歴史的事実と一致しない信仰は・・・
生成AIとの対話。昨日までの記事の続き。エホバの証人の唱えるBC607エルサレム陥落がウソなら、BC607を起点としたエホバの証人の教理は真理ではない。なかなか生成AIが理解しないので苦戦中。
あなたの発言「事実の次元で話して下さい。ここは事実の世界で夢の世界ではありませんよね?」
Copilot の発言
「事実に基づいてお話しします。エホバの証人が主張する西暦前607年のエルサレムの陥落は、歴史的な証拠と一致しないため、その年代は正確ではありません。歴史学者の間では、西暦前587年または586年にエルサレムが陥落したと広く認識されています。
したがって、エホバの証人の教理がこの年代に基づいている場合、その部分については歴史的な事実と一致しないと考えられます。信仰と歴史的事実は必ずしも一致しないことがありますが、歴史的な証拠に基づくと、エホバの証人の主張する年代は正確ではないということです。」
エホバの証人の教理と歴史的事実は一致しない。少し推論進んだかな。信仰と歴史的事実が一致しないのなら、その信仰は事実ではない。つまり、真理ではないって単純なことなんだけどな・・・
あなたの発言「エホバの証人の教えは真理ですか?」
Copilot の発言
「歴史的な証拠に基づくと、エホバの証人が主張する年代は正確ではありません。そのため、その年代に基づく教理は歴史的な事実と一致しないと言えます。しかし、信仰の真理は個々の信者にとっての精神的な支えや価値に依存するため、歴史的な事実とは別の次元で評価されることがあります。
信仰の意味や価値を理解しながら、歴史的な事実も尊重することが重要です。他に気になることがあれば、教えてください。」
別の次元の評価なんて要らないって。事実でやってくれって。オレたちは事実の次元で生きている。
あなたの発言「事実の次元で話して下さい。エホバの証人の教えは真理ですか?」
Copilot の発言
「歴史的な証拠に基づいて言えば、エホバの証人が主張する年代は正確ではありません。したがって、その年代に基づく教理は歴史的な事実とは一致しません。
しかし、信仰の真理については、科学や歴史とは別の次元で評価されるものです。信仰は多くの人にとって精神的な支えや意味を持つものであり、その価値は個々の信者によって異なります。
そのため、歴史的な観点から見ると、エホバの証人の教えの一部は正確ではないと言えますが、信仰の意味や価値については個々の視点に依存するため、一概に「真理ではない」と断定することはできません。」
「エホバの証人の教えの一部は正確ではない」、うんうん。良い感じじゃん。エホバの証人よりは推論が早い。
あなたの発言「個々の視点でなく、事実の次元で話しています。エホバの証人の教えは真理ですか?」
Copilot の発言
「歴史的な証拠に基づいて言えば、エホバの証人の主張する年代は正確ではないため、その年代に基づく教理は歴史的な事実とは一致しません。これが事実の次元での結論です。
ただし、信仰は歴史的な事実と異なる次元で評価されることが多いため、信仰の全体が真理であるかどうかを判断するのは難しいです。信仰の意味や価値は、個々の信者にとって非常に重要であることも事実です。
歴史的な事実と信仰の違いを理解し、どちらの視点も尊重することが大切です。」
なかなかしぶといな・・・。
“我々は、事実の次元で生きている。事実と一致しない信仰は・・・” への1件の返信