エホバの証人二世の子供が感じる初めての違和感は暗黒の始まり

エホバの証人二世の子供が初めて気付く違和感

私は小学校に入る1986年に1度目の引越しをする。エホバの証人の会衆は変わらず、小学校が隣の校区へ変わるだけ。エホバの証人2世の子供は、幼稚園や保育園といった幼児教育を受けない。そのため仲の良い友達と別れるというようなことは無かった。

そもそもエホバの証人2世の幼児にとってはエホバの証人の世界がほぼ全て。引越しした先で、小学校に入学した私は初めてエホバの証人以外の社会に触れることになった

引っ越す前に同じアパートに住んでいた男の子が地元のお祭りに行こうと”はっぴ”を来て誘いに来てくれたことがあった。お祭りは突き詰めると八百万の神々に対する感謝の行事。よって異教のものであるという理由でエホバの証人にとっては禁止事項。私は母親に遮られてお祭りに行くことは出来なかった。

この時に感じたエホバの証人ゆえの小さな違和感を小学校生活では常に味わうことになる。この違和感に気付いたときはすでに遅すぎた。両親は後戻り出来るような健全な思考状態にない。完全にものみの塔協会のマインドコントロール下にあった。子供の私が何を言っても始まらない。逆らおうものなら、待っているのは懲らしめと呼ばれる体罰。

エホバの証人2世の子供が辛い小学校生活を送ることになる理由

日本の小学校に通う子供にとって、他人とちょっとでも違うというのは大問題。今でこそ多様性を認めようと言われる時代になったが、私の子供の頃、1980年代~90年代の日本の小学校にはそんな空気は一切なかった。

クラス中が総中流階級。全員日本人。全家庭に両親がいて、片親家庭はゼロ。そして全家庭が核家族。郊外都市の小学校は、そんな金太郎飴を切ったような画一的な家庭背景だった。

クラスメイトよりちょっと優れている劣っている、ちょっと金持ち、ちょっと貧乏、ちょっと頭が良い悪い。それだけでもいじめのターゲットになりかねない。

個性を一切認めない環境が悪いのだが、そんな環境を子供の方では変えようがない。個性が認められない日本の小学校において、変な宗教に入っていて違和感ありまくりの子供というのは最悪の状況。

簡単にいじめの対象になるし、自分は他人と圧倒的に違うという恥の感情を常に抱かざるを得ない。実は他人と違うのは恥でも何でもないのだが、日本の小学校ではそれを教えない。逆に矯正される。

常に恥の感情を抱えたまま生活するということは、自尊心を大きく損なって成長することを意味する。大人になったエホバの証人二世が親や他人に依存したり、自殺したりという種は既に子供の頃に仕込まれている。

本人の頑張りや意欲、才能以外で、子供が悪目立ちすることが無いよう、親は注意を払わないといけない。少なくとも1980年代~90年代の日本の小学校に通う子供にとってはそういう配慮が必要だった。子供の心は微妙で繊細。

しかし、エホバの証人の親にとってはそういった配慮は一切ない。自分たちは神に仕える特別な者。特別な者なら目立つのも当然。目立って模範的でいなさいくらいの無配慮。デリカシーの欠如。子供の心よりものみの塔を優先させる態度。

こうしてエホバの証人二世の子供は暗黒の子供時代を送ることになる。

自意識過剰なエホバの証人2世

友達の出来ないエホバの証人


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