エホバの証人と高額の壺
昨日の記事で、「壺・結婚強制・政治干渉」の極悪三兄弟をやってないからエホバの証人は真の宗教だという寝言、その矛盾を指摘した。
今日以降は、エホバの証人も統一教会と大差ないということ、それを下記の順で示す。
- エホバの証人は「壺・結婚強制・政治干渉」をやっていないどころか、この悪事を働いていること
- 壺や政治干渉の有無などは悪行の一部の表出に過ぎず、本質は統一教会もエホバの証人も同じであること
まず、本日は壺。エホバの証人は高額商品を霊感商法で売り付けない体裁になってはいる。確かにモノは売らない。しかし、時間を要求される。何時間、布教しましたと上層部に報告させられる。
時間があれば金を稼げるわけで、だから時給なんて考え方がある。時間があれば金が生める可能性があるが、持ち時間がゼロなら金は使うことすらできない。つまり、時間は金より重要であるとも言える。
何よりも貴重な時間。時間は人生そのもの。そして、エホバの証人は布教活動に費やした時間の報告を義務付けられている。もっと励めとさらに多くの時間を要求される。布教だけでなく、集会、大会に参加する時間、集会所への行き返りの時間、集会の準備をする時間。
さらに、普通に現金での寄付金も要求されるし、公式サイトではクレジットカードや遺言なんかでの寄付も受け付けている。何から何までむしり取られる仕組みが出来ている。
エホバの証人が壺を買うの代わりに捧げるのは人生そのもの
エホバの証人に求められるのは「全き専心」だか「全くの専心」、全てを神に捧げよと言われている。献身「バプテスマ」の儀式なんかその象徴。身も心を何もかも神に捧げよと。
この神ってのはエホバの証人の場合は「エホバ」。こんな神は存在しないので、エホバの証人が全財産・全人生を捧げるのは、ものみの塔という組織。
エホバの証人の場合、輸血拒否で命まで落としちゃうことも考えると、「壺」が幾ら高額であろうが、エホバの証人のむしり取られるモノの重さと比べても大差ない。エホバの証人の方が、統一教会より搾取の仕組みを周到に巧みにバレにくくしているだけ。
この点、『近現代日本とエホバの証人』では以下のように述べている。第三章「不確定の時代」より。
合理的に計算可能な「時間」は、要求する側も提供する側も、他者や他国との比較や目標設定が容易である。それだけでなく、金銭と比して要求/提供のハードルが低く、問題化しにくい。
金の要求は程ほどにしておいて、残りは「時間」で支払えという態度がエホバの証人。問題化しにくいため、信者は死ぬまで「時間」を、言わば人生そのものをむしり取られる。
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