エホバの証人のバプテスマにおける勘違い
エホバの証人のバプテスマとは、一般的なキリスト教で言うところの洗礼や浸礼の儀式。
エホバの証人のバプテスマは、体全体を水の中を潜らされることで完成する。
エホバの証人はバプテスマを受けることで、ものみの塔に献身するという意思表明を行う。本人たちは神エホバに献身しているつもりなのだが、そんな神は存在しない。そのため、エホバの証人のバブテスマは、教団への献身。
当然、バプテスマの前後に神の導きのような、何らかの強烈な体験が伴うことは無い。あるとしたらただの勘違い。
私の母も、バプテスマを受けたときに光を浴びたというような話をしていた。この日は晴れていたので、普通に日光を浴びただけだろう。
エホバの証人に神々しい光が降臨することなどない。
エホバの証人は、修験道や修道院の僧侶のような過酷な修行に挑み、自分の限界を探しているわけではない。修行の末に臨界点に達すれば、自身と世界の境界に触れるような体験があるのかも知れない。エホバの証人の場合、それは当てはまらない。
惰性で宗教活動をしているエホバの証人に、奇跡体験が訪れることはない。すべてはものみの塔のマインドコントロールからきた幻想と思い込み。
エホバの証人が奇跡体験するのは、心を病んでいるから
エホバの証人が、バプテスマのときに光が見えるなどという奇跡体験をする理由。他には、信者が教団内で心を病むことも影響する。
これは、エホバの証人の王国会館が、元々心を病みがちな人々の現実逃避の場であることも大きく影響している。
もともと夢想癖があったり、被害妄想体質の人が王国会館でラブシャワーを浴びて有頂天になる。
- これこそ真理の組織だ
- 教団内での密告・陰口・嫉妬・特権主義に絶望
- もともと脆弱な精神を病む
これがカルトの王道。
エホバの証人の油注がれちゃった人々も同じ。エホバの証人的には、最初の使徒以来、選抜された14万4000人が油注がれた、という設定になっている。こいつらが死後昇天し、キリストと共に地上を統治するというものみの塔のトンデモ教理。
この14万4000人は、油注がれた忠実で思慮深い奴隷と呼ばれ、選抜の証しに何らかの奇跡体験を踏むことになっている。
このエホバの証人の油注がれてしまった人々は、天に昇り地上を統治したいという傲慢な願いが昇華した結果の勘違い。どこまでも出世したいという特権主義に溺れている。だいぶ病んでいる。彼らは、存在しない偽神エホバへの盲信を、敬虔な愛だと勘違いしている。
その結果、何らかの強烈体験による神のお告げのようなものがあったと錯覚。彼らの誤認により、油注がれた人々は14万4000人の計算が合わない人数に増殖している。
エホバの証人の14万4000人のオモシロ教理は、ものみの塔が偽予言者である証拠
“エホバの証人の奇跡体験は全部勘違い、バプテスマと油注がれる天啓” への1件の返信