エホバの証人14才のバプテスマ
古いアルバムを見ていて、発見した写真。
海パン一枚で、風呂オケみたいなプールに下半身だけ浸かっている同級生の男の子。14才の秋。片手で鼻をつまんで、その手の手首をもう片方の手が掴む。目を閉じてうつむき気味。何かに祈っているかのようなポーズ。
写真は連続して撮られていて、中年の男性が同級生の全身を水に浸そうとしている。中年男性のほうは、海パンに上半身はなぜか白い肌着。
場所は室内で、背景は汚い打ちっぱなしの壁に大きなベニヤ板が貼りついている。場末感ただよう薄暗さ。
周囲に何人かの男女がいて、中には水着の女性も。風呂オケみたいなプールから上がってくる同級生を、その場の皆が拍手で迎えている。
これはエホバの証人のバプテスマという宗教儀式の一コマ。本人たちにとっては神聖なはずなのに、バプテストは昭和のオッサンみたいな白い肌着だし、場所は何だか汚らしい。ツッコミどころは多い。ほとんど冗談。
エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人が代表格になっている。
バプテスマとは、洗礼とか浸礼とか言った方が分かりやすい。エホバの証人がバプテスマを受けると正式な信者と見なさされる。バプテスマ以降、身内の信者からは「兄弟・姉妹」と呼ばれる。
私みたいに両親がエホバの証人で、生まれつきのエホバの証人の子どもがひとまず目指すのがこのバプテスマ。献身の儀式。身も心も「ものみの塔」に捧げますという誓いの表明。
ものみの塔はハルマゲドンという終末を予言している。清く正しいエホバの証人でなければ、この終末の日に神エホバに殺される。ハルマゲドンさえ生還すれば、エホバの証人には永遠の命が授与されるというウソ設定。
この永遠の命欲しさに、エホバの証人は布教活動を行い、ものみの塔に寄付金を捧げ、宗教活動に心血を注いでいる。その決意表明となるのがバプテスマ。
エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する2つの誤解
親に比較されるエホバの証人の子ども
この写真の中でバプテスマを受けている男の子は、私と同じ中学校に通っていた。同じクラスになったこともある。エホバの証人の2世信者同士、思春期真っただ中。同じクラスになって、やりにくいことも多かった。
彼が、私より先にバプテスマを受けることになった。親には同い年ということで、やんわりと比べられた。エホバの証人基準だと、その子のほうが優れている判定。これは子どもにとっては悲しいことだった。
「バプテスマがあの子の方が先だった」
これはすなわち、「あっちの子の方が優れている」ということを言っている。
「いや、オレの方が男前だし、成績も良いし足も速いし」、そんなことは言ってないのだが、たとえ言ってもエホバの証人の親には通じない。逆効果。
これはやっちゃダメな教育の仕方。親が我が子を他の子と比べちゃダメ。我が子の良いところを見てホメないと。人を殴った、モノを盗んだなんて、絶対にダメなところは、叱るべきだが、それ以外は子どもの長所にスポットライトを当てれば良い。
“エホバの証人の優劣を決めるバプテスマというギャグ儀式” への1件の返信