エホバの証人2世の過酷な幼児生活
エホバの証人2世の子供には過酷な生活が待っている。私は、幼稚園や保育園といった幼児教育を一切受けていない。同年代の幼児が保育園で昼寝をしているような時間には、母親にエホバの証人の布教活動に連れ回されていた。
エホバの証人の布教活動は、伝道奉仕活動、野外奉仕活動、ボランティア活動などと自称されている。エホバの証人がもっともエホバの証人らしく見えるはた迷惑な宗教勧誘。
信者たちが決まった場所に複数人で集まり、ペアを組んだり、親子だったりで家々の呼び鈴を鳴らして周りまくる。
「ボランティア活動で来たのですが」と始め、信者の勧誘を行う。集合する場所、周るエリアは漏れがないように周到に計画されている。留守だった家は地図にマーキングされ、後日、留守宅訪問と称してやってくる。
雨でも雪でも炎天下でも、ひたすら家から家へと2時間から3時間も歩かされる。宮沢賢治かと。こんな修行僧のような生活を、喜びと感じる幼児がいるはずがない。
エホバの証人2世のストレスフルな学校生活
小学校へ入学すれば、エホバの証人の布教活動から逃れられるのかと言えば、そんな旨い話はない。学校の先生にエホバの証人の子供としての立場を話さなければならない。通称、信仰の「証言」。
ものみの塔協会は、自分たちだけが唯一の真理を語る組織であると、自称している。他の宗教はもちろんのこと、キリスト教の他の宗派を全否定している。よって、全ての宗教的な行事をエホバの証人は行わない。
他の宗教、思想を一切認めないという了見の狭さがエホバの証人の凝り固まった思考を育んでいる。
当然、エホバの証人2世にもその被害は及ぶ。クリスマス、節分、バレンタイン、給食前の合掌、そういった宗教臭のする全ての学校行事の一切に参加することが出来ない。
特に給食の前の合掌が出来ないのは毎日のことで、私にとって非常に大きなストレスだった。給食の時間になるとよく腹痛が起こった。
合掌しないだけなら、まだマシなのだが、エホバの証人は食事の前には独自のスタイルで祈りを捧げなければならない。両手を握り合わせて、目を閉じるという、子供ながらに恥ずかしいスタイル。
心の中で「天におられます父エホバよ。今日のパンに感謝します。迫害にあっている南アフリカの兄弟姉妹に平穏が・・・云云かんぬん・・・イエスキリストの御名を通じて、アーメン」と。
できるだけ早く終わるように、心の中で早口で唱えるのだが、これが終わる頃には、周囲の奇異の視線で食欲も完全に失せる。エホバの証人をやめた後、初めての給食はものすごく美味しく感じたのをよく覚えている。
またエホバの証人の教義では、武術、選挙、国家や校歌の斉唱なども禁止。武術は柔剣道から相撲、騎馬戦まで全て禁止。エホバの証人の使っている新世界訳聖書に書いてある
彼らはもはや戦いを学ばない
の一節によるもの。そのためエホバの証人は徴兵にも一切応じない。
選挙は、小学校の選挙もNG、学級委員から生徒会まで全て禁止である。国歌、校歌は歌わないし、応援などもできない。
その都度、学校の先生へ「できません」と言わねばならない。これが、まだ小さな子供に求められる。子供の私にとって途方もないストレスだった。
“エホバの証人2世の受難、幼児期以降に気の休まる時は無し” への1件の返信