ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

ものみの塔の予言は時が来ると見解に変わる

『良心の危機』第7章「予言と独断」より。エホバの証人の予言によると、かつては1914年が終着駅だったのだが、いつの間にか1914年が出発地点になっていたと昨日の記事で書いた。

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1914年以前のものみの塔本では

1914年が「不完全な人間たちによる統治の終わりである」と断言されている

しかし、

1914年について自信満々に予言していたことが起こらなかったため

1914年以降のものみの塔本では、予言ハズシを隠すために

明らかな手直しが行われている

当時ものみの塔会長であったラッセルは1914年何が起こるかについて特に何も言っていなかった

ことにされている。さらに

強い期待感や独断的な主張があったとすればそれはラッセルではない側、つまり読者の側に責任があった

という書き方をするようになった。責任転嫁。

本書の著者はこれがいかに欺瞞であるか、退屈な大昔のものみの塔本をきっちり引用して証明している。

1914年以前のものみの塔は、1914年に地上の国家権力が崩壊するのは揺るがない真理と書いている。ところが1914年が近づくと日和って

我々としては異邦人の時が患難の時に終わることについて、あるいはそれに続いてやってくる栄光の時代について、何も預言したことはないのです。我々はただ聖書の言うところを示し、その意味について我々の見解を示したのであり、これがいかなる意味を持つかについては読者諸君それぞれが判断してもらえるようお願いしたようなわけなのです。

と、完全消化不良な書き方になる。

ものみの塔が言う見解というのは、単なる妄想に過ぎない。かつては確信に満ちた真理と書き、刻限が近づくと一見解ですと及び腰になる。これがものみの塔詐欺。これは確信に満ちた私の見解です。

ものみの塔の人生そのものを操作されるエホバの証人

ものみの塔は精神的に不安定な信者を集めてたぶらかすことに長けている。

エホバの証人が精神的に不安定なのは、終末の不安を煽られて不安を抱えることもあるし、もともとそういった弱点を持っていた人が信者に多いからとも言える。その不安定集団の中に入ると、健康な人まで害される。その悪循環。

その精神状態を突くのがものみの塔のやり口。

我々は自分たちの年代計算が絶対に正しい事実であるなどと言ったことはありません。これは動かぬ証拠や事実に基づいた知識ではなく、信仰に基づいたものであるというのが我々の変わらぬ主張

信仰が足りないから信じられないのだと言われれば、エホバの証人たちは「ハハァー」となる。

しかし、そもそもがものみの塔の妄言なんて信ずるに足らないというか耳を貸すのも時間の無駄。そんなものに信仰なんておける訳がない。

すると、ものみの塔ご本人が言っているように、

年代計算は太鼓判を押されていることにならないでしょうか。信仰を持つ者にとってはそうなります

ということなので、信仰を持たない者にとっては、ものみの塔は単なるインチキ野郎に過ぎなくなる。全ては自分の見方、考え方次第。しかし、エホバの証人にとっては、「信じるか信じないかはあなた次第です」と言われても、ことはそんなに単純ではない。

精神的に不安定というのもあるし、組織信仰第一と行動が定義されてしまっているのもある。凝り固まった行動は変えにくい。ものみの塔を偽物と認めることで、人生を賭けて支払った代償が全部ムダになる。それを認めたくない。組織外に居場所がない。エホバの証人の外の世界に対する恐怖を植え付けられている。

そんな弱者に対して、ものみの塔は

大胆な予言だったはずなのに、単に可能性として提示されましたという書き方がしてある。読んでいる側の大多数が過去の文献を見ることができないのを良いことに、その一部だけを引用したり、あるいは断定調で語られた言葉をごまかしたり無視したりして、かつての主張の数々がそれほど断定的ではなかったかのような印象を与える

こうして弱者のエホバの証人は良いように騙され、人生そのものを搾取されていく。


“ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・” への3件の返信

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