エホバの証人2世が感じる数多の視線、過剰な自意識を醸成

多くの視線にさらされるエホバの証人2世

エホバの証人2世の子供は、常に多くの視線にさらされている。その視線が現実であるにしろ違うにしろ、エホバの証人2世の子どもは、いつも他者の視線をひどく気にしている。

両親や他のエホバの証人信者からは、ものみの塔の教義を遵守しているか監視され続ける。親同士の密告、子どもの間で親に言いつけられることもしばしば。

エホバの証人でない大人からは、哀れみの視線を受ける。親に布教活動のために屋外を連れまわされていると、「偉いね」と言われつつ「可哀そうに」という視線を強く感じた。

エホバの証人の子供たちは、信者でない人々が無知だから哀れむのだと教えられる。実際に私はそう信じていた。本当に無知なのはものみの塔に騙され、搾取されているエホバの証人の方で、周囲の一般人の感覚が正しい。

エホバの証人には厳しい戒律が存在するので、学校のほとんどの行事には参加できない。行事不参加を表明する度に先生から不信の視線を浴びる。行事に不参加でも見学を余儀なくされる。

見学中は同級生の好奇の視線を浴びる。子供社会において、エホバの証人の子供の行動は、いじめの対象にして下さいと自らお願いしているようなものだ。

給食の前、エホバの証人の子供は合掌が出来ない。皆が「いただきます」と手を合わせているときに、一人だけキリスト教の祈りのスタイルを取らなければならない。両手を握り合わせたポーズ。ほとんど変態。

給食の前には常にこの苦痛の時間があり、クラスメイトの好奇の視線を一身に浴びる。この変態状態でそっとしておいて欲しいという方が、珍しいもの好きな子供の間では土台無理な話。いじられまくり、最終的にはいじめに発展。

果てには、神エホバやキリストの視線にまで、エホバの証人の子供は怯えるようになる。エホバの証人の根底には、ものみの塔の掟に従わないとハルマゲドンで滅ぼされるという恐怖心がある。

ものみの塔による洗脳が最終段階に達すると、ハルマゲドンのジャッジメントのために、神エホバに常に監視されていると感じるようになる。このように、

エホバの証人2世の子供は、常に有象無象の視線に常に怯えている

自意識過剰な大人へと育つエホバの証人2世

子供が不必要に目立つといじめのターゲットになる。エホバの証人であるために仕方がない所以外では、極力変だと思われないようにしなければならない。これがエホバの証人の子供が子供社会をサバイバルするための方法。

このエホバの証人2世の子供が置かれた環境は、彼ら特有の性格を形成していく。人からどう見られているかということを第一に考える性格。

人から変人だと思われていないか?変わっていると思われていないか?子どもの頃から常に気にしてきた習慣である。大人になっても簡単には変われない。

厳しい教義に縛られ、親にがんじがらめにされるため、エホバの証人2世は自分の意思、意見というものを持ちにくい。自分の考えや希望を持っても、それをエホバの証人の親が許すことはない。常にものみの塔の教義が優先されるから。

結局、エホバの証人の子供は、周囲に合わせて生きていくしかない。それは、周囲から自分がどう見られているか常に気にし続ける生活。

実際、そんなに周囲の人は自分のことを見ていないのに、常に見られているという感覚が付きまとう。自意識過剰なだけ。このようにして育まれた、エホバの証人2世の過剰な自意識は、後の人生で私の大きな足かせとなった。

模範的生き方を強要されるエホバの証人二世の苦悩


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