お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?

新宗教と既成宗教の違いとは?

『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。

新宗教と既成宗教とを区別する際に、比較的わかりやすい基準となるのが、在家集団であるかどうか

既成宗教には専門の神職が存在する。神主や僧侶、牧師など。この人たちは、当該宗教の専門家となり世俗の生活を捨てる。

しかし、新宗教にはこの専門の聖職者が存在しない。本書では新宗教の

教団の構成員はすべて俗人

であり、

新宗教は俗人によってのみ構成された在家教団である

と書いている。

ややこしい点が、在家教団の新宗教なのに出家者が山のようにいる点。本書では幸福の科学を例にとって説明している。エホバの証人など全く同じ。

幸福の科学のいう出家は、宗教活動に生活のすべてを捧げるというもの

この出家とは、エホバの証人でいうところの献身=バプテスマ。思うところあって、宗教活動に人生すべてを捧げる宣言をしてしまうという愚かな決断。

『芸能人と新宗教』~法の下の無法地帯、宗教法人の認証制度とは

お菓子の家教団に人生フルベット

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エホバの証人が壺を買う代わりにむしり取られるモノとは?

エホバの証人と高額の壺

昨日の記事で、「壺・結婚強制・政治干渉」の極悪三兄弟をやってないからエホバの証人は真の宗教だという寝言、その矛盾を指摘した。

今日以降は、エホバの証人も統一教会と大差ないということ、それを下記の順で示す。

  • エホバの証人は「壺・結婚強制・政治干渉」をやっていないどころか、この悪事を働いていること
  • 壺や政治干渉の有無などは悪行の一部の表出に過ぎず、本質は統一教会もエホバの証人も同じであること

まず、本日は壺。エホバの証人は高額商品を霊感商法で売り付けない体裁になってはいる。確かにモノは売らない。しかし、時間を要求される。何時間、布教しましたと上層部に報告させられる。

時間があれば金を稼げるわけで、だから時給なんて考え方がある。時間があれば金が生める可能性があるが、持ち時間がゼロなら金は使うことすらできない。つまり、時間は金より重要であるとも言える。

何よりも貴重な時間。時間は人生そのもの。そして、エホバの証人は布教活動に費やした時間の報告を義務付けられている。もっと励めとさらに多くの時間を要求される。布教だけでなく、集会、大会に参加する時間、集会所への行き返りの時間、集会の準備をする時間。

さらに、普通に現金での寄付金も要求されるし、公式サイトではクレジットカードや遺言なんかでの寄付も受け付けている。何から何までむしり取られる仕組みが出来ている。

エホバの証人が壺を買うの代わりに捧げるのは人生そのもの

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エホバの証人(JW)の割り当てとは?assignment?

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。マインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には依存しないということだが、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身である。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

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エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

エホバの証人の大会とは?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

エホバの証人の大会に潜入している筆者。エホバの証人の大会。壇上の講演者の煽りと盛大な拍手。否が応でも感じる一体感と温もり。多数の人と同じ方向を向いているという安心感。

それ、全部ウソですから。マインドコントロール用に作られた茶番。スポーツやライブコンサートでも見に行けば、同じ感覚を味わえるから。

「こんな人達と一緒なら・・・、ダマされてもいいや」

いや、ダメでしょ。ダマされたつもりでやって良いのは取り返しのつくことだけ。

取り返しのつかないマインドコントロール状態の人達。その人達と一緒ならなんて思ってしまう段階で、エホバの証人のマインドコントロール大会に呑まれている。

ものみの塔にダマされれば、人生まるっと搾取される。無駄な一生を送ることになる。無駄なだけでなく社会に害をもたらすカルト活動に人生を捧げることになる。親であれば、子供や配偶者をも有害カルト活動に巻き込むことになる。

エホバの証人の献身、ものみの塔に対する人身売買契約

エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する二つの誤解

カルト儀式、エホバの証人のバプテスマ

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エホバの証人(JW)組織が行っている脅迫と殺害予告

エホバの証人が完全入信してしまう理由

元エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』より。

エホバの証人の完全入信「献身・バプテスマ」。人身売買級のヤバさであると昨日の記事で書いた。機関紙「ものみの塔」の中で、存在すら怪しげな神に

  • 永遠に
  • 自分の権利を全て放棄し
  • 命を捧げよ

と、書いてある。エホバの証人に関わると、到達地点として圧力をかけられるのがここ。

エホバの証人組織内では、献身しないと一段下に見られ、正式な仲間とみなされない。エホバの証人たちはお互いを「兄弟・姉妹」と呼び合うのだが、基本的に「兄弟・姉妹」と呼ばれるのは献身した信者だけ。

私みたいな完全部外者からすると、「兄弟・姉妹」と呼び合う気持ち悪い集団には、関わりたくもない。ところが、カルトに片足を突っ込んてしまうような弱点・隙のある人にとっては、どんな激ダサ集団であれ認められることが最重要課題。

未だ満たされたことのない承認欲求を埋めるために、「早くバプテスマを受けなきゃ」となる。マインド・コントロールの始まり。他に何も見えなくなる。

エホバの証人の殺害予告

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エホバの証人の献身、ものみの塔に対する人身売買契約

エホバの証人の献身・バプテスマのヤバさ

元エホバの証人の骨太論考集『エビのしっぽ』から。

エホバの証人の入信「献身・バプテスマ」の戒律について。本書では、エホバの証人の機関紙「ものみの塔」誌から、以下のように引用している。引用の引用。

ものみの塔2017年4月「誓約することは果たせ」

  • クリスチャンが行う最も重要な誓いは、エホバに命をささげるという約束

  • 神への祈りの中で、これからどんなことがあっても、あなたに永遠に仕えるために自分の命を用います、という厳粛な約束をする

  • イエスが述べたとおり、これは「自分を捨て」ること、つまり自分の権利を全く放棄すること

  • 自分の権利を全く放棄すること

  • 生活の中で神のご意志を第一にすることを誓うのです

  • その日から、その人は「エホバのもの」

これヤバくないすか?ほとんど人身売買。絶対お断りなんすけど。

こうして引用の引用で読んでいるから、この文章のヤバさ、ものみの塔の異常さが分かる。

不思議なことに、「ものみの塔」誌面上で読んでいたり、信者に交じってエホバの証人流の「研究・討議」方式で読んでいると、自分を殺して、神に全てを捧げることが正しいことに思えてくる。むしろ、そうすべきと感じちゃう。

だから、大量の入信済のエホバの証人が存在するのだろう。

この要因は、ものみの塔の言うことは絶対正しいという思考停止状態であったり、組織内の強烈な同調圧力であったり。

しかも、全てを捧げる神は存在もしない架空神エホバ。

エホバの証人(JW)の聖書研究、体系だった洗脳手法

ものみの塔協会よ、誓約したことは果たせ

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エホバの証人の優劣を決めるバプテスマ

エホバの証人14才のバプテスマ

古いアルバムを見ていて、発見した写真。

海パン一枚で、風呂オケみたいなプールに下半身だけ浸かっている同級生の男の子。14才の秋。片手で鼻をつまんで、その手の手首をもう片方の手が掴む。目を閉じてうつむき気味。何かに祈っているかのようなポーズ。

写真は連続して撮られていて、中年の男性が同級生の全身を水に浸そうとしている。中年男性の方は海パンに上半身はなぜか白い肌着を着用。

場所は室内で、背景は汚い打ちっぱなしの壁に大きなベニヤ板が貼りついている。場末感ただよう薄暗さ。

周囲に何人かの男女がいて、中には水着の女性も。風呂オケみたいなプールから上がってくる同級生を、その場の皆が拍手で迎えている。

これはエホバの証人のバプテスマという宗教儀式の一コマ。本人たちにとっては神聖なはずなのに、バプテストは昭和のオッサンみたいな白い肌着だし、場所は何だか汚らしい。ツッコミどころは多い。

エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人格。

バプテスマとは洗礼とか浸礼とか言った方が分かりやすいのかも知れない。エホバの証人がバプテスマを受けると正式な信者と見做される。バプテスマ以降、信者からは「兄弟・姉妹」と呼ばれる。

私みたいに両親がエホバの証人で、生まれつきのエホバの証人二世の子どもがひとまず目指すのがこのバプテスマ。献身の儀式。身も心も「ものみの塔協会」に捧げますという誓いの表明。

ものみの塔協会はハルマゲドンという終末を予言している。清く正しいエホバの証人でなければ、この終末の日に神エホバに殺される。ハルマゲドンさえ生還すれば、エホバの証人たちには永遠の命が授与されるという設定。

この永遠の命欲しさに、エホバの証人たちは布教活動を行い、ものみの塔協会に寄付金を差し出し、エホバの証人活動に心血を注いでいる。そして、その決意表明となるのがバプテスマ。

エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する二つの誤解

エホバの証人のバプテスマとは

親に比較されるエホバの証人の子供

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エホバの証人の奇跡体験は全部勘違い、バプテスマと油注がれる天啓

エホバの証人の天啓はすべて勘違い

エホバの証人のバプテスマにおける勘違い

エホバの証人のバプテスマとは、一般的なキリスト教で言うところの洗礼や浸礼の儀式。

エホバの証人のバプテスマは、体全体を水の中を潜らされることで完成する。

エホバの証人はバプテスマを受けることで、ものみの塔に献身するという意思表明を行う。本人たちは神エホバに献身しているつもりなのだが、そんな神は存在しない。そのため、エホバの証人のバブテスマは、教団への献身。

当然、バプテスマの前後に神の導きのような、何らかの強烈な体験が伴うことは無いあるとしたらただの勘違い。

私の母も、バプテスマを受けたときに光を浴びたというような話をしていた。この日は晴れていたので、普通に日光を浴びただけだろう。

エホバの証人に神々しい光が降臨することなどない。

エホバの証人は、修験道や修道院の僧侶のような過酷な修行に挑み、自分の限界を探しているわけではない。修行の末に臨界点に達すれば、自身と世界の境界に触れるような体験があるのかも知れない。エホバの証人の場合、それは当てはまらない。

惰性で宗教活動をしているエホバの証人に、奇跡体験が訪れることはない。すべてはものみの塔のマインドコントロールからきた幻想と思い込み。

バプテスマのさなか、膨らむ妄想と水着の下半身

エホバの証人が奇跡体験するのは、心を病んでいるから

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エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する2つの誤解

エホバの証人のバブテスマに対する誤解

エホバの証人のバプテスマに関する2つの誤解

エホバの証人としてある程度の経験を重ねると、バプテスマという献身の儀式を受けるよう教団側から求められる。同調圧力、無言の圧力によって、ときには直接的にも要求される。

バブテスマというのは、普通のキリスト教で言うところの洗礼の儀式。

本人が望んでエホバという神に献身しているつもりなのだが、実情は違う。ここに誤解が2つある。

  1. エホバの証人は、自ら望んで献身しているわけではない
  2. エホバの証人が献身しているのは、神ではない

エホバの証人は、自ら望んで献身しているわけではない

エホバの証人組織内でのヒエラルキーは、献身した者>献身していない者。献身した者ほど神に愛されるという建前で、献身している信者ほど教団内で優遇される。

こう序列をつけられると、可能であれば上にあがりたいと思うのが人情。しかも、エホバの証人と関わろうなんて人は、世間で劣等感を抱えていたり、心身に不調があったりという人。少しでも誰かに認められたいという思いが強い。

献身の有無で序列はない、とエホバの証人は言うだろうが、そんなことはない。キッチリ序列がある。会衆の決議で決を採られるのは献身済み信者だけ。

決議は寄付金の運用・仕様方法がメインになる。未献身信者も寄付はしているのだから、当然決議に加えるべきなのに、そうでない。やはり、ここに序列が存在する。
(※この決議は、反対者がほとんどでない既定路線。凄まじい同調圧力が発生している)

エホバの証人は献身すると「○○兄弟、○○姉妹」と呼ばれるのだが、献身していない信者は「研究生」と呼ばれる。この時点で、研究していない信者は一段階、蔑まれている。兄弟姉妹とは認めないということだから。

この兄弟姉妹という呼び方は、エホバの証人の排他性も表している。エホバの証人でない者は身内でない、という差別感情。

エホバの証人組織は、未献身の信者たちが「上に上がりたい、兄弟姉妹として認められたい」といった感情を抱くように仕向けている。つまり、本人が心から望んだわけではなく、本人が「献身したーい」と望むように、教団側から仕向けられている。

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教団組織に献身するカルト儀式、エホバの証人のバプテスマとは?

エホバの証人のバプテスマとは・・・

エホバの証人の洗礼・バプテスマとは

エホバの証人は、お互いを兄弟姉妹と呼び合う。女性の信者だったら○○姉妹、男性なら○○兄弟と呼ばれる。しかし兄弟姉妹と認められるには、バプテスマと呼ばれる洗礼の儀式を受けないといけない。

エホバの証人のバプテスマを受けると、ものみの塔協会に献身したということになる。ものみの塔協会に何もかもを捧げる覚悟を決めたということ。

この献身の覚悟ができた者だけしか兄弟姉妹と認められない。排他的なエホバの証人の組織構造。

バプテスマの儀式は、大会という大きな集まりの際に行われる。バプテスマ用に、小汚い小さなプールが大会会場に設置される。

儀式は、バプテスマを受ける側と、施す側のバプテスト双方が水着になって行われる。バプテスマを受ける信者が、一人一人バプテストによって水中に一瞬沈められる。

心からものみの塔に献身していない人は髪の毛が水面に浮いてしまう、などというエホバの証人都市伝説があるが、これはデタラメ。

エホバの証人のバプテスマは、組織崇拝・偶像崇拝の始まり

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