脱エホバの証人に対するタカ派意見
エホバの証人関連のSNSなどで、「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」的なタカ派意見を目にすることがある。自分もかつてほとんど同じ考えだった。私がエホバの証人をやめてから20年間くらい。
私はエホバの証人をやめたあとは全力で遊び、仕事に打ち込んだ。エホバの証人的なモノは生活のすべてから完全シャットアウト。飛び込んでくる自宅への伝道者も、ドアを開けた瞬間に彼らと分かればドアを閉じた。
そうして過ごした20年。タカ派と少し違うのは、エホバの証人と口にすらしなかった点。つまり、「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」と思っていたけど、一切口にはしなかった。
完全なる一般人として過ごしていたので、「エホバの証人」と言ったところで誰にも通じなかっただろうし、周囲にエホバの証人関係者が皆無だった。そうなるように自身の周辺環境をデザインした。
エホバの証人という禁断のワードを持ち出したのは、エホバの証人の「残りの者」の人数をネットで調べようと検索したとき。ちなみに、このときにものみの塔による私の洗脳が解除された。
もう一度は現在の妻と付き合うとき。マジメに付き合うなら、さすがに自分の出自を明かすべきかと考え、エホバの証人2世という過去をカミングアウトした。
エホバの証人を完全シャットアウトした20年。その間、エホバの証人と発声したりキーボードに打ち込んだのは、たったのこの2回。今だと「え」の予測変換で「エホバの証人」と出てくるので、1日に100回近く打ち込んでいる気もする。現役時代にもない熱心さ。
この熱心さで情報収集しているあいだに考えも変わってきた。「いつまでもエホバの証人を引きずっている」のは自分も同じ。私なんか20年かけて聖書のことなんか、きれいさっぱり忘れたのに、今さらエホバの証人のことを蒸し返している。
しかも20年かけて、ものみの塔に対する恨みだけを濃縮還元している。さらにたちが悪い。「引きずっている」レベルでなく、人生後半における大きな課題の一つとして捉えている。ライフワーク。
「やめたいならとっととやめやがれ」も同じ。これは浅はかな考えだった。簡単にやめられるのなら、誰もがとっくにやめているはず。各人が個人的な問題や事情を抱えている。
私だってそうだった。マインドコントロール両親を切り捨てる決断をするのに、青春の日々を3年も浪費した。というか、体罰されない年齢になるのと、経済制裁を受けても何とかなるギリギリの年齢まで待つしかなかった。
しかし、タカ派には何を言ってもすぐには通じないのだろう。かつての自分がそうだったから。
それでも、念のため書いておくと、
「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ」発言は、ご自身がエホバの証人を引きずっていることの表出。
「いつまでもエホバの証人を引きずっている人」も「やめたくてもやめられない人」も必死に生きている。理想と過酷な現実との差分を、縮めたり埋めたりするために何かを懸命に表現している。
それをね、僕たちみたいにエホバの証人完全シャットアウト、問題から目を背けていた人間がとやかく言う筋合いはないんじゃないかと。
“脱・元エホバの証人・脱会予備群に対するタカ派意見” への1件の返信