エホバの証人のローカルルール~ものみの塔協会が唯一の真理ではない

エホバの証人二世の高校デビュー

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。禁止事項の多いものみの塔協会の教義を厳格に適用され、幼少期から少年期を過ごす。そして、14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。

そしてエホバの証人2世だったことなど素知らぬ顔で高等課程へ進学。いわゆる高校デビューである。この学校は自宅から1時間ほど離れていて、私のエホバの証人2世だった過去を知っている人はほとんど進学していなかった。

しかし、この学校には他の中学校からエホバの証人2世が進学してきており、偶然にも同じクラスに2人も2世信者がいた。1人は献身までしているという。さらに、私が元エホバの証人2世であるということを2人とも知っていたようだった。

私がエホバの証人組織へ戻ることに未練を捨てきれない両親が、クラスメイトたちの親と不要な連絡をとっているようだった。しかし、その2人は、私に対してエホバの証人という関係性で接触してはこなかった。

私にしてもそれは大歓迎だったので、知らぬ存ぜぬで通すことにしたのだった。

信仰を隠し通すエホバの証人2世たち

私が驚いたのは、同じクラスの彼らがエホバの証人であるということを全く公開しなかったこと。在学中に自らの信仰を表明する場面を一度たりとも見たことが無い。その必要が無かったという理由もある。

この学校の校風そのものが、よく言えば自由、端的にはふざけた感じで真面目に校歌や国歌を歌う学生は少なかった。部活動を熱心にやっている生徒は少なかったし、試合の応援に皆で駆けつけることも無かった。

武道の授業も選択式で違う種目を選ぶことが出来た。かつて、高専で剣道の授業を拒否して退学になったエホバの証人2世がいたのだが、大違い。なぜ柔剣道などの武道実技を拒否するのかというと、聖書に

彼らはもはや戦いを学ばない

と、書いてあるから。これをエホバの証人は、律義に厳格に字義通りに守らなければならない。この実技拒否で退学になったエホバの証人は裁判まで起こしている。

くじ引きかなんかで、体育の選択科目を選ばされたときのこと。私のクラスメイトだったエホバの証人は運悪く柔道を引き当てていた。どうするのかと見ていたら、こそっと先生に話しをして、違う科目に振り分けられていた。

いわゆる信仰の証言。私が彼らのエホバの証人っぽい行動を見たのはこの時だけ。

私は柔道着など持っていなかったし、柔道などしたくなかったので、くじも引かずに違う科目に紛れ込んでいた。私の周りもだいたいそうしていたので、エホバの証人ってやっぱりくそ真面目だなとこの時思った。

真面目な学生が少ないので、私などはすぐに染まって喫煙や飲酒を早々に始めてる。流石に同じクラスのエホバの証人2世たちはそういった悪事には手を染めず、真面目に学業に専念しているようには見えた。

私が感じる限りでは、エホバの証人の信仰の妨げになるような状況が全く発生しない学校だった。それでも私の家庭だったら”クラスメイトと担任の先生に証言して来い”くらいは親から言われていたはずである。

エホバの証人のローカルルール

その同級生の二名は、チャライ感じでとてもエホバの証人2世には見えなかった。そんな中途半端な感じだからエホバの証人を続けてしまっていたのだろう。

私の家庭のように厳格に教義を守らされ、エホバの証人感を滲み出させられると、どうしても年頃になるとエホバの証人をやめたくなってしまう。エホバの証人は地域や家庭によって厳格さというものに差がある

いわばローカルルールがエホバの証人には存在する。最重要な教義である輸血拒否が、国によっては解禁されていたりするのだから、ローカルルールの存在は当然とも言える。

エホバの証人は自らが唯一、神の言葉を代弁する組織で真理であると言う。しかし、こんな宗教が唯一つの真理と言えるのだろうか。結論は否。

人生をかけて退学になる学生や、まさに命がけの輸血拒否で死んじゃった子供までいる一方、ゆる~くエホバの証人をやることが許される地域が存在する。

それは教義の適用が属人的に行われているから。年配の経験の長い信者が、教理の適用・運用に裁量を持たせ、幅を利かしている。こんな組織がただ一つの真理を伝える組織であるはずがない。

エホバの証人の子供に生まれた不幸

元エホバの証人2世の高校デビュー


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