなモノは、一個人、特にカルトに騙されちゃうような幼稚な精神性の人にはどうでも良いこと。

かつて真理を追い求めた者、そして、今なお追い求めていると「思い込んで」いる者にとって、本当の真理にたどり着くことがいかに重要か。

本当の真理とは、「ものみの塔はカルトで自分は騙されていた」ということ。その真理にたどり着くと平穏が訪れる。ありとあらゆる疑問が解決する。

なんでエホバの証人って神に是認を受けているはずなのに、こんなに不幸せなのか?

答え:エホバなんて存在せず、カルトな行いで世界を汚染しキリストを冒涜しているから。そりゃ家族は去り、世間から疎まれる。しまいにゃ自分自身の健康・精神まで病む。

エホバの証人の人生の展望とは、今日から生き直し

エホバの証人をやめた後のボーナス

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エホバの証人2世、カルト信者を身内に抱える苦悩とは

カルト信者を身内に抱える苦悩

元エホバの証人2世にとっての真理

昨日の記事で、エホバの証人の人生は無意味であるだけでなく有害なので、エホバの証人をやめるべきだと書いた。無価値ならまだしも、世界に害悪を振りまいて一度限りの人生を終える哀れ。

どんなに高齢で後戻りができなくとも、たとえ死の床にあろうとも、エホバの証人をやめて、少なくとも悪でない側に戻らないといけない。

ただ、これは一般論にすぎない。実際に、自分の親が深いマインドコントロール下にあるエホバの証人だとしたら?老齢で、ほぼ全人生をエホバの証人にフルベットしてしまった後だったとしたら?

今さら、エホバの証人をやめて幻滅、ショックを受けて打ちひしがれて、そのせいで体を病んだり。そんな自業自得親を面倒くさく、疎ましく思うのも理解できる。

しかし、自分の親族が社会に害をもたらしている状態。それで良いのか?果たしてそれを放置していいのか?

その有害物質から逃げ出すだけで精一杯だった、という気持ちも良く分かる。私も親がエホバの証人である限りは、親を捨てる覚悟で脱会した。

これは、やはりちょっと幼稚な白黒二択のエホバの証人的思考かも知れない。しかし、子どもの頃からそうやってエホバの証人に育てられたので仕方ない。真理か、真理じゃないか。私にとっての真理は、

エホバの証人組織とエホバの証人活動は完全悪。なので、この悪に関係する者が身近にいる場合は、愛を持ちつつも毅然とした態度を示すべきだと思う。

親を捨てる覚悟を決めるエホバの証人2世

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エホバの証人の人生の展望とは?脱会して今日から生き直し

今日が残された人生の最初の日

他人の役に立つどころか、害でしかないエホバの証人の人生

『良心の危機』、第13章「展望」から。

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いよいよ最終章なので、著者はエホバの証人の展望を予測(予言ではない)するとともに、人生の展望について下記のように書いている。

終わりに近づきつつある人生を省みて本当に何らかの満足をもたらしてくれるのはただ一つ、その人生が他の人たちのためになった度合いだということである-まずは心の最も深い部分において、それから精神的、物質的な面において

自分の人生が他の人たちの役にたった度合い。エホバの証人の場合は、これが激しくマイナス。他人に害をもたらし、社会に迷惑をかけた。

本人たちが人生を省みることなどなくとも、エホバの証人は生きながらにしてそのリターンを受けている。

家族を失い、精神を病む。エホバの証人の人間関係を維持するには、真実を曲げ続けるしかない。そんな人生に一遍たりとも満足はできないだろう。そして、復活とか永遠のイノチという妄想教理に逃避する。

エホバの証人が試されるのは、神でなく組織への忠節

踏み絵を踏むのを許されるエホバの証人、許されないエホバの証人

エホバの証人が生き直すには、幻滅のショックを受けるしかない

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『良心の危機』、やっと出てきた爽やかなモノとは・・・

ようく出てきた爽やかなモノが・・・

唯一の清涼なモノがエホバの証人脱会の成り行きという皮肉

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。私にとっては、エホバの証人にまつわることは不愉快そのもの。子どもの頃にこのカルト宗教を強要されて、人生の大きな恥部になったから。

そのエホバの証人に関する本書の中で、ようやく出てきた清涼なモノ。

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著者はエホバの証人を自ら断絶した人と食事を一緒にしたために、エホバの証人組織から排斥される。その成り行き。このエホバの証人的罪状を追求されているときのこと。先に断絶した人の方が著者の立場を慮り

もし自分と付き合うのが賢くないと判断するならそれはそれで構わないとも言ってくれた

その一年半前、この立場は逆であり、著者の方が先に排斥になる可能性があった。相手はまだ断絶前。しかも著者いわく

そちらのご家族は多い。奥さんも子供さんもご兄弟もお孫さんも親戚も、全員エホバの証人だ。排斥になった私がアラバマに戻って来たらずいぶん厄介なことになる

それでも、戻って欲しいと言われた著者。

今度は立場が逆転したのだから、ここで釣り合いのとれないことをするわけにはいかない、と私は言った。真理のため、そして他の人のために良心に従って行動した人を邪悪だと決めつけるような意見に同調するわけにはいかない

これらが、エホバの証人組織を追い出される、追い出されないのために割かれた腐心であることは、全く爽やかではない。とはいえ、心意気のようなものだけを受け止めると、ここには友情と「白を黒とは誰にも言わせない」芯の通ったモノがある。

家族、親族がエホバの証人だらけ。その状況で排斥者を囲うと、自身までが親戚中から排斥され忌避される可能性大。著者は老齢になるまでの人生すべてを賭けた組織からの排斥の危機。本人たちにとって失うモノは相当に大きく感じられたはず。

どっぷりエホバの証人に浸かった人の中にも、自分基準で相手を思いやり行動でのる人物がいるとは驚き。組織に家畜化されずに、自分の意思、判断能力を残している人物。他人をただ単に純粋に思いやれる人物。

『良心の危機』、著者のものみの塔感覚に対する違和感

『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

いざ、自由な大海へ

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『てい少年と目ざめの霹靂』、エホバの証人のやめ方とは?

エホバの証人の脱会お作法

エホバの証人をやめる前には準備を入念に

てい少年シリーズ三部作。いつの間にか完結編の第三作目が出ていたので読む。AmazonのKindle Unlimitedだと無料で読めた。

てい少年と目ざめの霹靂

第一部
『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』

第二部
『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

前作を改めて読み返したわけではないので、あくまで記憶なのだが、本作で伏線が回収され大団円となっている気がする。まるで晴天の霹靂を浴びたかのように、てい少年はカルト脱会を決意する。

少年の脳裏にこれまで体験してきた長老兄弟の偽善、保身、神に導かれていない証拠となる無数の出来事が走馬灯のように巡った。
その衝撃は、荒れ模様ではなかった空から、とてつもない雷が落ちたかのような衝撃であった・・・

「やめよう・・・」

という

目ざめの霹靂を身に受けた

こうしてカルト脱会。めでたしめでたしなのだが、普通のエホバの証人は覚醒の霹靂を受けて脱会したとしても、めでたしめでたしとはならないだろう。

少年はここに至るまでに紆余曲折流れに流されつつも、社会での生存手段と居場所、ついでに伴侶まで見つけている。

私の立場的には、全てのエホバの証人には今すぐ脱会して欲しい。とはいえ用意は周到にした方がいい。この少年のように。

エホバの証人脱会後の居場所を準備する

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