エホバの証人が偽の宗教である理由
『近現代日本とエホバの証人』。第五章「忍従の時代」より。
日本のエホバの証人の歴史を世界本部志向という観点から研究している本書。1990年代半ば以降に入って、エホバの証人の脱会者が増す。個別の体験談も取材されている。
その脱会体験談のうちのBさん、エホバの証人が真の宗教だと信じていた理由は
「神の名前(エホバ)を使用し、組織として政治的な中立を保ち、異教由来のクリスマスを祝わない唯一の教団」
だったからだという。こんなのは些末な事柄であったり、そもそも誤認だったり。
神の名前使っているかどうかなんてどうでも良いんだけど。「吾輩の名前間違えんな」って怒っている神、小さいっしょ。そして、恐らく聖書の神の名前はエホバってダサい発音じゃないし。
さらに、エホバの証人は政治的に中立ではない。選挙禁止、支持禁止ってめちゃくちゃ信者に圧力かけてくる。中立ってのは、あなたがどこの政党を支持しようが、どこに投票しようが関与しないということ。
そして、最後、クリスマスを祝うか祝わないかなんて、そんな小さなことで真の宗教が見分けられるはずがない。こんな細かいことに口出しする宗教は鬱陶しくて仕方がない。よって私にとってはエホバの証人は偽の宗教だ。
こう突っ込みながら読み進めていたのだが、直後に至極もっとも簡潔にこの真の宗教論が論破されている。
「真の宗教」ルールを決めたのは誰?
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