エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。
エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。
エホバの証人の割り当てとは?
正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。
亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。マインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には依存しないということだが、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身である。
仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。
エホバの証人が献身する前には、伝道者認定を受けなければならない。伝道者になると、街頭に立ったり、他人の家から家を回りまくったり、コロナ後には電話や手紙でエホバの証人の布教を行うことになる。
この伝道者人数がエホバの証人の人数として集計されていることが多い。
さて、伝道者になるためには伝道のトレーニングを受けなければならない。その学校が神権宣教学校。被害者児童はこの学校に入学したばかりだった。
神権宣教学校のカリキュラムは、他の信者の前で自作の聖書講話や伝道を模した寸劇を行う形式。その評価がなされ習熟が進む。この講話や寸劇の順番が回ってくるのが「割り当て」。英語のアサインを訳した表現であろう。
この少年は、亡くなった翌日が初めての「割り当て」、初めて自作の話を聴衆に向けて行う日だった。前日に向かっていた信者の家で、翌日の初「割り当て」の最終調整を行う予定だった。
初「割り当て」が果たせず無念だったのかどうかは定かではない。しかし、10才の少年が自作の話を聴衆に向けて「初めて」行うというのは、本人にとって深い意味を持つ。
私にとってもそうだった。私もこの初体験は乗り越えており、とても緊張したのを覚えている。そして、
大勢の前で話すという緊張以上に、この初「割り当て」体験には重要な意味がある。
少年は初めての「割り当て」前日に亡くなった。この初体験の意味するところが死を招いたのではないだろうか。実は、私の初「割り当て」にも死が絡んでいるからだ。この初体験の意味と死については明日の記事にて。
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