内なるエホバの証人問題
昨日の記事でエホバの証人を20年間完全シャットアウトしていたと書いた。完全シャットアウト時代を経て、なぜあえて反JW活動に舞い戻ったのか?
JWを完全シャットアウトし続けるのは何かが違うと思ったから。
いったい何が違うのか?
それは自分のJW問題が根本的に解決していないということ。
内なる問題はほぼ解決。というか元々そんなに問題は抱えていなかった。理由は私の両親がいわゆる条件付きの愛の持ち主ではなかったから。両親はガチガチのエホバの証人だったが、私がエホバの証人をやめても親子の愛は残った。
エホバの証人はエホバの証人だけを愛するようにマインドコントロールされている。エホバの証人であればという条件付きの愛。
私としては14才でエホバの証人をやめたら親子の縁切り、中卒で路頭に迷い野垂れ死にするつもりだった。エホバの証人で居続ける恐怖、屈辱に比べれば、まさに地上の楽園。
ところが、親は私を手放さず、高等教育を受けさせてくれるというものだから、それに甘えることにした。そして、両親もエホバの証人を離脱。
両親には酷い目に合わされたとは思うけれど、今の私の自己肯定感の高さは親に捨てられなかった、最後の最後で両親が無条件の愛を示したということに依っている。
子供はこの辺りの感覚は鋭敏で、幼い私も親の愛が無条件であると無意識化では認識していたのかも知れない。それも現在の私の自己肯定感の糧となっている。しかし、その無意識化の皮算用が裏切られたとき、子供たちの負う傷は深い。
今でもJWだった頃の苦行を夢に見ることもあるけれど、これが生きにくさの原因になっていることはない。今のところは。
最近、JWだった過去を積極的に掘り起こしているが、それも悪影響でなく、あのとき子供だった自分がして欲しかったこと、出来なかったことなどが整理されていく、どちらかと言えば好循環。
エホバの証人と私、外なる問題
解決できていない私のJW問題。それは外部要因。エホバの証人と私の関係。エホバの証人組織と私の関係。
エホバの証人組織、ものみの塔には散々苦渋を舐めさせられた。この落とし前、復讐、私怨。ここに決着が着かない限り、私のJW問題は解決しない。
あとは個々の人間としてのエホバの証人との関係。エホバの証人完全シャットアウト期間に全てのエホバの証人を私の人生から切り捨てた。もはや、家族、親族、友人はおろか、ちょっとした知り合いにもエホバの証人は存在しない。
かつてのエホバの証人の幼なじみ。知人。彼らに対して、私のたどり着いた真実を伝えていない。「ものみの塔に騙されてるよ」と。騙され搾取されている人に対し、真実を知りつつ伝えないのは不誠実にすぎる。
これが私のやり残したこと。
全てのエホバの証人が「今すぐやめろ」なんて乱暴は言わないけれど、全てのエホバの証人が今すぐに「いつか脱会すると決意すべき」と私は思う。
そのためにこうして情報発信しているし、何らかの手段で肉声を届けるべきだとも考えている。
そして、文字通りにかつて切り捨てた本当のエホバの証人の知人たち、もしも彼らがまだ生存しているのなら、そして不幸なことにエホバの証人のままでいるのなら、それこそ再会して真実を伝えなければと思う。
全く伝わりはしないだろうが、何もしないよりは良い。