アナタハ神エホバをシンジマスカ?「信じてない」ならやめちゃいな

JWが生まれ変わったら・・・

聖書クラブにエホバの証人が生まれ変わったら・・・

新世代エホバの証人、彼らは教理を「信じていない」。しかし、コミュニティとしての教団には粘着質に愛着を持っている。ここまでが昨日の内容

今後のシナリオとして、輸血解禁、排斥断絶なし。クリスマスとかの行事参加も任意。進学就職も自由みたいな非カルト団体にエホバの証人が生まれ変わったとしたら?聖書クラブみたいな感じ。

非ムチの「信じてない」人たちの望みって、こんな感じかな。平和で安全、微笑ましいユル宗教コミュニティ。誰にも迷惑かけない。自分たちだけのユートピア。

 

それ、すげー嫌なんですけど。気に食わないんですけど。

私は、エホバの証人には完全に消え去って欲しい。鞭を浴びまくり、幼少期から集団の中で浮きまくり、「イジメてください」オーラ出しまくりの罰ゲーム黒歴史をやらされた身として、エホバの証人の存続は一切認めない。

地の果てまで、エホバの証人が最後の一人になるまで追い続けるよ。それがエホバの証人の大好きな迫害者でしょ。君たちが予言したとおりに出て来てやったんだよ。

緊急手術じゃなかったけど、輸血拒否して泣きながらクソエホバに祈ったことのある、超ブラック歴史を抱える私としては、完全にこのカルトには消え去って貰わねばならない。

テレビ朝日「サタデーステーション」で「エホバの証人」実名報道

「信じてない」ならやめちゃいな

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エホバの証人2世のバランスが崩れるとき、壊れるとき

いかにしてエホバの証人と縁を切ったか

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

お題「みんなはどうやって、教会と距離を置きましたか?」

勝手に対談に加わっているつもりで回答する。

私は、ほぼ生まれながらにして親にエホバの証人であることを強要された。エホバの証人をやめたのが14才のとき。「(エホバの証人の)集会にもう行かない」と親に対して宣言。それ以降、99%エホバの証人活動をしていない。

小学校高学年の頃から悩み続けて、やっとやめることができた。

14才になり、たとえ親と殴り合いになっても刺し違えるくらいまで、身体も大きくなった。宗教の強要に対して物理的には断固闘える状態。あとは親を裏切るという罪悪感を抑えきれば良かった。

親を裏切ること、エホバの証人による洗脳直下だったので、神を裏切り神に殺される覚悟を決めること。この辺りが悩みだった。そして、圧倒的制限をかけてくるエホバの証人に屈し続けることで、自由を求める本来の自分を抑え込む必要があった。

この抑え込みが限界に達し、むしろここを抑え込むくらいなら、親も捨てるし神にも逆らってやると決めたときに、エホバの証人と完全に縁を切ると決めた。

誰にも分って貰えない、カルト宗教2世だからこそ・・・

カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

エホバの証人との縁切り、何とか間に合った

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エホバの証人がくれる不要な中学の制服、一銭も損をしない保証人

エホバの証人がくれる要らない中学の制服

昨日の記事の続き。東洋経済ONLINEから『脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実』前編。

取材されている元エホバの証人2世、排斥者の女性が、周囲のエホバの証人信者には感謝していると述べている。

  • 中学の制服を貰った
  • 家を借りるときに保証人になって貰った

この2点を挙げ「エホバの証人がいなかったらとても暮らしていけなかった」と。

ここは冷静に考えてみよう。中学の制服、必要としていて貰えたのなら、貰えた側はありがたいが、あげた方は単なる不要品の処分。そこまでありがたがる必要はない。

月に何十時間も布教活動するエホバの証人。その時間働いて新品の制服買ってやれよ、と私は思う。せっかくの中学入学、人生で一度のことだぜ。

こう考えると、人生にたった一度の中学校の入学式で新品の制服にそでを通せなかったのは、エホバの証人のせい。ろくなもんじゃないだろ。有害すぎる。

エホバの証人が家を借りるときの保証人になってくれた?

家の保証人だってそう。一筆書くだけ。保証人になっているエホバの証人のほうには、一銭たりとも金を払う気はない。

「エホバの証人がいなかったらとても暮らしていけない」と思っている親子の保証人になっている。つまり、この親子は、少なくとも親のほうは暮らしていけなくなるから、エホバの証人であり続ける。この親子は絶対に家賃を滞納して蒸発して、周囲のエホバの証人から逃げたりしないという前提がある。

もしくはマインドコントロールの妄信で「エホバの証人は良い人だから家賃滞納して逃げるわけがない」、と信じ切った上で保証人になっている。

むしろ、エホバの証人は借金まみれになったってハルマゲドンでチャラになると信じている。だから保証人にでも何でもなる。そこに深い愛はない。

保証人がいなくて家が借りられないときに、保証人の欄にサインしてくれるのはありがたいけれど、実際に家賃を払って貰っているわけではない。そこまでありがたがる必要はない。

エホバの証人がいなければ・・・

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コミュニティー信仰は、単なる人恋しさからくる甘え

コミュニティーがあるから棄教できないというのは本末転倒

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。本書では創価学会についても触れている。

一部の団地や離島では創価学会員のコミュニティが築かれていることが指摘されている。そのため、

信仰がコミュニティー全体にまで広がっているということは、人間関係がすべてそのなかで営まれるということを意味します。そうなると、信仰を捨てようと思っても、それは同時にコミュニティーを捨てることにつながるわけで、なかなかそこに踏み切ることが難しくなります

言っていることも、信仰を捨てられない気持ちも分からなくはない。エホバの証人のケースで考えてみると、親や親類、身の回りの人が信者で固められているというのは想像に難くない。

生まれ育ったコミュニティーを捨てるとか、数十年に渡って所属したコミュニティーを捨てる、裏切るというのは困難なことだと思う。

思うのだが、コミュニティーって宗教とか信仰とは関係ない。おまけみたいなモノ。というより信仰や宗教にとって、コミュニティーとは不必要で余計なモノ。宗教とか信仰というのは、神と自分、教えと自分の関係。他人はどうでも良い。つまり、

コミュニティーを捨てることができないから信仰が捨てられないなんていうのは、本末転倒。宗教でも信仰でもない。単なる人恋しさからくる甘え。

お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?

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エホバの証人対策として、傷の浅い段階で作成するべき念書

「ずれ」を呑み込ませるカルト、「ずれ」を受け入れる信者

昨日の記事でカルト入信前後のイメージと現実の「ずれ」について書いた。カルト教団は、その「ずれ」を覆い隠すことに長けている。

家族が幸せになれるから、と誘われてエホバの証人の集会に行ったのに、集会に行きだした途端、家族の機嫌が悪くなる。これも「ずれ」。現実が悪化しているのだから、すぐにやめるべき。エホバの証人に関わる前のフラットなゼロ地点に戻るべき。しかし、

エホバの証人組織側はこの「ずれ」を上手くごまかす。事前に「家族は必ず反対します。それはエホバの証人が真理だから、サタンが邪魔をしているんです」と予言めいたことを言う。

どう考えても「エホバの証人がカルトで、家庭をないがしろにしているから」家族関係が悪化したのだが、そう気付ける健全思考状態の人は、当初からエホバの証人の相手などしない。

「予言が当たった!」と「ずれ」を呑み込み、妄信の沼へ引きずり込まれてしまう。すると、ますます健全社会へ戻れなくなる。

2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人対策としての念書の作成

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ものみの塔を糾弾すべき理由、エホバの証人を見過ごせない理由

ものみの塔を糾弾すべき理由

ものみの塔を糾弾すべき理由

昨日の記事で、エホバの証人脱会者は皆が口を閉ざすと書いた。私も一般生活ではエホバの証人2世という出自を明らかにしていない。バレたらバレたで良いのだが、自慢できる話ではないので黙っている。

エホバの証人を円満にやめたという人は存在しない。このカルトからは、円満卒業という形での脱会はあり得ない。やめるときに相当な軋轢を生むから。それがカルト。

エホバの証人をやめた人でエホバの証人組織、宗教としてのエホバの証人に好意的な印象を持っている人は、それはまだものみの塔のマインドコントロール下にある。本質的な意味でやめたとは言えない。

本質的にエホバの証人をやめることができた人で、エホバの証人組織に好感を持っている人はいない。何らかの疑念や不満、違和感をもれなく抱いている。「エホバの証人がよくないモノである」という認識は多かれ少なかれ持っている。

であるならば、やはりエホバの証人を糾弾すべき。「よくないモノ」なのだから。

やっとこさサバイバルして今も傷が癒えない人だらけだろうし、他人がどうしようが、私が口出しすることではない。よって、他のサバイバーがどうしようが私には関係ない。だから、次の言葉は私自身への叱咤として。

良くないカルトに取り込まれている哀れで愚かな者を放っておくというのは、その邪悪空間からの生還者としていかなるものか。

だから、私は、恨み、怒りといった負のエネルギーを義憤に昇華させて、ものみの塔と戦っている。

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エホバの証人を許せない理由、多くの脱会者が口を閉ざす理由

私がエホバの証人を許さない理由

エホバの証人を許せない理由

ちと最近忙しくて、うっかりするとエホバの証人のことなんかコロッと忘れて1日を送っていることがある。このブログは毎日更新が(自分に課した)ルールなのだが、こんな日には書くことがない。

数年前、忙しさにかまけて毎日更新が滞り、そのまま本ブログが仮死状態になった。今回はそんなことがないよう何とか絞り出してでも書くしかない。継続こそが読者様、自分自身、八百万の神々に向けての熱量の証し。

その熱こそ「ものみの塔を崩壊させる」という私の悲願。

私がエホバの証人のことをスカッと忘れてしまえるのは、現状このカルトの被害を一切被っていないから。周囲に目障りなエホバの証人は皆無だし、生活も何とか安定している。

生活は一時、非常に不安定だったのだが、それをエホバの証人という出自のせいにするのは無理があるほど、私が好き勝手に生きていたのが理由。それはそれで満足だったし後悔もない。自己責任とわきまえているが、違う人生があれば、あんな自暴自棄生活はしたくない。

現在の自身と自身の家族の安寧を考えるなら、小汚いカルトのことなどきれいさっぱり忘れて生きていくのが身のため。そして、健全かつ安全。

とはいえ、それだと悔しすぎる。

エホバの証人のせいで失った両親との家族関係、完膚なきまでに損なわれた両親の人生。私自身の人生にもエホバの証人2世として14年間もの時を過ごすという汚点を残された。

ゆえに私は何が何でもエホバの証人を許せない。そして、エホバの証人やものみの塔が大っ嫌い。完全に私怨ではあるが、見逃すわけにはいかない。

エホバの証人(JW)の専売特許、エホバ商法とは?

エホバの証人脱会者が口を閉ざす理由

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カルト宗教に所属することは悪事であると信者に「思わせる」

カルト宗教2世の救いは教団外にしかない

カルト宗教に属することは悪だと「思わせる」

エホバの証人が取り上げられている宗教特集の『週刊東洋経済 2022年10/8号 宗教 カネと政治』。『2世への支援策は?』のページ。

宗教2世に対して外部の人ができることとして、記事内の下記の記述。2世信者に

教団外社会もそんなに悪くないと「思わせる」こと

と書かれている。

私が思うに、カルト宗教の2世信者にとって教団外社会こそが良いのであり、教団内社会が劇的に悪い、と「思わせる」必要がある。そうしないと信者はいつまでも教団に留まり続ける。

それでは本人の人生が徹底的に損なわれるだけでなく、エホバの証人のようなカルト宗教の場合は、社会に対しても害をなし続ける。いったい誰がそんなことを望もうか。

宗教2世は生まれながらの被害者だが、成長するうちに大人になる。そのまま教団に留まり続けるなら、有害なカルト活動を行い続けることになる。それは社会的に有害な存在。

宗教2世の子どもは自分の意思で何かを選択することができない。生まれながらに宗教を強要・強制されるから。主体的に何かを選んだり、人生を切り開くことができないように仕向けられる。何が何でもカルト基準。大人になっても一部の2世信者はそのまま。

そのまま無自覚に過ごせば、いつまでも宗教2世として教団に留まり、無意識的に罪を犯し続けることになる。カルト宗教の活動者として。

教団に留まり続けることは悪であり、罪であると自覚させる。そして、教団外社会こそが良いと「思わせる」ことができれば脱会への道が開ける。

日本のエホバの証人だけが特殊、カルト化している訳ではない

カルト組織は悪だが、信者個々人は・・・

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エホバの証人からの脱会ステップ、認知的離脱と組織的離脱

インターネットに触れ、まずはエホバの証人からの認知的離脱を

エホバの証人の認知的離脱と組織的離脱

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

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昨日の記事で、エホバの証人を辞めるステップについて、自分の意思で考えて辞める方が回復が早いと書いた。その点、本書は的確に言語化している。

まずは、エホバの証人を「辞める」の定義。

「脱会」を「一度は教団の教理を受け入れた人が、教団の教理を認知的に拒否し(認知的離脱)、組織的活動への参加を辞めること(組織的離脱)」と定義

私は教団の教理を受け入れたというか、ほぼ生まれながらに親や大人の信者から、世界とはそういうものだと、エホバの証人の言っていることが真理だと洗脳された。

脱会後の予後については

組織的離脱よりも、認知的離脱が先に生じた場合のほうが脱会後の「社会的リアリティの再定義」がスムーズ

であるとされている。

私の場合は認知的にエホバの証人の教理を拒否するより先に、組織的な活動を辞めた。エホバの証人の求める永遠の命より、刹那の輝きの方が価値が高いと考えてエホバの証人を辞めた。

エホバの証人の教理を疑う余地はなく、価値観の違いにより教理を拒否。認知的拒否ではなく、直観的な拒否。本書の書く通り、先に組織的離脱を果たした私の予後は悪く「社会的リアリティの再定義」がされるまで、組織的離脱から20年近い時を要した。

そもそも組織的離脱と認知的離脱の双方を持って「脱会」と言うのなら、私の脱会が完了したのは組織的離脱の10年近く後のこと。

その間、いつか来るハルマゲトンに備え、刹那的欲求を叶えることに執心していた。いつ死んでもいいと覚悟を決め、刹那を生きる若者に「社会的リアリティ」などが備わるはずがない。

まずはエホバの証人教義からの認知的離脱を

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エホバの証人の脱会を阻む、脱会防止の3つの呪いとは?

エホバの証人にかけられた3つの呪い

エホバの証人はなぜこんなに頑なになるのか

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

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本書に出てくるエホバの証人脱会経験者のB氏。脱会時の心境を以下のように語っている。

「脱会カウンセリングだけは受けるまい」と思っていた

「カウンセラーの説得によって、つまり他人の意志によって辞めることを促される、それでは今までの生き方と変わらないと思った」

ここでいう

「今までの生き方」とは、教団が提示する「真の宗教」やその判断基準に囚われていた生き方

のこと。「真の宗教」論争については昨日の記事で触れた。

これを読んでいて感じたのは、エホバの証人になると、人はなぜこんなに頑なになるのか?ということ。エホバの証人をやめるというのは、最良にして自由な人間として生きる唯一無二の選択なのに、なぜそこに時間をかけるのか?

脱会カウンセラーでも何でも良いので利用できるモノは利用してスパッと辞めればいいのでは?というのが私の意見。「今までの生き方」で人生をさんざんに弄ばれ、搾取され騙されてきたのだから。それより悪化することはない。

であるのに、脱会という最善の決断をするときに限って「今までの生き方」とは違う何者にも囚われない生き方をしたい。自分の頭で考えるんだ、となる。

今まで、他人の意思でコントロールされてきたのだから、辞めるときも誰かの意見を聞いたっていいものを。なぜそこだけは自分の意思で辞める決断をしなければならないのか?

その理由、エホバの証人には、脱会防止の呪いがかけられている。3つの脱会防止のための呪い。

エホバの証人がかけられた脱会防止の3つの呪い

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