マウライとメキシコのエホバの証人の格差
『良心の危機』、第6章「二重基準と御都合主義」から。
本章では、かつてのマウライとメキシコのエホバの証人格差を指摘。
マウライのエホバの証人は一党独裁政権の党、つまりは政府の党員カードを購入することを拒否。結果、マウライのエホバの証人は家を焼かれて殺害されたり強姦されたりという迫害を受ける。
ものみの塔は党員カードを購入すればエホバの証人とは見做さない、排斥処分とするという指針。このため党員カード購入はマウライのエホバの証人にとって「踏み絵」として機能した。
同時期、メキシコでは別の基準がものみの塔によって運用されていた。メキシコのエホバの証人は役人に賄賂を支払って兵役を回避。それはものみの塔本部の認める所だった。この二重基準についてはエホバの証人の統治体メンバーも関知。
メキシコでは賄賂を支払い軍務を修了したという証明書を手に入れると、予備軍に所属することになる。世界中のエホバの証人は兵役の代替公務すら拒否して投獄の憂き目にあっている。何たる格差。
マウライのエホバの証人は生命・人権が脅かされるほどに迫害された。一方、メキシコのエホバの証人は兵役を拒否するために賄賂で偽造文書を手に入れるという不正を犯し、建前上は予備軍に所属する。
メキシコのエホバの証人は自身の置かれた矛盾状態に心を痛め、再三ものみの塔の世界本部へ問い合わせを入れている。それでもこの二重基準が変更されることはなかった。
「踏み絵」踏みまくりのメキシコのエホバの証人
このダブルスタンダードがまかり通った理由は驚くべきもの。
メキシコでは宗教組織が土地などの財産を保有することが禁じられていた。そのため、メキシコのエホバの証人は宗教組織でなく文化組織という体裁をとる。これもものみの塔の世界本部の指示。
集会の際に祈らない、賛美の歌を歌わない、布教の際に聖書を持ち歩かないという神への冒涜的姿勢。文化組織の仮面を被ってカルトの布教を行うという許されざる行為。
会衆での祈りや賛美の歌を行なわず、宣教活動において聖書を使わないことで、組織側はメキシコに協会の資産を所有することができ、他の宗教団体が遵守していた政府の規則に縛られずに活動できた
メキシコのエホバの証人がいとも簡単に神への祈りや聖書への敬意を捨て、「踏み絵」を踏み抜けたのは、ものみの塔世界本部の指示があったから。そのものみの塔は
信教の自由に対して圧力をかけるような国家の中にあったからではない。主に宗教団体の資産所有に関する政府の規則を逃れるため
に踏み絵を踏んじゃってという指示を出している。資産第一の物質的合理主義。
以上のようなことを知っていたからこそ、統治体のメンバーの中には、メキシコで行っていること全体からすれば偽造文書に賄賂を払うことなど大したことではないと思う人もいた
エホバの証人が地域によって異なった基準が適用されるというのには二つの理由がある。本書では見事にそれを指摘している。それは明日の記事にて。
“踏み絵を踏むのを許されるメキシコのエホバの証人、許されないマウライのエホバの証人” への4件の返信