エホバの証人2世の学校生活
私は生まれながらのエホバの証人だった。小学校高学年になった私は、クラスメイトと同じようにクリスマス会に参加したかったし、校歌も国家も普通に歌い、騎馬戦にも出たかった。
しかし、そういった活動すべてはものみの塔の柔軟性のない態度によって禁止されていた。ものみの塔は、他の宗教を全て異教・異端とみなし攻撃対象にしている。本来は自分たちが異端そのものなので、滑稽な話。
クリスマスは普通にキリスト教に関連した行事なのだが、エホバの証人から見ると異端の行事のため禁止。節分や七夕は、当然のように禁止。
私の子どもの頃はなかったのだが、最近騒がれるようになったイースターやハロウィンも禁止。
給食の前の合掌も、日本の神仏への祈りのポーズと同じなのでNG。合掌しないだけならともかく、キリスト教ポーズで祈りを捧げなければなかったので、周囲から見ると明らかな変人。給食は毎日のことなので辛かった。
エホバの証人の子どもには心休まる日は無い。
学校の先生は、小学生の私が何らかの行事に参加しないと言うたびに干渉してきた。この行事は宗教性は無いのではないかと。しかし、小学生だった私がエホバの証人の掟を破ったらどうなっただろうか?
親に怒られるだけでは済まない。エホバの証人の教理に背くということは、狂信的なエホバの証人信者である親との決別を意味する。
親の保護なしには生きられないし、親を捨てる覚悟もない。10才ちょっとでその覚悟はなかなか持てない。親に保護されて生きてきた時間が、人生の総量に占める割合として大きすぎた。いまだ、両親の愛情を必要とする年齢だった。
であれば、親に秘密で学校だけでエホバの証人でない顔をするしかない。しかし、学校の先生はその秘密保持を保証できない。親に黙っていて、後でばれたとき、自己の保身ができないから。
エホバの証人の親は怒り狂いますよ。子どもに異教の行事を押し付けたんじゃないのかと。覚悟も無いのに、仕事だから念のため干渉してくるだけの無能な地方公務員、エホバの証人の子どもだった私は、学校の先生をその程度に捉えていた。
エホバの証人の子供に生まれた圧倒的不幸
エホバの証人の戒律を破ったことが親に発覚した場合、こらしめという体罰を受けるのは子どもの私。こらしめとは体罰のことで、児童虐待の一種。現在なら家庭内での体罰も容認されないのだが、私が子どもだったのは20世紀のこと。しかし、
現在でも、体罰に関しては秘密主義のエホバの証人の中は治外法権だろう。愛のムチと称して、ベルトや定規などでお尻を引っぱたかれているはず。
素肌に打たれるベルトは痛いし、ズボンを下ろしてお尻を出すのは屈辱的だった。
両親に対して秘密裡に、給食の前に合掌をして何とか周囲の痛い視線を和らげたいと、何度も思ったことがある。しかし、その秘密は守られることはない。先生が黙っていてくれたとしても、校内にエホバの証人がいれば、彼らに告げ口される。
小学校の頃は、エホバの証人は同クラスにはいなかったのだが、中学校になると同学年に2人いて、同じクラスになることもあった。たかが数百人しかいない小さな田舎の中学校なのに。全国津々浦々まで蝕むものみの塔の毒牙。
給食の時間に私が合掌していれば、クラス内のエホバの証人2世とその親を通じて、私が戒律を破ったことがたちまち両親に伝わる。エホバの証人は尋常でなく噂話が好き。密告社会。
小学校高学年の頃には、エホバの証人2世という自分の境遇が、圧倒的な不幸だと確信していた。他人と違うということがとても嫌だった。
周囲の普通の子どものように、クリスマス会やバレンタインや節分や地元のお祭りや子供会のキャンプに参加したかった。少年野球のチームにも入りたかった。
しかし、そんな希望を両親に告げようものなら、彼らの大きな失望とこらしめが待っている。どうしようもなかった。早く大人になって独立したら、エホバの証人をやめることができるだろう、という漠然とした希望しかなかった。
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